”ちょっといいな”って子が参加してる合宿行きてえーーー

 

はろー!

(三島はとりあえず潮騒だろう。三島由紀夫の日本語はとにかく美しい。思想はそのあとでいい)

 

ミステリーはほとんど読まなかった。それは友達が”老後に読む”と言ってたことに影響を受けていたから。

 

好きは好き。

だから理由をキムタクのせいにして映画を観てた。

 

「ある閉ざされた雪の山荘で」を観ましたが、ぜんぶ含めてオチまで読めました。理由を探れば”東野圭吾”という名前が強すぎるというところでしょうか。

 

東野圭吾がこんなミスを犯すわけがない、という信頼が選択肢を少なくして予想を立てさせてしまう。それでも面白いからすげえなこの人、なんだけど。

 

東野圭吾の予備知識がなかったら読めなかったと思う。

 

このタイミングでこの作品を観るということには意味がある。ぼくは運命論者だ。人は会うべき人には会うべき時に会うし、別れるべき時に別れる。

 

友達が「おまえのおかげで今の彼女と会えたから感謝してる」と言う。ぼくがその子と飲んでる時に知り合ったからだ。

 

「彼女じゃないの?」「違う」

「狙ってるの?」「狙ってない」

「口説いていい?」「勝手にせえ」

「ほんとに?」「おまえダルイな」

 

なんてやりとりをくり返して恋人同士になり2年ほど経つ。ぼくのおかげ、なんて的外れ。なぜならぼくとその子がそこに行ったのはその店があったからだ。

 

マスターのチヨさんが居たからだ。そしてその親御さんがチヨさんを産んだからだ。店を開いた下北沢があったからだ。東京が生き延びたからだ。日本が存在したからだ。地球という入れ物があって宇宙がビッグバンを起こしたからだ。

 

感謝するならビッグバンセンキューって言え!とぼくは投げかける(なに言ってんの?となる)

 

ぼくは運命論者。

すべてを受け入れる。

 

さいきんで言えば家で弾く用のギターと自転車が欲しかった。(こないだのライブの日にギターケースが壊れた。別のものにしようと思ってたけど、ライブが終わるまで耐えてくれたんだな、と思うと捨てれなくなってテープで補修して使ってる。みっともない見た目になっちゃったけど男前だよ、これからもよろしく)とりあえず安く手に入りそうな店舗に足を運んだ。

 

計28000yenが必要だった。本当に必要だとしたらポンと手に入るだろう、と散歩をしていた。

 

パチンコ屋の前で千円札を拾う。人通りも多い中、ぼくだけがそれを見つけた。その千円札をスロットに突っ込んだ。

 

即当たりを引いて、換金すると28000円になった。(ピッタリそうなるんだよなぁ)そのまま自転車と中古のギターを買った。

 

千円が三万に変わるならもうちょいニートでもやるか、と次の日も同じパチンコ屋に行く。今度はなにも起こらず1万円失った。

 

ぼくはすべてを受け入れる。

 

「あ、じゃあここで狙ってた仕事に連絡すればいいってことね」と電話。これは昨日じゃダメだったんだろ、と考える。

 

ここで雇われなければ”そこで働くべきではない”という提示。またなにかに出会うだろう。人生なんかナメてかかって釣りがくる。

 

ただし、ぼくはプロの無職です。

 

今まで借金のひとつもしたことがない人が「ラクがしたい、働きたくない」くらいの感覚で飛び込んでいい世界でないことは言っておきます!まあそんな人はハナから来ないと思うけど。

 

「働かなければいけない」のは、あなたが「働かなければならない」と信じてるからでしかない。それ以外に理由はない。これは量子力学で証明されている。

 

仮にぼくの生き方に怒りが沸くのなら「働いてない人が幸せになってはならない」とあなたが決めているからだ。ぼくは関係ない。(当然、申し訳ないとも思わない)そしてあなたが働いている動機でもある。

 

ぼくは無職でタワマンの最上階に住んでる人も知っている。罪も犯してないし、宝くじが当たったわけでもない。

 

もっと言えば宝くじが当たらないのは「当たるわけない」と信じているからだ。宝くじを買うなら「どう考えても買わない人より可能性がある」と信じた方がいい。

 

これを仏教では「自我」。身近な言葉では「エゴ」と言う。”こうあるべきだ”というどうしようもなく身勝手な意識である。

 

ハマスやフーシ派、ヒズボラがイスラエルを攻撃するのも理由は近い。(近い、だろ)どちらが正しい間違いなどぼくは口が裂けても言えない。

 

機材の知識が欲しくてリハスタの面接を受けた。ビビるくらいボロカスに言われた。「条件が同じなら若い子雇うから」と普通に考えて普通のことを言われた。

 

”何をいまさら”とも思ったけどすごく悲しくなって、帰りの電車で落ち込んでいた。しゅんとしすぎてつり革がビヨ~ンとなってた。

 

すぐ”ま、いっか”となったけど。

 

こないだチヨさんの店で知り合いが中国のバカ野郎と騒いだ。話を聞いていると愛がない。(と感じた)ぼくの言い分を唯一理解したのはたまたま飲んでた人。

 

日本のよくないところ、を最短文字数で簡潔に述べたその人は”フランス人”だった。

 

「デモ、ワタシ、日本スキ。フランスも日本もモットいい国」。この言葉を聞き逃すやつは売国奴だ。(ごめん、言いすぎ)

 

日本語もすごく上手だった。彼女が日本人ということだけじゃなく(ちなみにめちゃくちゃイケメン)文章の組み立て方がすごい。日本語は日本人が思う以上に難易度が高い。

 

「花」と「鼻」は同じイントネーションなのに意味が違うし、「ハ」にアクセント置くと人の名前っぽくなる。関西弁だと逆になったり文章によってまた変わる。

 

「猫カフェ」は”お店にネコがいる”と分かるが「ドッグカフェ」となると”犬を連れていける”とぼくらは考えることなく思い込む。並行した名前には真逆とも言える意味が潜んで、生活や常識を持って成立し、意思の疎通まで図ろうとする。

 

”言葉では分かり合えない”のではなく、”そもそも分かるはずのないことを分かり合おうとした愛”が言語だとぼくは思う。

 

平仮名、カタカナ、漢字を持って、読み方何個あんのみたいな。文法もかなり特殊。こないだフィリピンの方と話したけど「TSU」が出来ないみたいで「CHU」になってた。

 

そんなわけのわからない酒の中、とあるスタジオに呼ばれた。きっとみんなマトモには生きてきていないだろう。世間との距離に悩んできた人たちだ(口には出さないが)

 

みんな優しい。

 

それでも「お前がいちばんイカれてる」と、もはや誉め言葉と捉えた。このメンツが揃ってぼくがおかしいの?と喜んで、とても悲しくなる。

 

名前もよくわからない何度も会ってる人に「また痩せたな!」と腹を殴られる。名前なんでしたっけ?と言っても「どうせ忘れるだろ」と笑っている。

 

ぼくは「みんなやさしー!」とニコニコする。イベントがあるから「次は2週間後に会えるんだね!」と騒ぐと「かわいいよなー、でも毎回初対面みたいなリアクションだよなー」とたぶん呆れてる。

 

でもみんなすごい。フォロワー4万人とか、なんだっけ、ライバー?で億稼いだとか。ぼくは知ったことじゃない。目の前にいるその人が面白くないなら目も合わせない。

 

いや、こいつどうでもいいでしょ!と言った相手がジャズ界で名前がある人だったりする。どうでもいいのはお前や!とツッコミを受けてテヘヘ。

 

「買い出し行ってきて」と初対面の女2人とコンビニへ出向いた。テキトーに喋ってて、この界隈の連中ってことは何かしらやってんだろなとは思ってたけど、ギャルサー?の東京代表みたいなことやってたらしい。

 

うわ、めちゃくちゃ苦手。と告げると、「あんた元ギャル男っしょ?」とか言われた。ふざけんな、と腹が立ったけど2歳の子どもの写真を見せてきて「かわいすぎる!」と熱心に語ってるのを見て好きになった。単純な私。

 

ぼくは幸せな人が好きだ。

 

それは不幸な人が嫌い、ということじゃない。一生懸命に生きてる人が好きだ。どうにかしようともせずにガタガタ抜かしてる人が嫌い。嫌いというか興味がない。

 

あっち行け。で終わる。

 

夜中に電話してきて出なかったら「しょうもねえな!」と送ってきて朝に返信してもシカトしてくるやつもいる。ぼくはなんでやねん、と笑う。

 

それが正しいとは思わない。(むしろ間違ってる)

 

願わくば、100歳になってもそんな風に出来たらいいなと思う。連絡ないと思ってたらあいつ死んでたわ!とゲラゲラしててほしい。

 

厳かになんてごめんだ。しょうもない死因がぼくの理想。うわー、あいつっぽいわぁと言われたい。まだ若かったのに、とか抜かすやつがいたら呪い殺してやる。

 

ではまた!

 

本日のBGM

「サーカスナイト/青葉市子Ver.」(ぼくはこの人に絶対勝てない、と思う。朝方の国道20号でハイボール片手に泣いてるやつがいたら、これを聴いてる私)