「米は食べない」というと「日本人の心だぞ?」とか言われる。「ほお、その心とやらにインドのカレーとか中華ぶっかけてんのかい」と返す。嫌われる。

 

はろー!

 

先日、10年ぶり?くらいかな、美容室に行きました。知り合った人が美容師だったので、どうせならお金は友達に落とした方がいいな、ということで連絡。

 

そもそもよっぽど仲良くないと、人と距離が近かったり触られたりするのが凄いストレスなので、自分で切ってました。

 

少し緊張したものの、その道のプロという意識がぼくにあったからか案外へいき。

 

というか、技術とこだわりに目を奪われ、なんだろう、自分がその人の作品になっていく感じに魅惑を感じました。犯されてるような。

 

写真を撮られたり、被写体になる人ってこんな感覚なのかなぁ。と模索する中、「ごめん、もうちょっと切らせて」とか「一旦シャンプーしていい?」と言われるがまま銅像になっていく私。

 

”つくる”ということだけに興味を持っていましたが、”つくられる”というのも悪くないな、と満足のいった日でした。また飲みに行きましょう。

 

クソみたいな毛先がきれいになってルンルンと歩いていたら、ちょうどその美容師さんと会わせてくれた人から家に遊びにこないか?と連絡がきたので直行。

 

すると現在休職中ということで、どうしたの?と聞くと気分が落ち込んで。と、そんなタイプじゃないと思ってたので少し驚きましたが「おれも!おれも!」と鬱2人がはしゃぎ、その彼女も加わって「いっちょ外に出ますか!」と下北沢へ。

 

行った店でたまたまパープルちゃんが飲んでいたので、わいわいとしていたら酔ったパープルちゃんに胸ぐらを掴まれ「次行くから来いよ」と脅され、(あ、こういう人なの忘れてた)と連行され、なぜかバーで社交ダンスを踊り、ギャラリーから拍手をもらい、毛先だけが整った散らかす夜に疑問だけが残りました。

 

ぼくは人の顔を覚えられない。俳優も分からないし、それが海外の人だと顕著に出る。親子の”似てる”も正直ピンときたことがない。(周りに合わせて言ってるだけ)

 

それがここ数カ月で気づいたのですが、ぼくはどうやら”顔”で判断していないらしい。

 

”歩き方”とか”グラスを持つ角度”とか”笑い方”で判別をしているようで、だから顔が見えなくても誰か分かるということに最近気づきました。

 

自分のこともよく分かってないんだから、他人を理解するなんて幻想だとより強く思います。

 

久しぶりに地元の友達と電話で話した。たまに電話し合う仲ですが、平均5時間くらい続くのでかけるタイミングが難しい。

 

ケンカが強い彼はムキムキの黒人もぶっ飛ばすようなやつなのに、おばけが怖いとか言い出して面白かった。

 

理由を聞くと「対等じゃないから」と、そこは彼らしいな。と思ったけど長い付き合いの中、新事実。

 

「もし自分もオバケならこうして、ああして」と、言ってることがほぼ武井壮でしたが朝5時に話すことじゃねえ、とその日の会話は終了。次はキャンプでな。

 

ぼくは限度ってやつが嫌いだ。

どこまでも行きたい!ってわけじゃなく、制限されるのがやだ。行かないのはいい。でも行けないってのがひどく鬱陶しい。

 

テレビの”音量MAX”は耳をふさぐ程にしてほしい。エアコンは50度くらいまで上げれて氷点下まで冷やせてほしい。

 

使いませんよ?

 

でも音量MAXでこのボリュームかぁ、、、と寂しくなる。音量がほしいだけなら解決はできる。単純にヘッドホンでもなんでも使えばいい。そういうことじゃなくてさ。

 

迷惑になるのは状況判断ができないやつの罪であって、製造したメーカーのせいじゃない。だから制限速度を超えたスピードが出せるクルマやバイクは好き。

 

たぶんそれは海外製品と戦うためなのでしょうが。

 

出さないですよ?

 

ぼくトロトロ走る方ですし。後続車がいたら譲ってゆっくり走る方です。心地いいスピードがそうだから。かける音楽で多少変わるけど。

 

助手席に乗ってると「こいつ気合うわぁ」と分かる。逆も然り。

 

こないだ社長連中が集まる飲み会に唯一お金を持ってないぼくが何故か参加することになった。(ほんとなんで??)

 

「私は○○をしています」と自己紹介が続き、「なんにもしてません。する気も大してありません」と”アピール”してやった。ウケたからよかったものの、思い返すと危なかった。

 

そこで驚いたのが普通に電車移動していたこと。

 

資本金だけで数十億の会社を経営する人たちと当たり前のように駅まで歩いた。ぼくも見習わなきゃ、と終電で帰ることを意識する。

 

でも混んでる改札を見ると、一旦引き返してしまう。気持ち悪くなってしまう。

 

みんな時間がないんだろう、とは思う。それでも時間と合わさって砂時計みたいな連中だ、とも思う。一定のスピードで吸い込まれていく。

 

それがきっと家族や生活、社会を守るための速度だ。

 

後悔は過去を変えたがってるし、反省は未来を変えたがっている。後悔も反省も面倒だ、と考えるぼくに時間は流れているのだろうか。

 

「主権、領土、国民」という国家としての条件、それを少数だとしても満たす。しかし国連に加盟していなければそれは飽くまで主張であって認可ではない。シーランド公国の伯爵になったろか。

 

年収が国家予算であり、2Kの領土とわずかな友。いよいよ正義の出る幕はなくなり世界はなにひとつ変わらない。

 

あなたのコンプレックスだけがあなたを生かすのだ。痛みだけが生きてることを暗号化したリズムで浸食しながら妄想を具現化する。

 

継承こそが芸術。

健康であれ。アイラブユー!をバラ撒け。

 

人は眠る時に死ぬ。

夜が暗いのは見えすぎないように。

寿命があるのは気づかないように。

 

生きていたいくせになぜぼくらは眠りたがるのだ?なぜ意識を失いたがるのだ?死が意識を失わせるのならば、ぼくらは”死にたがっている”。お昼休みに数十分でもいいから、と死にたがる。

 

生きとし生けるもの、すべての命が終わるのは、生まれ変わるからだよ。

 

たとえばタニシが不老不死ならば、生まれ変わった瞬間に、永遠タニシだよ?めちゃくちゃテンション下がるでしょ。

 

正しいことだけが正しいと思い込んでるヌルイ連中には分からないかも知れないが、あなたの”正しい世界”の狭さはちょうどあなたのおでこと同じくらいだ。

 

鏡で確認してごらん。そこに写ったテメーのマヌケさを思い知れ。「おもちゃのチャチャチャ」から自分で考えたことがあっただろうか。そう思い込んできただけではないだろうか。

 

たまにはベラボーに強いお酒や、煙草やとにかく身体に悪い何かを吸い込ませて、考えてみたら見えることもあるかもよ?責任はとらんけど。

 

へへへ、ではまた。

 

そんな日に流すBGM

「watch you go by/ezra furman」