嫌な仕事を好きになれる魔法って? | 神城豊の「あなたが逆境を乗り越え幸せに成功する魔法の法則」

神城豊の「あなたが逆境を乗り越え幸せに成功する魔法の法則」

倒産・一家離散・離婚、難病で生死を彷徨うも奇跡の生還後、現在はハッピービジネスマンへと逆境人生から何度となく立上がり今のハッピーライフを掴んだ波乱万丈人生を歩んできた私、神城豊が、あなたに逆境を克服し幸せに成功する魔法のルールを伝授します。

↓ブログに書いていない情報をお話してます!↓


↓ポチッと,あなたの応援を、是非ともお願いします↓

ライフハック ブログランキングへ

⇒トップページに戻る。

幸せに成功するためには、

没頭出来る大好きなことを仕事にして、

日々幸せ感を感じつつ、成長・成功していく方法があります。


一方、正反対に、

今やっている仕事を好きになって、

幸せな充実感を感じることも出来ます。

(影の声)

今やってる仕事を好きになれだって!!

冗談だろう、

前の職場は、俺の大嫌いな経理の計算ばっかりさせられて

リストラされて、今は、工事現場の土砂運びの、クソ肉体労働

だぜ!!

どうやって、「今の仕事」を好きになれって言うんだい!!


神城:

影の声さん、、分かります。。その気持ち、、

でも、それでも、敢えて、影の声さんの幸せのために言いたいんです。

どんなに嫌で、辛い仕事でも、「>仕事があるだけマシだし、

必ず、「何か、自分に合っている「部分」や得意技が発揮出来る

「分野」がその職場に潜んでいるものです。」


そう、極端に言えば「刑務所」や「病院」に入っていたとしても

死んでさえいなければ、全てが「気づきの宝庫」と言えるんです。



◆考えてみれば、


仕事=義務的に「嫌でも、無理やり、やらなければ、ならないもの」

  特に、食うために「職業として」やなればならぬ事で

  強制的に「やらされているもの」

趣味=ヤっても、やらなくても良いモノ

   好きだから、気が向いた時にやれば良いもので

   他からの強制力は、一切ない。


○日常生活でのルーティン・ワーク(家事)
    例えば、掃除、洗濯、買い物、ゴミだし・・

    手を抜いても、生きては行けるが、生活の質が落ちる。
  (仕事と趣味の中間で仕事より・・かな?)

 大体こんなイメージの定義じゃないでしょうか。


 でも、

本当に、この定義で正しいでしょうか?

一見正しそうですが、一部分の意味を除いて、全く違っていますね。


確かに、何かをやった行為に対して「報酬」(お金でも何でも)を受け取った

瞬間から、主従関係
が出来るし、

あなたには「義務」と「責任」(報酬に見合うだけの「仕事」をしなければならない)

が発生
します。


そういう意味では、上記の「仕事」の定義は概ね、間違ってはいません。


但し、一般的に「趣味」と言われているようなことを「仕事」にしている人や

逆に「あの人って、仕事が趣味よね」と、言われるような方も世の中には

いらっしゃいます。


ですので、

▼仕事=強制・罰ゲーム

△趣味=自主的・楽しみ

という、世間一般の「常識的な感覚」に、惑わされてはならないんだと思うんです。



第一、ワーク・ホリック(仕事中毒)ではなく、心の底から自分の仕事を楽しんで

 仕事を趣味に出来ている人

    ってのは、素晴らしく、幸せに成功している方だと思います。

また、偏見の無い目で考えてみると

嫌だ、嫌だと思っている自分の仕事の中にも

自分に合っている、得意だ、楽しい・・と感じれる部分

あるはずなんです。

どんなに単純作業だろうと。



逆に、「今やっている自分の仕事」を「大好きなこと」に変えられれば

どんなにステキなことで、これこそ、「幸せに成功出来る狭き門」への

1つのゲートなのです。

ですので、あなたも、ご自分が、今やっているお仕事の中で

楽しいと思われる部分、自分が何となく性に合うな、と思う「部分」

を見つけ、それを出来るだけ「広げる」ように、努めてみて下さい。



↓ブログに書いていない情報をお話してます!↓


↓ポチッと,あなたの応援を、是非ともお願いします↓


ライフハック ブログランキングへ

⇒トップページに戻る。

引用は全て、マーク・トゥエイン『トム・ソーヤの冒険』(新潮文庫)
からです。


トムは、恐い叔母さんに言いつけられて、カベにペンキ塗りをしなければならない状況です。
彼はその仕事がイヤでたまらないのですが、一計を案じて、さも楽しそうなフリをしながらやっています。そこへ、友人たちが通りかかる。
「どうした、トム、仕事を、言いつけられたんだね」
トムは、くるりとふり返って、言った。
「なんだ、ベンだったのか。気がつかなかったよ」
「おれは、これから泳ぎに行くんだ。行きたくないかい?だが、もちろんきみは仕事のほうがいいんだろう?もちろんな」
トムは、ちょっとのあいだベンを見すえてから、言った。
「仕事って何のことだい?」
「おや、それは仕事じゃないのかい」
トムは、また塗りはじめながら、さりげなく言った。
「そうだな、仕事といえば仕事だが、そうでないといえば、そうでないかもしれないぜ。ただそれがトム・ソーヤーの性に合ってることだけはまちがいないだろうな」
「ごまかすな。まさかその仕事が好きだなんて言ってるんじゃないだろうな?」
刷毛は動きつづけた。
「好きだって?うん、好きじゃいけないって理由はないと思うがね。塀を塗るなんて機会が、子供に毎日めぐまれると思うかい?」
これで塀塗りという仕事が新しいスポットを浴びることになった。ベンは林檎をかじるのを中止した。
結局ベンはひっかかって、こう言うことになります。
「おい、トム、ちょっとやらしてくれないか」
それでもトムはなかなかうんと言いません。ついにベンのリンゴと引き替えに、イヤイヤ替わってやるという風にして、ペンキ塗りの仕事をまんまと押しつけてしまいます。
最後には、トムのペンキ塗りを「やらせてもらう」ために、村中の子供が列をなして、なにかしら「賄賂」をトムに送ることになるのです。
結局この世は、それほどつまらないものでもない、とトムはつぶやいた。ここでトムは、自分では意識しなかったが、人間の行為について、一大法則を発見したのだ――それは、大人でも子供でも、あるものをほしがらせようと思ったら、それを容易に手に入れにくいと思わせさえすればいい、ということだ。もしトムが、この本の作者のように賢明で偉大な哲学者であったら、仕事というものは人がやらなければならないものであり、遊びとは人がやらなくてもかまわないものだ、ということを理解しただろう。