サブウエイの怪人 The Phantom of subway -2ページ目

私が中学生ぐらいの時にグループサウンズが、

ニューミュージックとしてその時代の大人達に「今時の若いものは」と

言われながらも長髪スタイルと共に大流行しました。

グループサウンズ、フォークソングの影響で、ギターが大流行しました。

若者はギターが弾きたいと皆ギターを買い求め、ギター教室が大流行、

テレビや通信教育でも盛んにギター教室が行われました。

やがて、若者たちの関心はエレキギターへと移って行きますが、

俗に言うところの「クラッシックギター」も沢山のファンがいました。

映画「禁じられた遊び」のテーマ曲を自分で弾きたいとの思いから

多くの人々が果敢にギターに挑戦しました。

各地で盛んにコンサートなどが開催され、

職場や学校ではアンサンブルが組織されました。

私の家でも姉がギターを父親から質屋で買ってもらって、

我が家にもギターが出現しました。姉は器用だったので、

流行の歌をギターの伴奏で歌っていました。

私もギターに興味を持ち、姉の留守を見計らってギターを触っていました。

私も「禁じられた遊び」を自分で弾きたいと思い、

「東京ギター音楽アカデミー」の通信教育でギターを学び始めました。

毎月送られてくるテキストとレコードを楽しみに、

悪戦苦闘しましたが、テキスト通りなかなか進まず。

あっという間に最終回のテキストが届いてしまいました。

その後も自分なりのペースで、テレビのギター教室や、

様々な教則本を副読本に練習を続けました。

高校生になった時分には、学校から帰ったらギターを握り、

練習に夜遅くまで励みました。

その当時7,000円のヤマハギターを近くの楽器店で購入した

嬉しさも昨日の様に覚えています。

また地元の楽器店のギター教室にも通い始め、
 松永武先生にギターを習い始めました。

そして先生が社会人や学生で組織している

「松永ギターアンサンブル」のメンバーにも加わりました。

ちょうどその頃、高校の担任の先生がギター音楽ファンで、

その担任の先生が阿部保夫さんを招いて

全校生徒が体育館で阿部保夫さんのギターを聞きました。

またその担任の先生が顧問になりギター同好会が組織され、

担任の先生から勧められ、私もメンバーの一員にもなりました。

正に私の青春はギターでした。

当時、何かの生きがいを自分なりに求めていました。

何かに夢中になりたかった。私はギターにそれを見出し

「自分は将来プロギタリスト」になるんだと、無理やり思い込み、

それを生きがいとして、

その当時の自分の今からの人生に対する不安を静めていたような気がします。

毎日のレッスンの記録をつけ真剣に練習しました。  

そのレッスン日記は現在も残っています。

たわいも無い内容ですが、今、記録しておいて本当に良かったと思います。

それを見ると当時の自分に戻れます。

その後高校を卒業し、専門学校へ進学、中退・・・・、さまざまな出来事があり、

21歳で最初の結婚、ギターなど握る余裕は私の中には存在しなくなり、

いつしかギターは押入れの奥にほこりをかぶって放置され続けられました。

京都交通局が粋な企画をしていると知り、
地下鉄の構内だったら響きが良くて
練習場所には最適ではないかという思いと
演奏会だったら聴衆が気になりかなか思う様に演奏出来ないが、
演奏会に来たのではなく通行人を前にだったら、
人前で弾くことに慣れる場には最適ではないか
と思い、演奏を聞いてもらうと言うより、練習の場として活用させて頂ければ
という思いから、サブウェイパフォーマーに応募させて頂きました。
三月の終わりにオーディションがあり、関係者20名位の前での演奏と
インタビューがあり、公共の交通機関がこんなに労力をかけて取組んでいる
事に感動しました。交通局の企画に少しでも彩りを添えられたらと
思いますが、




今日から大和西大寺の職場に通勤が始まる。
30歳から、アメリカから進出してきたサプリメントのメーカーで
フルコミッション契約の広島県、山口県の営業担当者として働いた。
それから三年後には京都府、滋賀県の担当になり、
今年5月までその立場で仕事をして来た。
担当する地区の運営は独立採算制だったので、
売上に応じて必要なことは自分で考えて整えて行く必要があった。
スタッフも10名ぐらい抱えた時期もあった。
京都に来てからは、世の中はバブル景気に突入し、売上は毎年成長のみ!
前年より毎年下回る事のない状態が10年以上も続いたのだから、
今からしてみれば考えられないことです。
時は止まらず流れて行き、同じ立場で仕事を続けて行く事に迷いと苦痛を感じ始めたので
独立採算制の立場を放棄した。ボスの配慮でメーカーである会社の社員として、奈良の受注部署で働かせて頂く機会をえることができた。
通勤する生活は30年振りである。
今日も東京御成門交差点のコーヒーショップでモーニング、ここ数日毎日ここでモーニングである。地下鉄の出口から職場に急ぐ人々の色々な朝の顔がある。
笑っている人はない。当たり前の話しではあるが、黙ってもくもくとひたすら歩く!
とにかく職場に向かう理由は自分に問わず、そうする事によって毎日が起こるので、
ひたすら歩く必要があるのかもしれない。   こんなところでブログを書く姿に憧れて何かわけわからずキーボードを叩く自分も笑ってはいないのです。
今週は月曜日から東京で過ごしている。東京は宇宙都市みたいに田舎者の私には映る。
東京にいる人も私のような田舎者が構成している訳だから不思議に思う。
東京と言えば、私の桜井ギターの名前の由来を思い出した。
2007年の8月に、一年がかりで作製して頂いた桜井ギターを誕生日である8日に引き取りに行くことになっていた。その前日にあるセミナーを主催した。そのセミナーは自己開発的な内容のもので、ある女性がご自分の体験を混じえてお話しをしました。
その話しの中で、目標設定についての話のくだりの中で、
「たとえば、明日あなたが、東京に10:00に行くと言う予定があったとして………」
と話したのです。それは正に私のギターを受け取りに行く予定であったのです!!!😱
ここ数ヶ月、完成するギターの名前をあれこれ考えていた私はその時
完成するギターは、彼女の名前だと確信しました。
彼女の名前は「なつ美」さんだったので、完成したギターの名前がわかったのです。
私は真剣にその事を確信しています。