「人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの・・・」
ってなんかの歌詞にあった気がします。
多分そうなのでしょう。
では、幸せってなにか。。。?
酒池肉林の快楽を幸せと思う人もいれば、地位や名誉を得ることを幸せ思う人、ただ家族と不自由なく暮らすことが最高の幸せと思う人、もしくは苦難の末に何事かを達成した事(もしくはその道程)を幸せと思う人などもいることでしょう。
我々は幸せを求め続ける存在なのだとしても、その幸せの定義って人によって全く異なってると思います。
ここからは、僕の勝手な妄想ですが、多くの人の持つ”幸せ”像の「最大公約数」、つまり誰もが持っているであろう幸せ像の最大値が”常識的な幸せ”なのだと思います。
この”常識的な幸せ”を求めない人は、得てして”変人”と呼ばれるのでしょう。
まあ、おそらく僕はそっちの部類に入るのですが、別に”変人”とまでは言われなくとも”変わった人”と思われたところで特に気にすることはありません。おそらく僕側(?)に人たちの多くも同じだと思います。
・・・なら別にブログに書くほどのことでもないんじゃないか。。。
そうなんです、感情的に特に不満をもっている訳でもなく、たいした問題ではないのですが、ちょっと別の方向で思ったことがあるのです。
それは、最近の日本の政治って「最大公約数」に偏りすぎてないかということです。
もちろん「最大公約数」的アプローチを全否定している訳ではありません。
多様な立場の意見を聞き、それらを尊重し政策に反映していくということについては否定する余地もありません。
ですが、近年は意見が多様化しすぎてるようで、そういったものをすべて取り入れていくことが困難になってきているように思えます。
その結果何がおきているか???
一部の利権がらみの政策につながる意見以外を無視して、そのうえで最大公約数をとるという、きわめて愚劣な事態に陥っているのです。
そして、僕もやっと気づいたのです。
「最大公約数」の政策とは国民の幸せの最大公約数ではなく、政治家(及びその利権をチューチューする人)の幸せの最大公約数なのです。
政治家及びその取り巻きも、それどれに”幸せ”像を持っていることでしょうが、多種多様な考えを持つであろう彼らの”最大公約数”は「利権」、つまり金と権力、そしてその存続なのです。
なので、この閉塞した政治を変えるには「最小公倍数」的アプローチを重視していくことではないかと思います。
多様な立場の意見を聞き、それらを尊重し政策に反映していく・・・
あれ、「最大公約数」の時に書いたのと同じ文言だ(汗)
まあ、ここで冒頭の「幸せ」観を応用すれば、人の幸せ・考え方は多種多様であるから、「最大公約数」としての常識をベースにしながらも「最小公倍数」の政策、つまり誰もが納得できる政策を目指すっていう、至って当たり前の結論になります。
・・・あまり頭を整理しないままに書き始めたので、だいぶ分かりにくい構成になってしまいましたが、書いていく中で思ったのは、「最大公約数」とか「最小公倍数」とかが問題ではなく、政治には両方のアプローチが大切であり、一つだけ大きな問題だと言えることは、今の政治は政治家たちの「最大公約数」つまり利権で動いているということかもです。
最初の書き出しと、言いたいことがだいぶずれてしまいました。
なお、「政治家」という言葉でひとくくりにしてしまいましたが、中には上記に当てはまらない「最大公約数」からはるかに乖離した「いい政治家(このブログでいう変人?)」もいると思うので、末筆ながら追記しておきます(^^;