サブウエイの怪人 The Phantom of subway
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ギターは音を発生する物(弦)に直接手で触れて、
それもほとんどの場合両手で、
出したい音を出すことがまず難しい。
通常右手は爪を使う。爪はご承知の通り伸びる。
出したい音を出すために物理的に考えたら
なかなか思う音が出ない。
気持ちを込めて歌うと口は動く様に
気持ちがあったら、手が動く様に最近思う。



初ライブで置いていたら、一枚はなくなっていた。・・・・・!
どなたが持って行って下さったのか?


本日13時より、烏丸御池地下鉄で初ライブ挑戦!
想像以上に、電車の騒音!
しかし1時間30分引き続けた。
この場所は、ちょうと無理があるので、次回の挑戦は「京都市役所駅」にしようと思う。
とりあえず、今日はひたすら回りを無視して弾き続けることに意義ありだったので
今日の目標は達成した事にしよう。
途中一回だけ、拍手と、カメラのフラッシュが光ったのは、
何となく嬉しかった。

こんな人生を送って来た、こんなおっさんがいるのです。

何故かこの歳になって、

モーツアルトやベートーベンが生きた時代に、

素晴らしいギターの作品を数え切れない程残している芸術家が

存在していたことを一人でも多くの人に知らせたいと

言う衝動に駆られています。

素晴らしさを伝えるに十分なテクニックや

音楽教育を受けて来た訳でもない私なのですが、

そんな思いを持ちつつギターを友として、

人生の締めくくりの時間を生きて行きたいと思っています。

 

そんな気持ちから本日「烏丸御池地下鉄ホーム」で弾かせてもらいます。

つたない演奏ですが、

誰かがギターの素晴らしさ発見するきっかけとなってくれれば嬉しいです。

「皆さん!もっともっと本当に素晴らしいギターの曲が沢山あるのです!」

30歳でサラリーマンを止め、自然食品を扱う自営業をスタート、

その仕事の関係で33歳の時、京都に移り住みました。

仕事も軌道に乗ってきた38歳位の時、「もういちどギターを弾きたい」

という思いから、新川典夫先生の門を叩き、

趣味としてギターを友とする日々が始まりました。

新川先生の「本当に上手になりたかったら、

ギターを良いものを持たないと上手くはならない、

生徒は上手になったら、高価な良いギターを買うとよく言うが、

だからいつまでたっても上手くならない」

と言う助言に従い、50万で河野ギターを先生に発注して貰いました。

約3ケ月後、完成したギターを手にした瞬間に、

新川先生の言葉が理解出来ました。

忙しい仕事の毎日の中で、レッスン日に新川先生の所にいる時間は、

私の中ではタイムスリップしたような、時間がゆるやかに流れる、

「なつかしい時間」とでも言うような「癒しの時間」でした。

いつも通りレッスン日に伺う中で、

急に先生は体調をお悪くされ、突然お亡くなりになられました。

それからはまた、ギターが私から離れてしまう日々が訪れますが、

何年かの年月が経過し、知らず知らずの内に、

たまにはギターを弾き始めている自分がいました。

ある日左手の薬指の第二関節の部分が、カクン、カクンとなって

何か指に異変が生じました。

昔から弾きたかった曲が弾けるようになって、

毎日仕事から帰ってから夜更かしをしてギターを練習しました。

半分冗談で妻に「俺は大変な世界に入り込んだ、

とてつもない深い世界に引き込まれようとしている、困った、困った」と

言ってギターの素晴らしさに多少の恐怖感さえ覚えました。

2004年の5月についに左手の薬指が腱鞘炎になり、

腫れ上がり全くギターを弾けなくなりました。

整形外科に行き腫れは治まりましたが、薬指は曲がらなくなり、

左手は手全体に力が入らなくなりました。

妻は「あんなことを言っているから、ギターが弾けなくなったのよ、

何でも口にするとその通りになるのよ」と言われて、

私もそれを認めざるを得ませんでした。

それからまたギターは押入れの中で眠る日々が続くことになります。

私はもう「一生ギターは弾けなくなった、ギターのことは忘れよう、

仕事に専念しなさいと言う神様からのお達しだ」

と自分に言い聞かせました。

しかしギターは手放したくはありませんでした。

医者は「手術をすれば、すぐ普通通りに動くようになる」と

言いましたが、何か手術する気にはなりませんでした。

歳月が流れそれから2年後に、

何とかギターがまた弾けるようになりました。

薬指の違和感はありましたが、毎日の練習を再開しました。

その中で新たな発見が幾つもあり、

昔の自分の演奏のレベルより随分進歩した事を実感できるようになりました。

2010年から北口功先生に指導を受け

ギターを自分なりに追求しています。