3月15日 9:00
福島県郡山市のコンビニで一夜を明かした。震災以降は車でしか寝ていない。停電で車で寝ている人は多数いたようだ。しかし燃料も限りがあるので俺はいつもエンジンを止め、エアコンもない状態でいつものジャンパーを被って寝ていた。よく凍死しなかったと思う。中にはGSで並んでいる最中や同じように車で休んでいる人が凍死したり、暖をとるために練炭を焚いて一酸化中毒で亡くなられたり・・・。これもまた震災の犠牲であろう。犠牲という言葉だけではその方たちに本当に申し訳ないと思う。こういう事が起きる事でまた心が痛む。
俺は再び車を走らせる。国道4号線を南下していく。GSは福島でも開いていない。開いている店はどこも長い列ができている。しかしこのままの燃料では到底帰れるだけの量はない。そう思い仕方なくとあるGSに並んだ。割と早く給油できた。それでも2時間くらい並んでいただろうか。並ぶ事が当たり前になっているのであまり時間の事は覚えていない。やはり宮城が1番ガソリンは大変だった。東北一の大都市の割りに空いていた店が少なすぎたのだ。
さて話は福島に戻り、ガソリンは宮城と同じ2000円分だけ入れてくれた。昨日まではハイブリッド車だったので2000円でかなり助かったが今はKの普通車なので今から心配だ。それでも最近の車なので1ℓあたり15kmくらいは走る。極力アクセルを踏み込まないよう気を付けた。道中は所々でガソリンを求めた車の列で道が渋滞していた。だいたい仙台を夜に出れば翌日の夕方には到着できるが俺はまだ夕方になっても福島県にいた。栃木に入ってからは道は流れ始めた。関東中心部も混乱しているだろうから都心を避け北関東を真横に突っ切るように進路を西へ向ける。栃木県足利市から群馬県桐生市などを抜け長野県の軽井沢を通るルートで過去にもこのルートを使った事はあった。足利につく頃はすっかり日が落ちていた。取りあえず車列の少なそうなGSを見つけて再び並んだ。関東でもガソリン不足だったようだ。福島で早めに入れておいてよかった。並んでいたのにあっと言う間に給油できた。30分も並んでいなかった。しかもなんと3000円も入れれたのだ。これは嬉しかった。三重まで帰るには十分だった。Kからも連絡がありKは青森にいた。青森も宮城と同様でガソリンは大変だったみたいだけど時間の限り並んで入れたようだ。
これで俺はガソリンの心配は無くなった。後は食料だった。俺の唯一の食料はパックのチョコレートのみ。それを節約して食べていた。仕事柄1日何も食べれない事があるので空腹には強かったがそれでも腹は常に空いていた。群馬あたりだっただろうか途中の道の駅でトイレに行った。ここでは水も電気も普通に通っていた。俺は何日振りかにトイレの手洗い場で顔と手を洗い、歯も磨けた。手を洗う事がこんなに気持ちがいいものと思えたのも初めてだった。蛇口を捻れば当たり前のように水が出る。やはり生かされているなぁと感じ、命ある事に感謝した。多分普通に生活しているだけではこんな事は思わなかっただろう。そしてその感謝の気持ちと同時にまた被災地の事を思い出す。そんな事を考えながら長野県に入った。軽井沢は雪で視界が悪かった。こんなとこで事故で死んだら東北の人たちへ申し開きができない。運転に細心の注意を払った。まだまだ三重は遠い。