日本語、英語、というか、言語。
ナミジです。こんばんは。
言語にどっぷり漬かりすぎて、骨の髄まで染み込んでます。
大切なことを忘れていませんか?
そんな事を言われれてみれば、
家の鍵をかけたかどうかさえ気になります。
大切なことなんて、人それぞれ違うし、
そんな質問には、戸惑うこと間違いなし。
え、今日誕生日やっけ?
もしかして、記念日?
初めて会った日か?
初キスか?
そんな質問をするって事は、自分は大切な事を忘れてて、相手は覚えてて。
相手は答えを持ってるのに、あえて挑戦させられる。
なんてずるい質問。
知らないことをあざ笑う気か。
ずるい。
忘れた自分が悪いのか。
忘れてナニが悪いと開き直ろうか(逆効果)。
忘れた自分を一生不憫に思いながら生きようか。
いや、忘れた事さえ忘れてしまえば、全て無かった事のようになる気がする。
そんなナミジの人生です。
案外スッキリしています。
たぶん、他人には沢山憎まれています。
その人が、今自分の視界にいなければ、問題はないです。
とあるパーティーで、ニホン語の語尾について討論をした。
どうやら、男性と女性で語尾が変わってくるという知識はあったらしいが、
”じゃあ女性はどんな語尾を使うの?”と聞かれ、
”「やん」かな。”って答えてやったら、”それは関西弁!”ってつっこまれた。
こいつ、関西弁の違いも知ってるんか。
やっぱりハーバード生は違うなあ、と思いながら討論。
阿呆なナミジでは、埒なんて死ぬまで明かん、と思って、
次にたまたま聞いたニホン人の夫婦は、田舎の方出身で、”だべ”とか教えてた。
そんな討論なんかに、答えはない。
思ったことべらべら言いたいだけ言う。
言葉のキャッチボールなんかじゃない。
言葉の雪合戦。
ボールの当てあい。
楽しけりゃいい。
結局、ニホン語なんて正直わかってない。
オーストラリアで、イギリス人に英語について質問した。
ナニを聞いたかは覚えてないけど、似てる二つの単語の違いを聞いた。
ほしたら、”一緒”ってゆわれた。あっさり。
”(゚◇゚ )・・・”って言っといた。
結局、英語しゃべる人でも英語なんて正直わかってない(みんなとは言いません)。
せやからって、わからんでもイイわけないわな。
勉強しよーっと。
今日は、チャールズ川の上をお船でクルージングするツアーに行った。
ケンブリッジのギャラリアモールから出発してて、約1時間。
なかなか良い景色やったよ◎
写真は、またのせる~~~。
スキな気持ちを伝えるって、結構キケン。
死ぬまで一緒におりたい、とか。
正確には、”死ぬまで一緒におりたいくらいスキ”って、
スキ度を表してるだけなんやけどね。
表現に、時間的な”長さ”を使ってる。
その長さは、愛情の深さの比喩表現。
”深さ”も”長さ”も、どっちも距離の単位としては似たもの同士。
明日には、”一日”くらいの長さになることだってある。
”一瞬たりとも一緒におりたくないくらいスキ”になるかも。
そんな、不安定なもん。
やっぱり、スキ度を表すのに、時間的な単位を使うのはよくない。
ただの比喩やのに、本気にして、信じて、勝手に裏切られた被害者気分にさせてしまうかもしれへん。
スキな人に、そんなリスクを背負わせる権利は自分にはない。
やから、”空の一番高いところまで一緒に行きたい。”
とかわけのわからん事を言ってみたら、たぶん大丈夫なはず。
死ぬほどスキ、とか。
正確には、”スキじゃなくなったら死んでしまうかもしれんくらいスキ”って、
スキ度を表してるだけなんやけどな。また。
”死ぬ”とかいう、究極の比喩。
スキって気持ちは、そこまで人を究極にさせるんか。
あの、喉の奥の方がキュッてなる気持ちは、そんなにまでか。
そこいらのdrugより、人をハイにさせる気がする。
でもやっぱり、そんなキケンな比喩を使うのはよくない。
死んでよって言われても、死ねへんもん、絶対。
そんな時は、”おしっこが漏れそうなくらいスキ”とか、
やっぱりわけのわからん事を言ってみた方が、イイと思う。
そんだけスキって言う人がおもらししてしまうんって、結構究極やけど、
でもスキならなんとかなりそうやから。
スキって、勝手に思ってる分には支障ないけど(そうでない場合もあるけど)、
伝えるとなると、難しい。
自分でも見えへんし、測るんは難しいから、困る。
自分の事くらい、自分で測りたいよね。
なんでこんなにぶっきらぼうに出来てるんやろう、人間って。
スキレベルが、1~10まであったとして、
10くらいかと思ったら、2くらいやったり。
離れてみたら、10くらいやったことに気づいたり。
1秒で1から10にジャンプアップしたり。
ちゃんと見えたらええのに。
まあ、そんな数値どこにもないやろうけどね。
なんでもかんでも数字で表せると思ったら大間違いやぞ。
もし、1~10のレベルが存在するなら、
それは同時に存在するね。
全て。
1やと思っても、10は真横におるよね。
天才とあほは紙一重って言うけど、
どっちも同じ人間やから、紙一重もなにも、一緒やわな。
でもな、ほんまに一緒とか、全部が同時に存在してごちゃごちゃしてるとか、
そんなんじゃないと思うんやん。
”可能性”として、そこに存在しとるだけなん。
レベル10の可能性もある中で、自分がレベル1をたまたまピックアップした。とか。
天才の可能性もある中で、自分があほをピックアップした。とか。
環境がそうさせた。とか。
自分を探すって、そゆことやと思う。
今、人をスキになったとする。
キライになる可能性もあったけど、スキになった。
自分が選んだか、環境がそうさせたか。
絶対、環境がそうさせたんやと思う。
スキになるって、いつも付随的で、予期せぬ出来事。
そのままへら~って生きてくのもええけど、
その環境を調べるのは、自分探しの第一歩な気がする。
スキだけじゃなくても、自分がナニかを選んだ理由とか、
進路を選んだ理由とか、なんでもええや。
「なんとなく」してみたことをちゃんと考えてくんは大事やと思う。
なんとなくの中にも絶対、自分がなんかスキな部分があったから、
無意識に選んだ。とか、絶対ある。
「なんとなく」してみたって思うことは、絶対なんかの環境のせいで、
自分がそうさせられた。って事で、
その環境の中に、自分の好みのものとかが含まれてるはず。
そうやって、環境を分析していって、自分の好みとかが分かったら、
この環境に行ったら自分はこうなるんやとか、
この場所では自分はこうする、あの場所では怒る、あの場所では泣く、
あの場所では笑う、あの場所では暴れる。ってのが分かってくる。
次は、じゃああそこには行かんどこう、とか、
ああいう事をしたら自分は怒るからしやんどこう、とか、
こうすれば自分は満足するんや、とか、
自分はこうゆうのがスキなんや、とか、
分かってくる。
気持ちって、めっちゃいっぱい引き出しがある衣装ケースみたい。
笑う引き出しとか、怒る引き出しとか、どの引き出しを開けるかで変わる。
今までは、勝手に開いてた引き出しに、取っ手をつける。
自分で開けれるようにする。
そうやって、自分の気持ちの引き出しをしっかり確認して、
訓練してったら、いつか、上手にその引き出しを開けたい時に開けたりできる。
その引き出しが、さっき言うた”可能性”なんやと思う。
自分の中の”可能性”に、どんだけ気づけるか。
たくさんのものが、”可能性”としては存在してる、けど上手に使えへん。
そんなもん、無いも同然。
環境が、その可能性の活性化を抑制してるなら、そんな環境クソッタレ。
その可能性に気づくには、いろんな事を経験しやなかんと思う。
いっぱいいっぱいしんどい思いしやなかんと思う。
それはもう、想像を越えるしんどさやろう。
うちは今、そんな時なんやろね。
いっぱいしんどい思いして、チャレンジして、恥かいて、
泣いて、くやしい思いして。そんな時。
でも乗り越えたら、もうへっちゃら。やと思う。
へっちゃらに死ぬために、頑張ろうと思う。
自分がくそったれになる経験もしたから、その可能性があることも知ってる。
自分がめっちゃ頑張れる経験もしたから、その可能性があることも知ってる。
自分の中の比較的ポジティブな可能性は、無駄にはしたくない。
自分の中の比較的ネガティブな可能性は、あんまり出したくない。
そんなコントロールができるんは、いつになるんやろう。
死ぬまで出来へんかもしれん。
どうか、くで始まって、そで終わる人生にはなりませんように。