数学者が伝えたい「人間関係は不可逆か」平間達也 | 数学者「平間達也」の偉大な数学とちっぽけな己

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数学者平間達也主張

 

 

 

2+4=4+2

誰もが納得する加法の交換則。

当たり前、常識と捉えている人が多いことだろう。

これは整数、もしくは実数などが群であることから導ける極めて美しい性質の一つだ。

一般的には交換則は成立しないことの方が多い。

行列、は今の時代、大学で習う範囲なので触れる方は少ない、もしくは忘れてしまった方が大半かもしれないが、行列の乗法も基本的に交換則は成立しない。

他には写像の合成、つまりかけ算も成立しないことの方が多い(一般的に成立しない)。

写像を考えるには、集合を定義することから始めて色々してからの議論になるが、ここではそんなことはしない。

要は実数から実数への関数の例で考えてみればいい。

一つの関数はf(x)=x+1。

もう一つの関数はg(x)=(x+1)3

最初にfで写してからgで写すg・fを考えると、

g・f(x)={(x+1)+1}3=(x+2)3

次にgで写してからfで写すf・gを考えると

f・g(x)=(x+1)3+1

となり明らかにこれら2つの関数は等しくなく異なっていることがわかるだろう。

そしてこれは人間関係にも当てはまるのではないか。

人を信じやすい人なのかそれとも疑り深い人なのか、これは以前の人間関係が強く影響するだろう。

一度疑り深くなれば、次に誠実な人と接してももしかしたらと疑念が心のどこかに残るものだ。

しかし信じやすい、信用しやすい人であればすぐに打ち解け心の距離もぐっと近いものになるだろう。

小学校の先生なども重要な人間形成の一つだ。

一番最初期に触れる他人の大人。

この彼もしくは彼女らが与える影響も比較的多いだろう。

親が担任を選ぶことも出来ない。

教師もずっと以前は聖職と崇められてきたが、それは当然昔のお話。

何ら変わらないただの人間である。

であれば、a君にはいい先生でもb君には向かない先生であることも何ら不思議ではない。

ではもし反りが合わない、自分ともしくは自分の子に向かなかったらどうすればいいのか。

大人であれば、 そんな写像はくそくらえと行わなければいいだけだ。

子どもの担任であったら?

そんな時こそ親の力量が問われる。

別にモンスターペアレントになれというのではない。

写像には逆写像というものがある。

全ての写像に逆写像が存在するわけではないのだが、定義域や値域を制限などして部分的にでも逆写像が作れることがある。

親が担任の逆写像になってあげればいい。

我が子の健全な心の成長にはやはり親の存在は欠かせないものだ。

二学期がもうすぐ始まる。

担任だけが子どもに影響を与える訳ではない。

友人関係、周囲の環境、多分に影響を受けるからこそ親は子どもの成長に気を配り、時に指数関数のように成長を促し、時に逆写像のように振る舞い間違った影響を正していかなくてはならないだろう。

 

 

 

数学者・サイエンストランスミッター

平間達也