岩崎龍三の誕生日・食品サンプルの事業化
昨日は、岩崎龍三の誕生日だった。
岩崎龍三は、食品サンプルの事業化に
成功した生みの親。
いまでは、彼が広めた食品サンプルが世界中に広がっている。
食品サンプルを発明したのは岩崎瀧三ではないけど
開発されだしたばかりの食品サンプルを見て
妻の作るオムレツの精巧なレプリカを作った。
その後、1932年(昭和7年)に岩崎製作所を創設し、食品サンプルの事業化に日本で初めて成功した。
岐阜で育った岩崎は、子供の頃に
ロウソクの蝋が水に落ちて花のびらように固まるのを見て遊んでいたが
これが、後に「食品サンプルを蝋で製作するアイデア」に繋がったんだって!
子供の頃の「純心無垢な遊び」が、後々世界を変えることって
あるんですね~~
子供の無邪気な遊びも馬鹿に出来ませんなあ!
◆岩崎瀧三 生誕121周年:食品サンプル生みの親の生涯とは?
今日は食品サンプル生みの親である岩崎瀧三の誕生日。これを記念して、Googleトップページのロゴも食品サンプルを模したイラストに変更されている。
Doodle公式サイトによると、今日のロゴ変更は日本の他にも韓国やオーストラリア、インドネシアなどで行われているようだ。レストランでおなじみのプラスチック製(発明当初は蝋製)のレプリカは日本のみならず、世界中で見ることができる。そんな食品サンプル生みの親である岩崎瀧三とは、一体どのような人物だったのだろうか。
岩崎瀧三は1895年(明治28年9月12日)、 岐阜県で生まれた。少年だった岩崎はロウソクの蝋が水に落ちて花のびらように固まるのを見て遊んでいたが、このことが後に食品サンプルを蝋で製作するアイデアにつながったという。
ちなみに、食品サンプルを発明したのは岩崎瀧三ではない。大正末期から昭和初期にかけて日本でも百貨店(デパート)が営業を開始し、レストランのショーケースに展示する食品レプリカが開発されていた。岩崎瀧三はそうした食品サンプルに目をつけ、妻・すゞの協力も得て、精巧なオムレツのレプリカを製作。1932年(昭和7年)に岩崎製作所を創設し、食品サンプルの事業化に日本で初めて成功した。
岩崎製作所の食品サンプルは大阪を拠点に営業を行い、そごう百貨店での採用を皮切りに、全国のデパートに製品を納入した。戦時中は材料不足のため一時営業を停止したが、戦後1950年に事業を再開する。創業者の岩崎瀧三は1961年に会長に就任、岩崎製作所は現在「株式会社いわさき」として、食品サンプル事業の全国シェア最大手として活動している。
なお、岩崎瀧三の故郷である岐阜県郡上市八幡町では現在、食品サンプル作りが体験できる「サンプルビレッジ・いわさき」が営業している。家族で楽しめる施設なので、興味を持った方は体験してみてはいかがだろうか。(出典:SOCIEATS)
岩崎瀧三(いわさき たきぞう)
岩崎 瀧三の生誕
1895年9月12日
岐阜県郡上郡八幡町、死没1965年、国籍 日本、職業 実業家
著名な実績 食品サンプルの事業化
岩崎 瀧三(いわさき たきぞう、1895年(明治28年)9月12日 - 1965年(昭和40年))は日本の実業家。岐阜県郡上郡八幡町(現:郡上市八幡町)生まれ
1895年9月12日、岐阜県に生まれる。1932年(昭和7年)、大阪市北区に「食品模型岩崎製作所」を設立。当時出回り始めていた食品サンプルの事業化に初めて成功した。第1号のサンプルはオムレツ。妻のつくったオムレツがモデルとなった。1955年、故郷の役に立ちたいと郡上八幡に岐阜工場を建設。1963年、岩崎模型製造株式会社に社名変更。2013年現在、いわさきグループの国内シェアは約70%に達し、食品サンプルづくり体験も年間1万人以上が利用する人気サービスに成長した。八幡町の生家は「食品サンプルの創始者 サンプル王 岩崎瀧三の生家」と看板が掲げられ、観光スポットとなっている。
2016年9月12日のGoogle Doodleは、彼の生誕121周年を記念したものとなった。
(Wekipedia)
岩崎龍三の誕生日・食品サンプルの事業化