雪で休講です。やったねと思います。
ちょっとくらいがっかりしろよとも思いますけどね。
授業が休講になってがっかりする学生って
世の中にどれほどいるのかね。
誰かが、「富の不平等は平等である、もしそこに平等な機会が与えられているならば。」と言った。
誰が富の平等を願っているのか、わたしにはわからない。
けれど、平等な機会などどこにもないはず。
「機会を与えたところで、出来ない人は出来ない。」
そうやって強く言うことを一番恐れているのは、一体誰だろうか。
雇用の場合、容姿で採用あるいは不採用を決断してはいけないのに
学校の場合、成績が悪ければFがつくし、卒業もできない。
頑張って勉強しないのが悪いと言われれば、
頑張って容姿を磨かないのも悪いと言えよう。
頑張るなんて、誰しもが出来るものではないし、
誰しもがしなければいけないものでもない。
わたしは、教育のどこに平等があるのかわからない。
教育自体がもう、排他的作業なのではないか。
いや教育というものは悪いものではないけれど、
関係のない者達が加わった瞬間に、無意味な側面が出てしまうのであろう。
そんな事が何十年も続いた結果、
日本の大学は、ただの動物園になってしまったのだろう。
ある種の動物に分かる言語しか話さない、教師。
寝ていても卒業できる、動物。
動物達は、大学に行く時間と帰る時間だけを知っている。
教師の排他的な態度は、言語の分からない動物達には癇に障るのだろう。
何を言っているかはわからないけれど、こいつはイヤな奴と察してしまう。
こういう、無意味な側面もあるのが教育システム。
勉強は、楽しい。興味で意思が保たれているならば。
一応興味本意で大学に通う動物として言えることは、
教育システムだけが悪いわけじゃなくて、
教師だけが悪いわけじゃなくて、
動物だけが悪いわけじゃなくて、
その全ての間に存在するギャップのせいで、
その空間に歪みと寒ーい空気を漂わせてしまうんです。
世の中というのは、わけのわからないままにぼんやりと存在する。
時間と共に変化し続けながら、そのぼんやりがふわふわとそこに居座り続けている。
確かに素晴らしい人達は沢山いる。
その人達は、何かを訴え続けているのかもしれない。
将来いつか、現在の状況を見た子供が「人間は、ばかなことをしていたんだなあー」と過去の事のように思ってもらえるように、もう過ちを繰り返さないでほしいです。
要するに、勉強はしたいと思う人にしてほしいなあと思っているだけですけどね。
平等は、良いことなのか悪いことなのか未だに分からない。
少なくとも、自分と目の前の人間がハピネースと思えることを
良いことだと言いたいのだけれど、それをするにはまだ
わたしは子供過ぎるのかもしれない。