ぴあのまん -2ページ目

ぴあのまん

とあるぴあのまんの日々の奮闘記です。

お城から見える景色が絶景です。
海じゃないよ🌊
これがテージョ川です。
後ほどこの下の広場まで行きます。
しばらく城を散策。
討ち入りじゃ~🎶吉良はどこじゃ~





何故か孔雀がたくさんおりました。


山の上から見えていた広場へ降りてきました。


さあこれからリスボンの世界遺産に向かいます。本当はみんなと行く予定でした。
前日とは違う駅から電車に乗ります。
ここでもリスボン版スイカカードが使えますが、残高が残っていたか不安😖念の為券売機でチャージしておきます。
昨日とは違い黄色い電車。落書きだらけ。
3駅先に向かいます。

そこから歩く事15分。
大航海時代をモチーフにした「発見のモニュメント」
なんか偉大そうな方々です。
そして反対側には有名人も

赤:バスコ・ダ・ガマ
黄:マゼラン
そして黒矢印のお方は日本でも超有名です。
教科書にも載ってるよ😃
誰かわかるかな?
うちのお姉さんが帰国後にレッスンに来ている小学生にこの人を見せると、ほとんどの子のリアクションが「禿げてないやん❗️」

もうお分かりですね。ザビさんですよ😃
皆さんこんにちは。日出る国ジパングより来ましたよぉー☀️

そしてこちらが世界遺産。ベレンの塔です。
要するに海上からの防衛拠点。内部の見学もできるのですが、大行列ができていたので諦めましたダウン

そしてもう一つの世界遺産がこちら

ジェロニモス修道院。
ここも行列・・・・むかっ
懺悔する事が山ほどあるのに✨

ベンチで休んでいると老夫婦に声を掛けられました。2年前のイタリーの時と同じで僕の着ているジャケットを見て声を掛けたそうです。

おばさん「あんたのジャケットよいね。私達はドイツからよ。あなたはどこから?」
僕 「ありがとう。僕はヤパンから」

そんな他愛もない会話でした。

この修道院はエッグタルトの発祥の地で、すぐ隣にあるお店からはいい香りがします。
これはかなり旨しです🎵

お土産屋もたくさんあり、ここでもしこたま土産を買い込みました。そして1件の土産屋に入るとヒスパニック系の店員のお兄さんが色々勧めてくる。
ここでもお兄さんとのコミュニケーション。
すぐに日本人とわかるみたいです。親切さん2号です。

なんとそのお兄さん、日本に住んでた事があるそうです(全然日本語は話せないようですが)
どこか尋ねるとなんと大阪だってさ。
すらすらと地名を言うんです。
淀屋橋、北浜、天満橋、京橋、守口市、寝屋川市、香里園、枚方市・・・・・・勿論片言で。これって京阪の急行の停車駅じゃあないですかっ(通ですな)
僕が「I  was  made  in  Kyoto」と言うともうお兄さん大興奮。色々サービスしてくれました。お兄さんとハグして握手して「俺とお前はブラザーだ」だってさニコニコ何故か兄弟の契りを交わしました。

さぁ帰ろ。リスボン市内まで帰りは市電に乗ろう。この路線には新しいトラムが走っているそうですが
あぁ~行っちゃった~・・・。残念😞
そしたらすぐにバス🚌が。しかもあまり日本では見ない連接バス。行き先は最初に電車に乗った駅まで行くようです。

よし乗ろ❗️初路線バス。ちょっと不安。確か交通系カードが使えたはず。運ちゃんに聞くとあんまり丁寧に教えてくれない。どうやら運転席横の機械にかざすだけでよさそうだ。
路線バスなんて普段日本でも乗らないのに。なんか海外だとつい色んな事に挑戦してみたくなるんです。
そんな冒険はまだ続きます。



し~らな~いまあぁ~ちいぃ~うぉ~あるうぃ~てぇ~みぃ~たあぁ~うぃ~🎶
電車🚆でリスボンに戻ります。腰痛2波を抱えながら。
シントラから30~40分立ちっぱなし。どのように立ち位置や体重移動しても痛い😭

リスボンの駅に到着してもすんなり歩けません。コインロッカーに今朝預けたスーツケースを回収します。

日本と違い鍵はありません。預けた際に出てきたレシートに暗証番号が書いてあり、出す時に入力する必要があります。
英語のタッチパネルを操作し、暗証番号を入れます。案の定追加料金がかかります。

なんやかんやしてたら、駅の掃除婦のおばちゃんが助けてくれましたm(_ _)m
ポルトガル語で何言ってるのかさっぱりわからんけど。

日本みたいに大きいお金を入れてお釣りが出てくる訳ではありません。おばちゃんが僕の手から小銭を取り、近くのお店にわざわざ両替しに行ってくれました。

旅先でこうやって親切にしてもらえると、それだけでその国に好感が持てます。今回の旅行の親切さん1号です。(2号3号をお楽しみに)
無事スーツケースかいしゅ~✌️

ホテルまで腰の事があるからタクシーを使うつもりでしたが、このころには幾分が痛みも和らぎ、出費を抑える為地下鉄で向かいます。
これも日本ではありえませんが、必ずエレベーターやエスカレーターがある訳ではないです。
特に下りは。

人の邪魔にならないように階段の隅っこをスーツケースを抱えながら1段づつ下ります。
途中で地下鉄を乗り継ぎ目的のホテルへ。海外のホテルのチェックインも慣れてきました。
I Have reservation これ一発でだいたいOK。
んで名前聞かれて、パスポート出せばチェックイン完了。

まぁいい部屋を取ってもらいました事。すごく広い。ツインの部屋を贅沢にシングル使用です。
まだ腰は痛いけど歩けない程ではありません。前日に会社のお姉さんから湿布もいただきました。
夜のリスボンを徘徊する事にしました。
お正月なのに街はクリスマス一色🎅

何やら催し物がやってました。
公園に屋台みたいなお土産屋や食べ物屋が並んでます。
実家のじじババや甥っ子達の土産を買いました。
ホテルまでの道中で見つけましたよ↓
すげー❗️エビカニクスで踊っちゃおう🦞
リスボンは海も近いので海産物が豊富です。こりゃ食べなければ。
海外で一人で食べ物屋に入るのは初めて🔰店先には一応中国語のメニューもあるが、さっぱりです。えーい❗️何とかなるだろう🎵
もうカンバンだってさ汗
明日もう一度来よう。
リスボンの街中の至る所でこんなおばやんがいるんですよ。
一袋2.5ユーロ
栗🌰
今夜の晩ごはん。一応非常食用に日本からチョコレートも持って来てます。
今朝までいたホテルの朝食のパム🍞もあるし。
死ぬ事はない。
バスタブに熱い湯をはりました♨️湯治です。

そして朝🌄
丸一日観光しますよぉ☀️
地下鉄の乗り方も簡単です。
交通カードがあれば楽勝です。


正面のゲートみたいなのは何だったか忘れましたm(_ _)m
そしてお天気もいいのでまた展望台に。

右の小高い丘がサンジョルジェ城🏯
あそこまで歩くぞ❗️🚶

とにかく坂がきつい😵  だからか途中に腰掛ける為のベンチもすごく多いです。歩いては休み歩いては休み・・・お爺ちゃんです👴

お城に着く頃には脇汗汁ダクです。
しかもお城に入るのにすごい行列。
でも来て良かった~⤴️
絶景です🎵



青い空とオレンジ屋根の色鮮やかな景色です。
苦労して登った甲斐がありました。



17のしゃがれたブルースを聞きながら、またまた17歳のお話です。今回は私の❤️

1996年、20年以上も前です。
高校生の時は勉強そっちのけで、毎日吹奏楽に勤しんでおりました。その吹奏楽部の顧問の先生がドイツのとある田舎町と数十年の交流があり、定期的に遠征をしてました。
正にその年だったのです。

吹奏楽部全員でドイツに行きました。
ちょうど夏休みで、オリンピックが開催されてました。
関空からキャセイを利用し、まだその当時はイギリスの統治下だったホングコングを経由し、フランクフルトへ。

当時は香港の啓徳空港です。あの有名(?)な香港カーブです。香港のビル郡スレスレに90度右変針します。僕の座席はK席、即ち一番右舷席だったのであの恐怖たるや・・・
右主翼が建物に当たる当たる当たる当たる当たるぅぅぅっ叫び

初のヨーロッパでした。

訪れたのはドイツのバイエルン地方。
地図にも載っていない小さな田舎町でした。

バスで街の広場に到着すると、その町のバンドが演奏でお出迎え。
そして宿泊は皆それぞれホームステイです。


こんな可愛らしい家でお世話になりました。
ヤンケさん一家は4人家族でお父ちゃんとお母ちゃん。そして8歳と5歳の男の子。時々じいちゃんばあちゃんも。

お父ちゃんお母ちゃんは夫婦で自動車学校の先生です。とは言え日本とは違い街中にポツンとオフィスがあり座学をするのみ。教習所のコースなんかございません。自家用車兼教習車です。2台のフォルクスワーゲン。左ハンドルでいきなり路上教習。助手席にはブレーキペダル。私一度誤って踏んでしまいましたドンッ
じいちゃんばあちゃんがたまに来ては一緒に食事する事がありました。演奏活動に出掛け朝なんかには、おばあちゃんが朝食のパンを即席で切り、ハムやチーズを挟みジュースなんかと一緒にお弁当にと持たせてくれます。

会話は片言の英語ですが、当然子供達はドイツ語しか話せません。
到着したその日こそよそよそしかった子供達ですが、翌日からは懐いてしょうがないんです。
言葉は通じないのに😃
ゲストルームと子供部屋が兼用だったので毎日遊びに来ては散らかして行きます。オモチャの汽車や三輪車で遊ぶ毎日でした。日本から持って来たおもちゃも大変気に入ってくれましたよ😃

一応演奏旅行なので、あちこちのイベントに参加してました。街の収穫祭があちこちで催され、大きなテント小屋で地元の人達はビールと音楽ではっちゃけるのです。

休みの日には隣の大きな街へ出掛けたり、ミュンヘンまで遊びに連れて行ってもらったり。
ドイツのアウトバーンを180kmくらいで飛ばす飛ばす💀教習所の先生のくせに🎵

お世話になった家族だけでなく、街の人達皆に大層なおもてなしを頂きました。
街中を歩いているだけでそこら辺の人達が声をかけてくれ、バスやタクシーの運ちゃんまでクラクションを鳴らして行くんです。

10日間程お世話になりましたが、素敵な家族に素敵な時間を過ごさせてもらいました。僕にとっての第二のホームです。弟たちは元気にしているだろうかな?






暇ですダウン

仕事が思うように入りません。諸般の事情で、日延べになる方が多いです。しかし逆に「家で仕事しているから」と急な案内をして伺える事もあります。
今日も午前中の仕事のみになり、暇を持て余してます。

今回は2月のお話しです。
ずいぶん前からずっと行きたかった所です。

会津若松です。仕事で何度も訪れてるし、常連のお客様も何名かおられます。
なかなか仕事終わりに行く事が困難でした。


会津若松市にある飯盛山富士山
夕方とあっておみやげ屋は閉まってます。
こんな急な階段を登りますよぉ😃
犬も頑張ってる🐶

ここは幕末の戊辰戦争の時に惨劇の舞台になった場所です。
旧幕府勢力の会津藩は新政府軍から猛攻を受けます。元々会津藩主の松平容保の衛兵だった部隊、白虎隊も前線に出征する事になりました。
そのほとんどが15歳から17歳の少年達です。

新政府軍と火器で圧倒的に劣勢だった白虎隊。戸ノ口原の戦で敗れ、残った20名の兵は退却を余儀なくされる訳です。諸説あって、敵の先回りをして迎え討つ為に退却したと会津では伝えられているようです。

猪苗代湖より築かれた水路。ここを白虎隊は通って飯森山にたどり着いたそうです。




そこで少年達が見たのは


見えるかな?真ん中の木が生い茂った所に鶴ヶ城の天守閣。
実際はまだ城は堕ちてなかったのですが、城下に放たれた火で煙っていたのを、彼らは城が燃えていると思ったようです。

白虎隊の20名は絶望します。そこで彼らの中では議論が行われ、城へ戻りお殿様を守ると言う者、敵陣に討って出て潔く散るべきと言う者。

結果として彼らは武士の本分を選択し、この場所で自ら腹を切りました。
それがこの場所です。
石像は鶴ヶ城を望んでます。



彼らのお墓です。19個の墓石には名前と年齢が刻まれてました。(一人生き残ってます)皆16歳や17歳。
あまりにも悲し過ぎる話です。坂本龍馬が生きていたらこんな事にならなかったかもしれません。
誰が悪い訳ではありません。この時代を生きた人それぞれが日本の為に尽力したはずです。
敵味方関係なく彼らのお陰で今の日本がある訳です。
同じ歳の頃に自分は何をしていただろう。

時代の渦中にいた彼らの事を思うと、申し開きできないです。そんな事を思いながら静かに手を合わす日でした。


麓の自販機にも白虎隊が描かれてました。
福島県と言えば、

ソースカツ丼ナイフとフォーク
そんな特別旨い訳ではないです。


旅日記はしばしお休み。
それでも今回も旅みたいなもんですよ。

久しぶりに気仙沼に来ました。

わかるかなぁ?入り口。ちょい上にある青いプレート。
左の手すりは2階のテラスです。

まぐろ食べましょう。

大島に渡るフェリーは廃止になりました。数年前にここから船に乗って仕事に行った事があります。
今は橋が架かりました。
ちょっと寄り道。

突端の岬に来ました。




波の音とカモメの鳴き声、遠くで漁船の音しか聞こえません。

気仙沼と大島を繋ぐ橋です。その向こうには三陸道の建設が続いてます。


日本のフィヨルド。

三毛猫。
歩き疲れました。
今晩は岩手の温泉宿を取って貰ったので、ふやける程風呂に入りました。

潮騒のメモリー・・・・・でしたm(_ _)m
17才の頃何してました?
次回はそんな17才のお話しをしましょう。


おまけ
今週のインパルス‼️
葉書き読んでもらうとインパルスコンパルスが貰えます。
明日ここにグリースよりヲケラ火🔥が届きます。