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ありがとうございますラブラブ


フルタイムオフィスワーカーをしつつ、

子ども2人の子育て中なワーママです。


『整理収納』『家事時短』

『お酒とごはん』『宝塚歌劇』が大好物。


人生の折返し地点を過ぎ、

今後をあれこれ模索しつつ、

『楽しく明るく元気よく』

年を重ねたいと思っている今日この頃。


そんな日々を徒然なるままに書いています。


ひろごん


①②からの続き…



ドルフィン桟橋から、上陸!!

最初のガイドポイントは、端島炭坑の事務所があったという場所電球

炭鉱は24時間3交代で稼働していたので、炭鉱員はまずここに集まり、様々なチェックの後、バスケット状のエレベーターで、地下にある採掘現場へ降りて行ったそうです下矢印その深さは、スカイツリーがすっぽり埋まる程の深さで、一度降りると8時間の勤務が終わるまで、地上に上がってくることは出来ず、大変過酷な現場だったそうびっくり
そんな端島炭坑の長い歴史の中では事故も発生し、ここでお亡くなりになった方は200名以上もいらっしゃるそうです…ガーン

軍艦島に数多く残されている建物の中でも特に有名なのがこの正面にある30号棟という建物上矢印大正5年に工員住宅として建設された日本最古の鉄筋コンクリート造7階建て高層アパート目東京ですら、住宅街に木造二階建てが建ち始めた??くらいの時代に7階建ですよ!!ビックリですよね〜しかも陸地から遠い、この孤島にですよビル
軍艦島の人口密集率は現在の東京の10倍以上だったとも言われ、6畳間に4人家族が住み、台所やトイレ、お風呂などは全て共有だったそうです船

過酷な労働環境の上、広さとしての居住環境は必ずしも充実していた訳ではなかったようですが、その引き換えに賃金はとても高く、住居費は光熱費を入れてもほぼ無料とも言える程度コインたち結果、白黒テレビの全国的な普及率がまだ10%程度だった昭和30年前後にほぼ100%だったそうです電球また洗濯機、冷蔵庫も全世帯に行き渡るほど、先進的な生活環境だったそう!!

この軍艦島は、2015年に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の1つとして登録されましたが、象徴的なこれらの鉄筋コンクリートの建物群は大正以降の建物ではないので、世界遺産の対象ではなく、軍艦島で対象となっているのはこの防波の壁だそう!!

端島のあるこの海域…特に外海は波が高く、手前にある見学用のコースや柵なども度々破損し、長崎市が何度も修理をしているそうなのですが、この奥に見える防波の為の壁は、明治時代からそのままそこにある…凄いキラキラキラキラキラキラ



これらの建物は閉鉱した1974年以降、長年にわたり雨風に晒され、もはや補修や補強を行うことも難しいそうで、いつ倒壊してもおかしくない状況なのだとかショボーン
いつまでも見られるか分からない…チャンスのある方は是非訪問されることをオススメしますルンルン

つづく…