「息子さんは紙の無駄遣いがひどいです」と通信簿に書かれた。お母さんに怒られた。「この通信簿も紙だけどな」と返した。お姉ちゃんにシバかれた。
はろー!
(昔ね、もらったんですよ。それからずっと好き。スナフキンよりトーベヤンソンが好きですわ)
ぼく結婚式が大好きなんですが、割と嫌いな、というか面倒がる人もいますよね。なんでかなー?と思ってたけど、アレか。会社の同僚とか先輩とか、実はそんなに祝いたい人じゃないからか。
ぼくは社会人の経験がないし、そもそも友達も少ないから本当に仲のいい人のしか行ってないからかもしれません。
同級生かバンドの先輩か、東京でお世話になってるアニキのにしか行ったことないもんな。
でもだいすき。めちゃくちゃ楽しいし、しっかり皆が泣くとこで泣くし、お姉ちゃんの結婚式では親より先に泣いてた。
お姉ちゃんの結婚式は当時付き合ってた彼女と出陣して彼女も泣いてた。「ああいう場で泣いてる自分が好き」と最低な発言をしてたけど最高の日々だった(ぼくと付き合ってただけあるわなぁ。別れて10年。ぼくといた頃よりいい女)
自分が結婚したら絶対やりたい!
”ご祝儀無し”は決めてるんですけどね。借金してでもやりたいです。ご祝儀ってなんやねん、と思います。勝手に色恋して籍入れて金くれ、ってマジかよ。
いや、もちろん人のにはやりますけど。なんなの?偶数は”別れる”から良くないとか2万円は”ペア”だからOKとか、そんな時くらい気持ちよく気持ちを払えよ。
文句言ってても清々しくないからぼくは”素数”で大体いってます。その時の経済状況にもよりますが30011円とか。偶数がダメだっていうなら正しいだろ、といちいちカンに触る野郎です。(小銭入ってんのビビった、とよく言われる)
こういう決まりって”優しさ”かも知れませんけど。オリンピックの金メダルってゴールドで出来てないでしょ?
国によっては貧しいところもあるし。ゴールドは敷居が高い。
”金”がなぜ高いのかって「キラキラしててキレイ」と「希少性」。この2つが伴わないと価値は生まれない。
キレイなだけなら「ガラス」でいい。希少性だけなら「無名歌手の新曲」でいい。需要と供給、これだけが価値を決める。
といってもSNSの登場で誰も知らないクリエイティブなど腐るほど生み出されて発信されてるんだけど。
ぼくの需要は世間の供給からズレてるようで、ほしいものが安く手に入ったりします。テレビデオが欲しかったのですが(若い子しらんよな)、300円で売ってもらいました。
なぜテレビデオが”ほしい”と思ったのか。理由はいろいろあるけど、いちばん顕著なのは”持ってないから”です。
わかります?
ぼくはこれをよく”幸福”で表現するのですが、ぼくがもうテレビデオを持っていたら「テレビデオが欲しい!」とは願わないでしょ。だってもうあるから。
持ってないからこそ願う。ということは、まずは「持っていない自分」が必要なわけです。
「幸せになりたい」と願ってしまうと、それを叶えるためにはまず、「幸せではない自分」が必要不可欠になるのであなたは不幸になるんですよ。
人ってたぶん持ってない事ばかりに目が行く。そりゃそうでしょ。もう持ってるモノには気づくことが出来ないんだから。
ホームレスになったから分かった。恋人がいない、家がない。お金がない、仕事もないしやる気もない。
でも本当はたくさん持ってた。
健康な体があったし、心臓があったし、字も書けるし話せるし、友達がいたし贅沢なことにスマホもあった。私の目には破れてはいたけどコンタクトレンズが入ってた。
「別れた彼女」は童貞にとっちゃ「彼女がいた過去がある」になる。
状況をどう捉えるかってだけで、それがすべて。婚姻届は事務的に行われるだけだが、女性からしたら「それまでの苗字を書く最後の機会」かもしれない。
意味を考える。ぼくは意味を考える。
告白しての「考えさせて」は”断り方”を考えてるし、性交渉の「疲れてるから」は”あなたに”疲れてる。
ハンス・J・ウェグナーっていう北欧家具のデザイナーがいるんですけど、えーと、なんだっけ。Yチェアだっけ。ごめん、たぶん違う。なんかそんな椅子つくった人なんですが、92歳で亡くなって、関わってた開発チームが樹齢92年の木材でその椅子をつくったんですよ。
なんかさー、すごい良くない?
そんなの好きじゃない人からすりゃ見えないことだけど、うーん、月並みだけど愛があるじゃん。それに触れられたことの満足度みたいなのがあってさ。
人がすきなものとか抱えてるものには絶対理由があるわけで、無知からくる批判ってマヌケじゃないすか。なんで好きなのか、そうなのかを話せたら会話ってすごい楽しいと思うんですよ。
だっせえな、とか言う前に聞くことあるんじゃね?共感どうのこうのがね、ちょっと早いと思うのですよ。そんなこと言ったら話してもらえなくなるじゃん。
間違ってるのはいつでも観測者であるぼくらだ。ぼくらが見てさえいなければ不思議なことは地球上で何ひとつ起こらず、自然現象として当たり前に過ぎていく。
知識や経験、要は「知ってしまうこと」で排除されていく。”ふしぎなこと”を追えば追うほど生活から”ふしぎ”が死んでいく。
もっと分からないことを求めるから。ぼくらは分からない事に興味を抱く特異生物。旦那が理解できない、嫁がわからない。会社の正義がわからない、生きる理由がわからない。
ぼくらはそれを望んでる。
分からないまま死んでいく。
なぜ死ぬのかもわからない。
ぼくらがそれを望んだから。
死にたくないのは生きてるからだ。
え!?
イエー!おれ生きてる!おれも!おまえも!「死ぬとかマジ引くー」で乾杯だ!それでもまだ考えちゃう?でも大丈夫、ぼくは宇宙の仕組みを知っている。
その前にムーミンでも読んどけ。
「このリスはやがて土にかえるでしょ。そこから木が生えてあたらしいリスたちが跳ねまわるわ。それでもあんたは悲しいことだと思う?」
ではまた!
本日のジョギングBGM
「CAN YOU CELEBRATE?/安室奈美恵」(自分の結婚式では流すけど?なに?)