レストランで言われる「お決まりの頃にお伺い致します」。それ人によるだろ。

 

はろー!

(眺めすぎて復刻版か否か一瞬で分かるようになった)

 

わーい!

クリスマスだいすき。

 

というかクリスマスからの年末年始における街の賑やかさに上機嫌のなっちゃって浮かれ気味だわーん。テレビCMも染みるのが多いなぁ。

 

朝の時間はもっぱらクリスマスソングばかり流して家の中でスキップ!(するほど広くないから痣が増えている)

 

年の瀬迫るデパ地下は毎年、用もないのに寄ってしまう。なんにも買わないのに寄ってしまう。きっと家族で過ごすであろうオバチャン達が少し忙しそうに、少し慌ただしく正月の準備をしようとする、きっと今年も。日本の好きなところ。

 

普段はケツ蹴ったろか、と思うオバチャンが景色を作ってていい雰囲気。これが無くてぼくに理性が欠如していたら100人くらいは殺してるかもしれない。

 

街のイルミネーションも流れる歌も、寒さを重ねながら風に吹かれてぼくを避けずに通りすぎていく。ヒートテックを貫いて。

 

そりゃ恋人がいたら尚いいが、ぼくは夢だった「彼女とディズニーランドでおっきなツリーを眺める」というのは過去に叶えてる。とびっきりに可愛い子だった、ド天然だったけど。

 

ぼくはブスに恋焦がれることはないしデブは論外。それが人種差別になるというなら国家権力にさえ反旗を翻す。ハマスも引くほどのテロを起こしてやる。

 

戦争を起こすのはいつでも民主国家ではない誰か。引き金に指をかけたのはいつでもそうだ、それは歴史が証明している。

 

家はあなたのモノかもしれないが、その窓から見える景色はオマエの所有物でも私有地でもない。海にまで線をひいて恥ずかしくないのか。

 

ぼくは日本が好き。愛国心だなんて言うと大げさだし嫌がられるけど、ぼくは日本で通用する言語を話し、聞き取って文化に従うよ。

 

気に入らないところもたくさんある。

 

女は神だ、と豪語して譲らないぼくにも女を甘やかすな!という理屈がある。

 

発言ひとつでセクハラ認定され、男が一瞬で完全敗北する世の風潮は阻止しなければならない。そんなことじゃアイドルやAIといった仮想現実に走り出すのは自明の理だ。そんなにEDを増やしたいのか。

 

女友達が「キムタク世代以降、口説ける男が減ったように思う」と言っていた。ぼくは面白い論理だと思った。

 

草食系?

 

ぼくはどっちでもいい。ただ草食というのは食べるモノの種類のことを言うんだから、女が草ってことになってない?などといらんことばかり考えている。

 

前にここで話した映画「トエユモイ」主演のはまださつきさんとパイプが出来た。たった1往復のやりとりしかしてないけど、ぼくは嬉しくて仕方がなくて、するスキップはボンヤスキーのフラインイングニーほど高い。(誰がわかんねん)

 

仲良くなってトエユモイの答え合わせがしたい。あのシーン、ぼくはこう捉えたんですがどうですか?という話がしたい。

 

当たり前の事しか話さない飲み会には正直なんの価値も見い出せず、店が好きでも集まるお客がそうなら見切りをつけてきた。

 

だからぼくを嫌いな人も多いと思う。でも「犬に吠えられて腹を立てるほど馬鹿じゃない」と完全に開き直っている。

 

しかし夜の酒場で奢る1杯のカクテルと歯の浮くようなセリフ、うっかり逃した終電が子を産むのだ。冷静になってはいけない。

 

4000万人ほど居る年金受給者にとって景気やこの国の未来など取るに足らず、投票率はその大半が占め、半分以上がアホだ。

 

ぼくだって賢いわけじゃない。でもせめて理解しようとするくらいの矜持は持っている。わからないなら「わからない、教えてくれ」と言える程度の知能はある。

 

常識を理解することで非常識を扱えるようになる、というのがぼくの理念だ。

 

不幸になるのと幸福になる難易度はぴったり一致してる。カンタンに不幸になれるならカンタンに幸福になれる。(ただし、幸福は維持に努力が必要だ)

 

ただ周囲を気にしてしまうと、どちらも難しい。”誰にどう思われるか”に気がいってしまうと途端に動けなくなるような気がする。

 

プライドの高さは知能の低さ、と考えるぼくも全くない、といったらウソになる。ぼくは常識人だからだ。

 

でも「怪しんでる人」より「怪しい人」のが幸福度は高いだろう。ぼくは怪しい人になりたい。じろじろ見られたい。

 

しかし怪しい人はたぶん、じろじろ見られてることに気づいてないんだろう。太宰治が評判を気にしていたとは到底思えない。

 

見られていることを理解しながら続ける表現者には強靭なメンタルか、何を置いても発信する信念がある。責任感では背負えない、使命感。

 

ジョン・レノンは社会に物申すアクションを起こし、「売名行為か?」と記者から聞かれ、「おれはビートルズだ。いまさら売名などするか」と言ってのけた。

 

ジョンがこの世を去って40年以上が経つが”WAR IS OVER”は達成されていない。だがイマジンもまたぼくらに聴こえている。

 

HAPPY XMASが今年も街を飾るだろう。「世の中いいとは思えないが、ともかくハッピークリスマス」とジョンは歌ってくれるだろう。

 

ぼくも楽しいことをしよう。とりあえずプロレスなんかを観に行きたいな。

 

コーヒーと本さえあればルンルンなぼくは安上がり。たまに歌ったり絵を描いてみたりするくらいだけど、バリ島やカナダにオーロラを見に行きたい。(カナダならAk  Englishのあかねさんにコンタクトを取りたいな!)

 

弁当屋のおっさんが「明日も弁当作りに来なきゃいけねえ」とぼやいた。違うだろ、あんたは「誰かの命を繋ぎに」来てるんだろ。

 

仕事って基本的に「誰かの代わりに何かをする」、もしくは「代えが効かない何かになる」の2択しかない。

 

どっちも素敵なことじゃないか。

 

人は得るものより失うことを恐れる”損失回避の法則”に憑りつかれている。するかもしれない得より損をしない道を取る。

 

ゆえに「絶対に損をしない投資」なんていうわけのわからないものを探し始める。まったくもって時間の無駄だが、意外に多い。保険会社や不動産に騙される道理だ。

 

長袖のTシャツ、甘いカレー、ぬるい熱湯、そんなものは存在しない。あるとするなら「経験」くらいじゃないかな。

 

「騙された経験」も財産にはなる。盗まれることもないから円より株よりゴールドより安定資産。

 

”登山が嫌い”という人がいた。理由を聞くと「わざわざお金かけて疲れるとか嫌いだから」という。ぼくは意味がわからなくて、しばらく「???」となっていた。

 

え?それ良いとこにフォーカス当ててないだけで世の中ぜんぶそうじゃない?と聞いても納得してくれない。

 

タトゥーを入れてる人だったから「わざわざお金かけて痛い思いしてるじゃん」と問うと「痛くないもん」と謎の発言を続ける。

 

それは「我慢できる」という意味であって痛くないわけねえだろ、もし本当に無痛なら神経バグってるから病院行け。と批判しておいた。

 

ぼくは楽しそうと思うとリスクに気づかないことがあるから偉そうなことは言えないけど、それでいいと思ってる。

 

バク転ができるようになったのも「女の子にモテるかも!」としか考えず、恐怖がなかった。小学生からたいして変わってない。

 

今もまだ五体満足で生きてるんだから、感じた不安なんてどうでもいいことだったんだろう。

 

これから何かあってもぼくは後悔しない。ずっと幸せだったはずだから。大事な指輪を無くしたけど、「その指輪を手に入れる前の幸せな日々」に戻っただけ。

 

昨晩、つけてた缶バッチをお団子ガールが欲しがっていたのであげた。お気に入りだったけど所詮はモノだ。大阪から友達が個展を開きに来た時に買ったやつ。

 

所詮はモノだ。

 

「友達を応援できたこと」、「お団子ガールが喜んでくれたこと」。

 

価値ってのはそこにあるんだ。1つ買って2つの価値が生まれた。これが投資のやり方だ。OK?

 

ではまた!

 

本日のジョギングBGM

「Birthday/Sugarcubes」(ビョークっぽいアーティストってほんと居ないよなぁ)