残酷な事には、運命的なものとそうでないものがあって、
自分の優柔不断さや弱さで起こった残酷な出来事は
そうでないものに分類されて、
自分の天性や強さ故に生まれた人生の残酷さは、
運命的で、必然的で、ぶつからなければいけない壁。
自分と向き合えば向き合うほどどん底に落ち、
泥沼にはまり、渦の中心へ中心へところころと落ちていく。
それは、しっかりと自分と向き合ったから見えた現実。
でも実は、その解放策は自分の外にある。
しかし、自分の外には違う渦がまたあって、
内へ行っても、外へ行っても残酷な事実に直面し続ける。
そういう運命的な残酷さは、
意外と人生の早いうちに訪れるものですね。
でも恐れずに、外にぶつけて
自分の残酷と外の残酷とがぶつかって起こった爆発の中に
しっかりと答えが隠されていることはまぎれもない事実。
その爆発を恐れる自分も、また自然なこと。
わたしの23歳は、そういう歳です。
美しさの中に、不安や暗さを兼ね備えたクラシックに
今の自分が引かれていくのもわかる気がします。
今、internet cafeです。
こんなにゆっくりしたの、どれくらいぶりでしょうか。
肉体的にも、精神的にも。
半年振りくらいですかね。前回がいつか忘れましたけど。
授業も終わって、母の手術も終わって、
デザインフェスタも終わって、
ホーです。開放感というやつです。
今週金曜に面接があるので、
また心の筋肉をキュっと引き締めないといけないです。
よし、母の面会に行ってきまーすー
あー行こうと思ったのに、たった今seiji ozawa+boston synphony orchestraのベィトーベンピアノソナタが始っちゃいました。
ラジオはこういうとこがつれないねー