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幸せに成功するためには、
没頭出来る大好きなことを仕事にして、
日々幸せ感を感じつつ、成長・成功していく方法があります。
一方、正反対に、
今やっている仕事を好きになって、
幸せな充実感を感じることも出来ます。
(影の声)
今やってる仕事を好きになれだって!!
冗談だろう、
前の職場は、俺の大嫌いな経理の計算ばっかりさせられて
リストラされて、今は、工事現場の土砂運びの、クソ肉体労働
だぜ!!
どうやって、「今の仕事」を好きになれって言うんだい!!
神城:
影の声さん、、分かります。。その気持ち、、
でも、それでも、敢えて、影の声さんの幸せのために言いたいんです。
どんなに嫌で、辛い仕事でも、「>仕事があるだけマシだし、
必ず、「何か、自分に合っている「部分」や得意技が発揮出来る
「分野」がその職場に潜んでいるものです。」
そう、極端に言えば「刑務所」や「病院」に入っていたとしても
死んでさえいなければ、全てが「気づきの宝庫」と言えるんです。
◆考えてみれば、
▼仕事=義務的に「嫌でも、無理やり、やらなければ、ならないもの」
特に、食うために「職業として」やなればならぬ事で
強制的に「やらされているもの」
△趣味=ヤっても、やらなくても良いモノ
好きだから、気が向いた時にやれば良いもので
他からの強制力は、一切ない。
○日常生活でのルーティン・ワーク(家事)
例えば、掃除、洗濯、買い物、ゴミだし・・
手を抜いても、生きては行けるが、生活の質が落ちる。
(仕事と趣味の中間で仕事より・・かな?)
大体こんなイメージの定義じゃないでしょうか。
でも、
本当に、この定義で正しいでしょうか?
一見正しそうですが、一部分の意味を除いて、全く違っていますね。
確かに、何かをやった行為に対して「報酬」(お金でも何でも)を受け取った
瞬間から、主従関係が出来るし、
あなたには「義務」と「責任」(報酬に見合うだけの「仕事」をしなければならない)
が発生します。
そういう意味では、上記の「仕事」の定義は概ね、間違ってはいません。
但し、一般的に「趣味」と言われているようなことを「仕事」にしている人や
逆に「あの人って、仕事が趣味よね」と、言われるような方も世の中には
いらっしゃいます。
ですので、
▼仕事=強制・罰ゲーム
△趣味=自主的・楽しみ
という、世間一般の「常識的な感覚」に、惑わされてはならないんだと思うんです。
第一、ワーク・ホリック(仕事中毒)ではなく、心の底から自分の仕事を楽しんで
仕事を趣味に出来ている人
ってのは、素晴らしく、幸せに成功している方だと思います。
また、偏見の無い目で考えてみると
嫌だ、嫌だと思っている自分の仕事の中にも
自分に合っている、得意だ、楽しい・・と感じれる部分が
あるはずなんです。
どんなに単純作業だろうと。
逆に、「今やっている自分の仕事」を「大好きなこと」に変えられれば
どんなにステキなことで、これこそ、「幸せに成功出来る狭き門」への
1つのゲートなのです。
ですので、あなたも、ご自分が、今やっているお仕事の中で
楽しいと思われる部分、自分が何となく性に合うな、と思う「部分」
を見つけ、それを出来るだけ「広げる」ように、努めてみて下さい。
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引用は全て、マーク・トゥエイン『トム・ソーヤの冒険』(新潮文庫)
からです。
トムは、恐い叔母さんに言いつけられて、カベにペンキ塗りをしなければならない状況です。
彼はその仕事がイヤでたまらないのですが、一計を案じて、さも楽しそうなフリをしながらやっています。そこへ、友人たちが通りかかる。
「どうした、トム、仕事を、言いつけられたんだね」
トムは、くるりとふり返って、言った。
「なんだ、ベンだったのか。気がつかなかったよ」
「おれは、これから泳ぎに行くんだ。行きたくないかい?だが、もちろんきみは仕事のほうがいいんだろう?もちろんな」
トムは、ちょっとのあいだベンを見すえてから、言った。
「仕事って何のことだい?」
「おや、それは仕事じゃないのかい」
トムは、また塗りはじめながら、さりげなく言った。
「そうだな、仕事といえば仕事だが、そうでないといえば、そうでないかもしれないぜ。ただそれがトム・ソーヤーの性に合ってることだけはまちがいないだろうな」
「ごまかすな。まさかその仕事が好きだなんて言ってるんじゃないだろうな?」
刷毛は動きつづけた。
「好きだって?うん、好きじゃいけないって理由はないと思うがね。塀を塗るなんて機会が、子供に毎日めぐまれると思うかい?」
これで塀塗りという仕事が新しいスポットを浴びることになった。ベンは林檎をかじるのを中止した。
結局ベンはひっかかって、こう言うことになります。
「おい、トム、ちょっとやらしてくれないか」
それでもトムはなかなかうんと言いません。ついにベンのリンゴと引き替えに、イヤイヤ替わってやるという風にして、ペンキ塗りの仕事をまんまと押しつけてしまいます。
最後には、トムのペンキ塗りを「やらせてもらう」ために、村中の子供が列をなして、なにかしら「賄賂」をトムに送ることになるのです。
結局この世は、それほどつまらないものでもない、とトムはつぶやいた。ここでトムは、自分では意識しなかったが、人間の行為について、一大法則を発見したのだ――それは、大人でも子供でも、あるものをほしがらせようと思ったら、それを容易に手に入れにくいと思わせさえすればいい、ということだ。もしトムが、この本の作者のように賢明で偉大な哲学者であったら、仕事というものは人がやらなければならないものであり、遊びとは人がやらなくてもかまわないものだ、ということを理解しただろう。