「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 ― ビスマルク
雑誌でオーストラリアで野良猫が駆除されているとの記事を見ました。
猫好きの僕としてはなんともいたたまれない。。。
理由としては「野良猫たちは、固有種に壊滅的打撃をあたえている」からだそうです。
猫は17世紀にヨーロッパ人に入植者によっても持ち込まれてその後大幅に増加した。
地元のオンラインメディアによると1日に全土で300万頭の哺乳類、100万羽の鳥類、170万匹の爬虫類が野良猫によって殺されてるという。。。
人間が利己的な理由で持ち込んだ他国の動物がその地の固有の生態系を破壊し、結果、元の状況を取り戻すために持ち込んだ動物を駆除する。
それは世界中で起きている出来事に思えます。
日本においては代表格がブラックバスでしょう。
ブラックバスは赤星鉄馬という人が、当時汚染がひどくなってきていた日本の湖沼において、未来の湖沼の姿を夢想した際にブラックバスこそが救世主であると確信し、大正14年6月22日に芦ノ湖に初めて放流したようです。
それは私利私欲のためでなく、日本の湖沼を守りたい、食料事情にも貢献したいという崇高な目的があったような話を数件見かけました。
その結果どうなったか。。。
釣り好きたちが日本中の湖沼にブラックバスを放流し、その結果日本の固有種のあるモロコやフナの激減など致命的な生態系破壊に繋がってしまったようです。
現在の日本最大のブラックバスの「養殖池」として名高い琵琶湖では、ブラックバスを釣ったらリリースせずに「ブラックバス捨て場」に捨てることを推奨しているようです。上記のオーストラリアのケースに酷似してますね。
で、冒頭の格言を思い出した訳です。
別の生態系に住む生き物を、人間の浅はかな考えで別の生態系に持ち込むと、固有の生態系を食い散らかすということは多くの歴史的事象が証明しているわけです。
賢者はこういった歴史に学ぶべきではないでしょうか。
一時の利得を夢想する、もしくは自己の利潤のために、別の生態系の生き物を大量に受け入れてはダメなんです。
結果、それを取り除くために多大な労力が必要になることは分かりきっているのです。
いや、もしくは完全に固有種が駆逐される可能性もないとは言い切れないのです。
・・・僕の本当に言いたいことを書くとさすがにちょっとまずそうなのでここでは差し控えますが、今日本に差し迫っている「何かの脅威」に酷似してませんか。。。?