■教育使節団がやって来た


そんな日本側の動きを睨みつつ、CI&Eもいよいよネジを巻き始める。アメリカ本国から「教育使節団」を招くのである。これに伴い、GHQ/SCAPは使節団に協力すべき体制を整えるよう日本側に指令した。


これを受けて、南原繁・東京大学教授ら29名で編成される「米国教育使節団に協力すべき日本側教育家の委員会」なるものが早速結成される。


アメリカ国務省は、'46(昭和21)年、その27名の団員を新聞発表した。大学関係者14、教育行政4、教育・労働など全国団体4、連邦関係4という構成だった。イリノイ大学学長就任早々のジョージ・D・ストッダードを団長とし、第一次教育使節団はこの年の3月5日に日本にやって来る(後、1950年には第二次使節団が来日)。


使節団は、来日後1ヵ月足らずの間に、CI&E教育課によるレクチャー、文部省や日本側委員会の説明を受けて、20日以降には素早く報告書起草に取りかかる。そして、30日、早くも出来上がった報告書はマッカーサーに提出され、翌月4月8日にはその内容が新聞発表された。



■どこかで聞いた名セリフ


「われわれは、征服者の精神をもってやって来たのではなく、すべての人間には、自由を求め、さらに個人的ならびに社会的発展を求める測り知れない力がひそんでいることを確信する教育経験者として、来日したのである」。


このように序論に歌い上げた報告書ではある。ところで、蛇足だが、アメリカが“征服者”として外国の領土を占領し、馴化政策を行なおうとする際、よく使う巧みな表現には感心する。こうした物言いを聞いていると、現在進行中の対イラク占領を思い出す。もっとも、イラクも含め、他の諸国は、日本人のように簡単に手なずけることはできないようで、さしもの老獪な覇権国家もその勝手の違いに面食らってはいるようだが。


それはともあれ、報告書には「まえがき」、この「序論」に続き、「第1章 日本教育の目的及び内容」「第2章 国語の改革」「第3章 初等および中等学校の教育行政」「第4章 教授法と教師養成教育」「第5章 成人教育」「第6章 高等教育」「本報告の趣旨」といった構成になっている。



■いよいよ「教育委員会」


これは、戦前日本の教育制度に対する批判に基づき、個人の価値を尊重するという眼目から、教育制度の中央集権制を突き崩し、地方分権化を促すという方向を示しているものだ。

具体的には、男女共学、授業料不徴収の6・3・3制、9年の義務教育などの学制導入を、また、ここで「公選制教育委員会」制度の創設を勧告している。


戦後の教育改革の目玉の一つである、アメリカ合衆国の伝統的な教育行政制度に見る“Boad of Education”をモデルとした「教育委員会」制度導入の具体的論議が、これをもっていよいよ始まるわけだ。


《今回は、ここまで》