勉強するって。
ナミジです。こんばんは。
なんなんやろう。
知識が増えると、不思議に思うコトが増えるんかな。
勉強そのものが、個人の何かを伸ばしたりって、するんかな。
勉強して得た知識が、自分の何かと一致した瞬間に、
なんかおもろいことがわかるんかな。
そう考えたら、勉強もスポーツも同じかな。
お茶も同じかな。
そう思う。
勉強にもスポーツにもお茶にも、
何かリズムとか法則とか規則とか方程式とかがある。
それを体で覚えることで、なんかがあるんやろな。
次に何がきて、次にあれで、次に。
そんな単純なもんじゃないやろうけど、
そんな単純なもんじゃないからおもろいんやろうけど、
その一つのリズムに体を委ねることは、大事やと思う。
一本の芯ができるような。
そんなもん、持つべきやと思う。
ええ給料が入るかとか、ええ地位が得られるかとか、
そんなんはわからんけど、
ええオトナになるのは確実やと思う。
少なくとも、他人から尊敬を受けることは可能やと思う。
あたかも違う世界の人のように扱われるかもしれん。
同じ人間やのにな。
ええオトナかどうかは分からんけど、自分を知った人になる。
自分は小さい人間で、チキンで、なんら変わりない人なんやって。
もし、そんな人が偉そうに見えるなら、
こちら側の先入観と偏見と思い込みのせいに違いない。
なんで勉強してる人っておもろいんやろう。
なんでテレビ番組はあんにおもんないんやろう。
なんでテレビに出てる人たちはあんにおもんないんやろう。
なんであんに笑いだけに執着してしまってるんやろう。
なんでテレビを見て学べる事が一つもないんやろう。
テレビって、何なんやろう。
暇つぶし?
エンターテイメント、のみ?
なんなんやろう。ね。
それがニホンの文化なんやろうな。
あんなもんが文化なら、悲惨やな。
あんまし外には露出したくないような気がする。
あそこに出てる人たちは、なんなんやろう。
たぶん人じゃないよな。
ただのキャラクターやんな。
そうやって思いたい。
人やって思うからアカンのやと思う。
キャラクター作るんやったらもうちょっと台本練って下さい。
人に合わせることで調和を作る人たちやから、
ニホンの文化もみるみるうちに変わってくやろう。
自分のことも曖昧なままに他の文化に触れた人たちは、
その中途半端さをどうするんやろう。
誰がどうカバーしてくれるんやろうか。
たぶんそういう層の人口が増えれば、
それなりの対処法は国が出してくれるんかな。
自分たちは自分たちで、他の文化はただの展示物や。くらい思ってほしい。
ただの劇やってくらいに思ってほしい。
自分の中心を、他に変えてしまうなんてことはしてほしくない。
ただの逃げ道のうちの一個にはしてほしくない。
他の文化に興味があることはすごくステキやと思うけど、
常に部外者扱いされることは仕方が無い。
当然の扱い。
外国人なんやから。
悲しい事ではないと思う。
それでも学ぶってゆう勢いで、そこに部外者として存在さしてもらってるんやから。
受け入れてくれたことに感謝。
同じ人間やけど、宗教・人種の違いは、やっぱり肌で感じる。
まあそんなんは違うんやから仕方が無い。(仕方無いからってどうでもいい事はない)
でも、外国人やからってなめてもらったら困る。
その国の人らよりできへん事もあるけど、できる事もいっぱいある。
部外者扱いは存分にしてもらってええけど、
低レベル扱いだけはされたら悲しいね。
知識と経験だけで物を語る人は、どこの国でも同じやなあ、と思う。
( ゜∋゜)
今日は、お茶会に行ってきた。
久しぶりに着物着た。
Harvard大学のArt Fairで、うちの先生が教えてる生徒さんがお茶会をしてた。
アメリカ人が、”お手前頂戴いたします”って言うてると、おおって思うよね。
ニホンの文化も捨てたもんじゃねい。
やっぱり、将来は外国人にニホンの文化を教えたい。
あー。
ねむたいー。
おやすみ。