国道1号から12号まで――日本の骨格は、こうして作られた
――「163号線は、いつ終わった?」から始まった寄り道
先日、国道163号線を大阪方面に向かって走っていた。
すると、いつの間にか国道1号線になっている。
「あれ? 163号線はどこで終わったんだ?」
調べてみると、ちょっと面白いことが分かった。
国道163号は、大阪・梅田新道を起点に、京都、奈良を経て三重県津市まで続く道路だ。ところが大阪市内では、梅田新道から関目5丁目交差点まで、国道1号と同じ道を走っている。つまり、**163号が終わったのではなく、1号と「重なっていた」**のである。関目5丁目で163号は1号から分かれ、再び単独の道として京都方面へ向かう。
「なるほど。国道って、一本ずつ独立して走っているわけじゃないのか。」
そこから、国道の番号そのものが気になってきた。
そもそも、なぜ1号が東京―大阪で、4号が東京―青森なのか。
そして、なぜ163号は大阪から京都、奈良を通って津までなのか。
調べていくと、国道の番号の向こう側に、日本の交通網そのものが見えてきた。
現在の国道制度の基本が作られたのは1952年。
当時、まず重要視されたのが、日本列島を大きくつなぐ幹線道路だった。
その中心に置かれたのが、1号から12号までの国道である。
1号は東京―大阪。
2号は大阪―北九州。
3号は九州西側を通って鹿児島へ。
4号は東京から東北を縦断して青森へ。
7号・8号は日本海側を走り、9号が京都から山陰を経て下関へ。
そして九州東側には10号。
さらに11号は四国、12号は北海道へ。
一見すると番号がバラバラに飛んでいるように見える。
しかし実際には、
「日本の主要な地域を、どの方向に結ぶか」
という骨格を先に作ったと考えると分かりやすい。
そして、ここで重要になるのが「ハブ」だ。
東京の日本橋、大阪の梅田新道、京都の烏丸五条など、複数の国道が集まる場所がある。
飛行機でいう「ハブ空港」と同じで、道路でも人や物の流れが集まり、別の方向へ分かれていく交通の結節点が生まれる。
しかも、こうした場所の多くは国道ができる前から重要だった。
街道、宿場、港、城下町、川の渡し場。
昔から人が集まり、道が集まっていた場所に、近代の国道もまた集まっていったのである。
だから国道を調べていくと、江戸時代の東海道や中山道、甲州街道などが顔を出してくる。
国道は、突然ゼロから作られた道路網ではない。
昔の人が「ここを通るのが便利だ」と選んだ道の上に、現代の道路が重なっている。
163号線を走っていて、1号線に変わった。
その小さな疑問から始まった寄り道だったが、調べてみれば、そこには「重複」という国道ならではの仕組みがあり、さらにその先には、日本列島の骨格を形作ってきた街道の歴史があった。
国道の番号は、単なる数字ではない。
どこからどこへ人と物を流すのか。
どこで道をつなぎ、どこに人を集めるのか。
そんな日本の交通の歴史が、一本一本の道路と、その番号の中に刻まれている。
次に国道を走るときは、道路標識の「おにぎり」を少し気にしてみよう。
「この道、いったいどこまで続いているんだ?」
そう思ったところから、また新しい寄り道が始まるかもしれない。
――毎朝寄道新聞・本日の寄道。
※本文はAIの協力によるもので、ある程度の裏とりはしてますが、内容に間違いが含まれている場合がありますのでご了承ください。