私が子供の頃、もう今から30年ほど前になりますが、その頃にも「いじめ」はありました。みんなで一緒に遊んでいるときに、私だけ「特別に」と這いつくばって「仲間に入れてください」と言わされたりとか、クラスの人気者が私を笑いものにしてクラス全員がそれに倣うとか、クラス全員から「みゆきさんはいなくていいよ」と言われたり。ですから、外遊びは苦手でしたし、引っ込み思案な性格だったので、言いたいことも言えずただただ耐えていたりしましたね。あとは、小学校の頃からにきびができ始めて、クラスから「汚い」と陰口をたたかれたりもしましたっけ。

 

親に相談もしました。母は「そんなの勉強をしっかりして見返してやればいい」と言っていましたが、実は私は学生の頃はあまり勉強が好きではありませんでした。成績は中の上と言ったところで決して悪いわけではありませんでしたが、見返してやれるほど頭がよかったわけでもありません。

 

ただ私にとって救いだったのは、他のクラスに私を受け入れてくれる人がいたことです。それがあったから、我が道を行く、というのも大袈裟な気もしますが、学校生活を続けることができたのだと思います。高校の頃には、同じクラスの男の子のグループに入れてもらえることができたので、女の子たちから陰口をたたかれても、無視されても、居場所がありました。高校では男子グループに入っていたこともいじめの対象になる原因だったのかもしれません。

 

中学の頃では、当時でいう不良グループの子たちが、いい意味で私にちょっかいを出してきて、孤独感を感じずにいられました。それでも、クラス全員から無視されるというのはつらかったですが。

 

私に対する「いじめ」は、主に無視をする、仲間外れにする、といったことが多く、金銭が絡むことはありませんでした。現在のいじめはこんなかわいいものではありませんね。金銭を求められたり、万引きを強要されたり、仲間外れにするにも私に対するものよりももっと悪質なものが多く感じられます。

 

私がいじめにあっても「引きこもり」にならなかったのはなぜでしょうか。今だったら即引きこもりになりそうな気がするのですが、母が応援してくれていたのが大きかったと思います。

 

中学の頃、こんなことがありました。
私のクラスに不良グループのリーダーの子S君がいて、S君は授業をさぼったり、給食の時間にクラスにいなかったりすることが多かったのです。担任のT先生(女性)は不良グループの子たちの理解者、という立場を取りたかったらしく、給食はクラス全員が揃わなければ食べてはいけない、という方針でした。
ある日、S君が給食の時間に抜け出してしまい、クラス全員給食を食べずに待っていたのですが、私はその日の献立のメニューに嫌いなものがあり、量を少なめによそってもらっていたのです。S君を待っている間、T先生はクラス内を見回っていました。そこで私の給食トレイを見て、少ない量を見た途端、「おまえ!食べただろう!!」と椅子から突き落とされました。「食べてません!」とすぐに反論し、その場はそれで収まりましたが、今もし同じことをされたら、午後の授業は出ずに家に帰り、登校拒否してやればよかったとか考えてしまいます。決して気の強いほうではなかった私は「食べてません!」と言うことくらいしかできなかったのですが、その場で荷物をまとめて帰ってしまうくらいしてやればよかったかもしれません。

 

そんなわけで、私は学生時代の記憶があまりありません。クラスメイトの顔や名前もほとんど覚えていません。ひどく遠いことのように思えて、自分が小学校、中学校、高等学校と学習してきたこともほとんど忘れてしまっています。いい思い出がほとんどないので、思い出さないようにしていたら全部忘れてしまったといった感じです。ですから、同窓会にも1回参加しただけで、あとは連絡されても断っていました。1回参加したときに、誰が誰だか全然わからなかったのと、盛り上がれる話題が私にはないということを痛感して、まったく楽しくなかったのです。

 

私の高校までの学生生活は上記のような様子でしたので、あまり思い出したくありません。どろどろな気持ちが湧き上がってくるからです。

 

専門学校に入ってからは、いじめから一転して「姫」と呼ばれて、みんなと仲良くできていました。なぜいじめられっ子が姫になったのかはさっぱりわかりませんが、専門学校生活はとても楽しいものでした。

 

いじめられっ子は辛いものです。現在はSNSなどインターネットも普及し、スマホを持つようになり、私が子供の頃に比べてもっともっと陰湿ないじめ、それこそ命を絶ってしまうほど悩んでいる子供がたくさんいます。学校でのいじめだけでなく、親から虐待を受ける子供もたくさんいますね。子供たちには逃げ場がないように感じます。逆らえばひどい暴行を受けることもよく報道されています。

 

自分がされて嫌なことは、他人にしない。

 

母がいつも私に言っていた言葉です。私はいじめが嫌だったので、私がいじめる側になることだけはやめようと強く思っていました。今の子供たちはどうなのでしょうか。いじめをしている子は、自分がいじめの対象になったときのことは考えないのかもしれません。

 

社会人になってからも、ハラスメントはありましたので、その話はまた次回に。