最近ニュースを見ていると気が滅入ることが多い。
マスコミの偏向報道に吐き気がし「人類は衰退しました!」的な気分になってくる、ちょっと例えが古いけど。
あほなマスコミはLGBTとか移民問題とか、とかく国益に反する方向で世論を誘導しようとしている。
マスゴミにかかれば国益って言葉を偏狭なローカリズムと定義されそうなので、ちょっと国益って言葉について考えてみたい。
今回のブログは10年以上前に暇つぶしで行ったとある左翼系大学の社会人講座の内容を多少引用してます。
なお、半分寝ながら3時間ほどの講座を聞いただけなので、内容について本質を理解できているわけではないと思うので、あくまでもぼく個人の理解ということで。。。
とかく近頃は個人の権利をあほみたいに主張し理不尽な要求をしてるバカどもが多い気がする。
僕の考えは古いと言われればそれまでだけど、個人の行動の自由は政治制度や社会制度、文化的規範によって歯止めをかけられるべきだと思っている。
仮にここでは上記の政治制度や社会制度、文化的規範のことを「共通善」と定義することにする。
私たちが大切にすべきは、この共通善にコミットする主体となる自由を守ることであり、誰からも干渉されず自分勝手な行動をする自由ではないと思う。
最近のマスゴミやパ翼政党は、先述のLGBTや移民問題もしくはエセ環境問題などを悪用し、人々を分断することで共通善を破壊し社会をバラバラにしていくことで自分の存在感=自分の利益を獲得しようとしているように見えてしかたがない。
このあほどもの目的はなんなのか?
一つは恥ずかしげもなく公金を吸い取ることで自分たちの利益を誘導できる方向に持っていこうとすることだと思う。
歴史的に見て、個人が共通善から離床していきそれが臨界点を超えたとき、社会の自己防衛機能が働き急激な埋め戻しが発生したケースがあるように思う。その一つがファシズム。またコミュニズムも同様だろう。
なのでこの状況が続けば日本にも独裁者が現れてファッションなやり方で強制的に日本を変えていく。。。
・・・それならばまだ分かりやすいが、僕は別の脅威を感じている。
あほマスゴミやパ翼政党は、社会を分断し日本の国力を落とさせ日本人が受け継いできたコミュニティを粉々にしてしまうこと自体を目的にしているのではないかと。
なんのために。。。?
言わずもがな第三国による侵略のために他ならない。
このような破廉恥な行動に洗脳されるのは老害老人や知性にかけるFラン大学等のあほどもで、彼らはロジックは無いので声だけ大きく存在感を示そうとしている。
いまこそ良識ある国民が立ち上がり正義を訴える時だ。
といいたけどもうその方法が思いつかない。
今の日本は政治では世の中は変えられないだろう。
第3国に操られたあほ老害どもが決定権を持つ政治を変えることなんてできない、いやできるかもしれないけどそんな悠長な時間は残されていない。
強大な敵に対しできることはほぼ何もない。
でもなにか一矢報いる方法をもうちょっとだけ模索していきたいと思っています。
冒頭にかいた国益ってことばの意味(っていうか僕の解釈)が少しでも伝われば幸いです。