雨の日にて。

「傘ないの?」「あったら差してる」

スーパーにて。

「袋のサイズはどうしますか?」「入れば何でもいいです」

タクシーにて。

「ルートはこちらでよろしいでしょうか?」「最短ルートでお願いします」

 

コレ答えないとだめですか?

 

はろー!

 

 

近頃は映画をよく観ています。2時間の視聴時間が苦だったのですが、慣れてきたのか心地よい過ごし方となりつつあります。

 

邦画の恋愛モノは「どこかに学びはないか?」と目を光らせますが、なんだったんだ?と思うこともよくあり原因を探します。

 

自分に置き換えて、恋愛の悦に浸るような鑑賞方法はぼくにとっては”不健康”であり浪費でしかない。

 

それなら恋愛をした方がいい。時間とお金をかけて出会って口説いてフラれるリスクを取らないやり方はバーチャルであり、そこに感動など存在しようがないと思います。

 

無料エロ動画もそうですね。不健康です、バーチャルです。家でゴロゴロしながら無料で手軽に射精する。それで明日に期待するなんて滑稽です。

 

恋愛映画がバーチャルだからブスとブサイクじゃだめだし、キスシーンが条件。くだらん。

 

食べ物もそうで、脳に「おいしい」と感じさせるように造られたバーチャル。本物じゃない。

 

すべての美は尋ねる人には理解ができない、つまり役にたたない。ぼくは”説明が嫌い”と言い続ける。それは説明されなければ理解できないのが大衆だ、という仮説が成立し余計に不快なものとなる。

 

文学には”必要以上に説明する”ということがある。これは筆者の類まれな技術であり才能であると思う。(あれ?100文字使って結局コーヒーひとくち飲んだだけじゃないか!みたいな)

 

決めつけることに罪はなく、それを意見として語り合うことは討論であり口論ではない。わからないものイコール否定する、共感する人だけを友と呼ぶ。なんて下品な価値観だろう。

 

ぼくはぼくの偏見で生きてるしこれからもそうするが、共感してほしいとは思わない。それが自由を余す所なく奪っていくことを知っている。

 

引きこもりは考えようによっては自由。”外”に閉じ込められない。

 

悩むのはどっちでもいいから。ぼくはそう考えています。だから大して考えずに決めちゃうことがよくあります。考えて最適解を出せるほど賢くないことを理解しているから。

 

だから見切り発車も毎日クラスであるし、なにコイツ?とよく思われています。

 

ぼくの中では成立してたり、してなくても知ったことか。と勢いのみで日々を過ごしています。お金に困ったら会うひと全員に「おごって」と言います。

 

ぼく的には「そうなるだろ」くらいにしか思ってないのですが、たまに引かれます。いや、でもね?財布がひとつだから出ていく額が増えるんでしょ?

 

だったら財布の数を増やしたらいいでしょ。つーかそれ以外にどうしたらいいんですか?

 

断られたら自分で出せばいい。ダメ元で言えばいい。でも大抵出してくれますよ。ぼくの周りは優しいなぁとつくづく感じます。実際、嫌がられたことは人生単位で1回か2回くらいしかないですし、縁が切れたこともないです。

 

逆にある時は出します。お金って気持ちよく払えば入ってきますもん。コレ話盛ってるとか言われるんですけど、なんだっけな、なんかの集まりで会計が2万円足りなくて、ぼく通帳に2万円だけ入ってたので降ろして支払い済ましたんです。

 

そしたら次の日、道に2万円落ちてたんです。あ、昨日の分かな?と普通に拾ったんですが、こんなことしょっちゅうあります。ぼくの身近な人はぼくが嘘をついてないことを分かってくれると思うのですが、あんまり信じてもらえないんですよね。(どっちでもいいんですけど)

 

話盛ってる、ってあんまり言わない方がいいですよ。世界が狭いことバレます。ぼく一切盛ってない。

 

一応、計算もします。答えが不十分な可能性はありますが。

 

何年か前にライブハウスで酔っぱらって財布を落としまして。無理して買ったヴィヴィアン。(しかも6万くらい入ってたからな!)

 

その時ほとんど働いてなかったので(なんやねんお前)口座にもほとんど入ってなかったんです。だから健康保険も払ってなくて、あれ1年くらい滞納すると差し押さえされるんですよ。

 

そろそろ押さえられるなぁと仮想通貨を買ったんです。オワコンじゃね?と言われていた頃なのでぼくにとっては都合がよかった。変動が少なかったから。

 

銀行口座に預けてたら取られるだけなので、仮想通貨を買って口座として使ったんです。差し押さえられないから。

 

結局なぜか爆上がりして、滞納分ぜんぶ払えたんですけど。(残りは一晩で使い切ってやった)

 

さいきん観た映画で面白かったのは「博士の愛した数式」。むかし原作は読んだことがあって、面白いのはわかってたし、深津絵里が好きなのでなぜ観てなかったのか?なのですが、やっぱりよかった。

 

ヘッドホンで野球観戦してるシーンの表現が好きでした。音の使い方がすごい。野球の音とBGMの混ぜ方が変則的で、おぉ、と声が出ました。

 

記憶が80分しか持たない博士と家政婦として働く主婦、とその息子。メメント・モリ的な哲学もありながらそこに数学と人情を織り交ぜた作品。原作者である小川洋子さんに想いを馳せつつも監督さま(すみません、存じ上げないのですが)もすごい人なのでしょう。

 

映画撮ってみたいなぁ。どうせ「やめときゃよかったー!」と騒ぐことになるのでしょうが。

 

80分しか記憶が持たないから毎日「はじめまして」をくり返すのですが、「君には息子がいるのか?」のセリフがなければそれを忘れてしまうほどの生活。(ぼくの記憶は20分しか持たないのか)

 

ぼくらは思い出に寄りかかりすぎてるのかもしれません。初対面の人にたいして必要以上に警戒したり、知らない人を無視したり。

 

一緒に居る人に、ありがとう。とか、愛してるよ。って言えたらいいな。その方がいいな。

 

ぼくの話を今日も聞いてくれてありがとう。できれば隣にいる人に伝えてあげてね?そしたらきっと今日も地球は回ってくれる。

 

いま息をしてるだなんて奇跡だよ?だれか金よこせ。

 

ではまた!

 

本日のジョギングBGM

「通報されるくらいに/SION」(シオンってすぐケンカするけど弱いんだって。最高かよ)