中村紘子、ピアニスト、死去
中村紘子さん、大腸がんで死去、美しきピアニスト・・
中村紘子さんが、大腸がんのため、26日亡くなった。
中村紘子さんは、晩年はがんとの闘いが続いたが
ピアノ演奏へ最後までこだわり、復帰に執念を燃やしていた。
天才少女ピアニスト現れると脚光を浴び
1959年「音楽コンクール」で史上最年少で第1位特賞を取りデビュー。
1960年には、NHK交響楽団が初めて行った世界一周演奏旅行のソリストに
選ばれた。
その後、米国に留学し、1965年にショパン国際ピアノコンクールで
日本人初の第4位に入賞し、その名声を確立した。
あの世に逝かれても、美しいピアノの旋律で
天国を満たし、皆さんを楽しませて下さい!
ご冥福をお祈りします。
◆人気ピアニスト、中村紘子さん死去…文筆活動も
国民的な人気のピアニストとして活躍し、機知に富んだ文筆活動でも知られた中村紘子(なかむら・ひろこ、本名・福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが26日午後10時25分、大腸がんのため死去した。
72歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は、夫で芥川賞作家の庄司薫氏。
山梨県生まれ。3歳で斎藤秀雄らが主宰した「子供のための音楽教室」に入り、後にチェロ奏者となった堤剛さんらと学んだ。天才少女と評判になり、1959年、「音楽コンクール」(現・日本音楽コンクール)で史上最年少で第1位特賞となり、楽壇デビュー。60年には、NHK交響楽団が初めて行った世界一周演奏旅行のソリストに抜てきされた。米国留学の後、65年にショパン国際ピアノコンクールで日本人初の第4位に入賞し、名声を確立した。
◆中村さん、最後まで演奏復帰に執念…夫に夢語る
26日に亡くなったピアニストの中村紘子さんは晩年はがんとの闘病が続いたが、最後まで演奏活動への復帰に執念を見せた。
最後は夫の作家・庄司薫さん(79)に見送られた。
「何より本人があまりにも早い死にびっくりしているでしょう。紘子は最期まで美しく賢いピアニストでした」
28日に密葬を終えた庄司さんは、グランドピアノのある東京都内の自宅に戻った妻の遺骨を前に悲しみをこらえていた。
「病院はつまらない」との中村さんの希望で、2人は25日の中村さんの誕生日から、愛犬のミニチュアダックスフントが待つ自宅で一緒の時を過ごした。中村さんは夫からイヤリングを贈られ、「モーツァルトからラフマニノフまで、音色に新しい輝きを与える奏法を試したい」と語っていたが、翌日、夫らにみとられて旅立った。28日の出棺に際し、庄司さんは何度も妻の顔を見つめ、棺(ひつぎ)に2人の著作や写真を納め、最後のお別れをした。(出典:読売新聞)
中村紘子、ピアニスト、死去