こんちゃ!
風呂上がり。まったくセクスィーさのかけらもない、メタ坊です♪
さっき、シャワー浴びながらふと思い付いたので、徒然なるままに書き連ねてみるとする。
今や、国民的大アイドルとなったAKB48。
名前自体に親近感を感じなくもなかったけど、さして興味もなく過ごしてきたけど、ここにきてさすがに、というか俄然興味が湧いてきた。
会社仲間と飲みながら、
「やっぱ、板野がいちばんかわいいよね~♪」
とか、
「前田敦子って、どこがいいんだろ? 宮川大輔にしか見えないんだけど。」
「いや、あれは浜ちゃんだろ」
とか、自然と話題にのぼってくるようになった今日この頃。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
かかるブームの仕掛人、秋元康氏。
思い起こせば20数年前にも、ボクらは彼に踊らされていた。
そう、おニャン子。
かわいかったなぁ~、新田恵利
「大人数で組織され、その中の何人かを好きになる」
という法則にてトップアイドルとなった彼女たち。
が、両者の間にはビミョーな差異がある。
たとえば、シロート芸が身近だった一方と、それなりのクオリティを見せる一方。
そんな中、さっきも書いたけど、シャワー浴びながら大きな差異に気付いたのでR。
おニャン子は、主として「女の子を主人公」にした曲を多く歌っていたような気がする。
AKBは、あまりよく知らないけどボクがわかる範囲内では主に「男の子を主人公」にした曲を歌っているようだ。
女の子が主人公の曲では、聴いているボクたちは主人公である<彼女>を後ろからなり横からなり、ある程度俯瞰して眺めることとなる。
時に彼女の人生を応援し、つまるところ彼女の恋の相手になりたい、と熱望しながら曲を聴く。が、あくまでもその時点での立場は第三者だ。
つまり、当事者として主人公なる彼女の相手役になるには、気持ちの上でさらに1ステップが必要となるのだ。
一方、男の子が主人公の曲であれば、曲の中で歌われている女の子(=すなわち、AKBの中の憧れの彼女)は、既に恋の相手として成立しており、聴くボクたちの立場からすれば、曲に感情移入すれば即彼女を真正面から見ることができる。
いわばインスタント恋人気分。
20数年前はケータイなるものも普及しておらず、女の子にコンタクトするためには意を決して彼女の家に電話し、オトーサンが出てしまう恐怖と闘いながら話をしようとしたものだ。
かたや、簡単にメールで連絡できる昨今(アドレスgetのプロセスは別として)。
さすが作詞家・秋元康氏。
こんな時代背景まで考慮して曲を作っているのかもしれない。
うーむ、策士か。
いや、おそらくボクの思い違い。