以前、当ブログを読んでくださっていた皆さま、ご無沙汰しております。
約2年ぶりの投稿ですが、読みに来て下さった方、ありがとうございます。
私は、研究生(聖書レッスン生)ではなくなりました。
・・・と言うのも、だいぶ前のことなんですけどね。
辞めるに至った経緯を書きますと、
「JW組織の導き方に、同意できないものが多々ある」
ということを、聖書レッスン中の話の流れで、司会者さんに
何度か話したことがきっかけでした。
例えばどういう所が?と尋ねられたので、
「組織一丸となって、排斥者や断絶者を完全無視すること。
家族であっても無視。これが最も疑問。
排斥された女性が集会に来られた際、
皆であからさまに避けたり、
遠巻きにヒソヒソ話している所を目の当たりにした時は
耐え難かった」
(※この時のことは、過去ブログでも触れています)
その他には?と聞かれたので、、、
・人と関わる際は、その人が神との関係を保っているかで
判断するべき、と教えている所
・「してはいけないこと事項」の根拠の説明が、理解不能
(誕生日祝うこと禁止,剣道等禁止,高等教育△,世の人との交流等)
解釈の仕方は色々あっていいと思う
・疑念を持っても、長老や監督に従うことで信仰を示せという所
・エルサレム陥落の年代が、どの本を調べても、B.C.607が
見つからない → 組織の資料しか信用(採用)しない
・「世の人」という呼び方。JWと 世の人 の境界線を強調する所
主にこの点を挙げたところ、
司会者さん、めっちゃ怒りました。
そりゃそうだよね~。
まるで私がサタンであるかのように感じたんだと思います。
レッスン終了後、私が司会者さんの家を出たとたん、
ものすごい勢いでカギを閉めておられたので。
司会者さんは組織に超忠実なので、想定内ではありました。
お世話になっている司会者さんに、これを言うのは抵抗も
ありました。
「一人でも多くの人を救いたい」という思いで、エホバの証人を
なさっている方です。親切な方です。
でも、私は研究生を続けていくことに疑問があったので、
いい機会だと捉え、上記を伝えました。
司会者さんは、この後すぐ奉仕委員会の長老へ話したようです。
それで、次の聖書レッスンの際に私は「研究中断」を言い渡されました。
「組織の長老」としては、こうするのは当然なんだろうね。
しかしながら、邪魔者を排除するかのように 研究中断 にして、
疑念を抱いている人に、長老からも「一緒に疑問を解決しよう」
とする大らかさが少しはあってもいいんじゃないかな。
牧する者って、何やねん。
司会者さんに「研究中断」を丸投げしているようにも感じました。
長老とは集会で顔を合わせてよく雑談していたし、
聖書レッスンにも何度か研究参加されていたのになぁ。
それから暫くして偶然会った時、長老に避けられているようにも感じた。
親しみやすい方と思っていたので、私もがっかりしてしまった。
でも「こんなもんなんか」と、逆に辞めやすくて良かったのかも。
私が会衆の方々に、上記の疑念を言って回ることを、
長老は心配されていたようです。
仲間の羊を守るため、なんだろうけどね。
言わへんわ!!
会衆の方々は優しく思いやりのある方々ばかり。
信仰してる人の邪魔はしたくない。
やっぱり、バプテスマに興味ない人が、聖書レッスンなんて
受けたらアカンね。(←何を今さら)
司会者さんや、私を集会に誘ってくれた人を思うと、
自分から聖書レッスンを辞めると言い出せなかった。
聖書自体は興味が出てきたけど、組織の教理ばかりで、
理解に苦しむ内容が目立ってしんどくなってきたので、
長老側からクビにしてくれてよかったかも。
何かモヤモヤはするけど。
もし、これから聖書レッスンを始めようとする人が
このブログを読んでくださってたら、次のことを言いたい。
・聖書に興味あるというだけで始めない方がいいよ~
・声かけてくれた人が親切な人でも、情に流されたらアカンよ~
・バプテスマに興味ないなら、レッスン始めない方がいいよ~
・でも、エホバの証人の方々は、真面目で自己犠牲の精神に
あふれている人たちだよ
研究生でなくなった今でも、司会者さんとは連絡を取り合っている。
主に、ZOOM集会のお誘いや再訪問がメインだけど。
JWの方々と、一般の人々、信仰を伴うと難しくなってしまうのは
悲しいことだなぁ。
研究生ではなくなったけど、JWの方々の幸せを願っています。