○○を隠し味に、って。もう隠してねえな

 

はろー!

(映画は観てませんが昴が好きです。たま~に居る、昴みたいな人。魅力しかないけど距離を間違えるとドエライ目に遇う)

 

先週”すききらい”をなんとなく話した。改めて考えてみたけど、きらいに入ってても許せる人はいるし、すきでも惹きつけないひとが居る。

 

そしてどちらかと言えば好みが同じより、嫌いなものが一緒って方が関係性は上手く築けると思う。きっとそれくらい”不快”のエネルギーは強い。

 

嫌なところも知ってるけど、それより好きなところが上回るから好きでいられる。

 

ぼくも人によっては「それマジでやめた方がいい」って言うことはあるけど、基本的には放っておく。だって「直せ!」ってエゴでしょ。自分のストレスをどうにかしたいだけでしょ。

 

すき、と言えば杉咲花に恋をしています。

 

前から好きだったけど最近見かけるとドキッ!ってする。中学生みたいな恋の仕方だ。でも頑張れば知り合いになれる可能性もある。(いや、あるって。全員!)

 

度重なる”たまたま”で色んな人と会えてきたから。たぶん街で見つけても声はかけない。握手とかサインとか写真に興味がないから。

 

知り合いにならなきゃ!(つーか杉咲花って小暮武彦の娘なの?しらんかった)

 

いいなぁ、杉咲shake花。

 

昔は憧れてたけど、ってこともあるでしょ。いざ知り合えたら「こいつ面白くねえな」となる場合もあるわけで。

 

それにユーチューブかなんかで当時の姿にトキめいてしまうと、どうしていいか分からなくなる。めっちゃかわいい!って思っても20年も前の映像だったりした時の困惑は経験があります。

 

昭和が舞台の映画を観て、ノスタルジーに浸ってみる。よく考えたらぼくは昭和の日本など知らないのだけど。

 

おばあちゃんの家に昭和が残ってただけ。ちいさい頃は薪で風呂を沸かしてたし、蚊帳で寝てたり犬に追いかけられたりしてた。

 

その映画を知識と照らし合わせて想像してみる。

 

昭和30年頃から始まった経済成長期に日本人はどう生きてきたんだろう。当時のおばあちゃんおじいちゃんは今のぼくと同年代あたりだと思う。

 

ブログも書いてないだろうし偶像に恋焦がれることもなかったはずだ。

 

「おもて出ろこの野郎!」は、家具やなんかが貴重すぎて壊れると困るから家の中で暴れるわけにはいかなかったんじゃないかな。

 

裕福ではなかった時代の余裕のなさ、がケンカになってしまうそもそもの理由。という気もする。

 

国全体がそうだったから、暴力に対して今ほど敏感ではなかった。自由はルールを増やすのかもしれない。

 

殴る、という行為が絶対悪ではなく理由次第みたいなところがあったと思う。それが喧嘩両成敗になり悪となった。

 

少なくとも昔のトレンディドラマには、彼女を守るためにけんかをするというのが”名シーン”として絶対にあった。

 

もちろん暴力を推奨してるわけじゃない。でも背景を考えてみるのも大切だとぼくは思います。楽しめるものが減ってしまうから。

 

あの頃がいいとか、現代はどうだと言いたいのではなくて、感情むき出しの人をぼくは嫌いになれないなぁということ。

 

人情。

 

知らない人でも助け合わなきゃ生きていけない事情ってやつがあった。それは都合でしかないんだけど、ぼくはなにより信用できる。

 

北海道や東北は寒すぎて、寄り添わなきゃ生きていけなかったDNAがあるから優しいひとが多いと聞いた。なるほど、だけど困ってない人なんかいないだろ。

 

道で話しかけられて「困ってる」というからお金を貸して逃げられたことがある。3回くらいある。それでクレジットカードが止まった。

 

普通に落ち込む。お金もそうだけど、あの「本当に助かった!」が嘘だったことに悲しくなる。でも追い込まれてないとそんなことしないんじゃないかな、とも思う。

 

ローン会社からの罵詈雑言より、本当に助かったの言葉がぼくを引き裂いた。

 

だからぼくは借りたお金は絶対に返す。何年かかっても返す。仮に国が救済処置として、なんらかの手を打っても(ありえないけどな)断る。

 

昭和を題材にした映画は2時間でハッピーエンドを迎えるけど、昭和は63年間もあったのだ。そして平成を経て令和に突入した。

 

令和って6年もあったっけ?とこないだも話してた。コロナの影響かな。

 

令和の6年はあっという間だったけど、今年は異常に長い。え、まだ半分なの?とビビる。たくさんうれしいことがあった。たくさん悲しいことがあった。

 

道端でこれでもか!ってくらい泣いた夜もある。もう泣くしかなかった。通り過ぎていく全員殺してやろうかって思った。

 

いま思えば大したことじゃなかったんだけど。被害妄想が激しいからね、ぼくは。恥ずかしい。ぼくはずっと照れてる。

 

大したことじゃなかったってのはウソかな。まだちょっとだけ引きずってる。でも仕方ない、ぼくはずっとうっすら落ち込んでる。

 

梅煮でも作ろうかしら、とイワシを買っておいた。家に居なくて冷蔵庫に入れっぱなし。そろそろやらんと腐る、とブログ更新が遅れた。キーボードを叩く指が生臭い。

 

”余計なものを使わない”がテーマなんですが、いまだ成功してないのがワカメスープ。市販の鶏ガラの素を使わずにおいしくするのがこんなにも難しいとは!

 

鶏ガラからダシ取ってみたり色々試してるけど「ふふ、物足りない」と笑ってしまう。

 

将来的にはカレーに手を出してみようかとも思う。ぼくは稼ぐ目標金額を設定しているのですが、そこに到達したら島に住みます。島でカレー作ってます。

 

都会も田舎もなんとなーく分かったし、島がいいな。目標に届いた時点で老後ということにしよう。何歳でそうなってるか分かんないけど、予定と悩みのない生活を。

 

もうしばらくは騒いで生きる。やることがある。まずは生臭い手を洗うことから。

 

ではまた!

 

本日のBGM

「それすらできない/毛皮のマリーズ」