《前回からの続き》
ところが、そのように、亜米利加流の経済再生策がオーソライズされ、亜米利加式模倣の環境が整った後も、多くの大企業がその変化に熱意を示さなかったことを、(“LE MONDE diplomatique ”(「ル・モンド ディプロマティーク」)日本語・電子版の記事〈日本経済の「意外」な回復 〉は指摘している。それは、それら大企業が、経済の失速は銀行破綻の危機への対応ののろさ、日本銀行が進めた極端な緊縮政策など、政府の失策にあると見ていたためであるとする。
そして、この疑念は長いこと、小声でささやかれていただけだったが、米国経済のメッキがはがれると、たちまち公然と主張されるようになる。亜米利加経済がエンロン事件のようなスキャンダルによって打撃を被り、金融バブルがはじけた2001年以降のことである。そして、日本経済が再び数字の上では回復の兆しを見せ始めたのも、あたかもこの頃である。
キヤノン会長の御手洗冨士夫、トヨタ会長の奥田碩のような企業経営者が、米国流以外の経済体制はあり得ないという考えに与しなかったと記事は伝える。
――キヤノンとトヨタではその逆に、現在でも取締役会は社内事情のプロだけで構成され、役員の報酬は抑えられ、社員の解雇は比較的少ない。御手洗氏は次のように話す。「終身雇用の利点は、従業員が自らのキャリアを通して企業文化を吸収できることである。それによってチーム意識、つまりブランドを守り、気を引き締めて危機を乗り越えようという意識が培われる。こうした雇用慣行は日本の文化に合っており、世界的な競争に生き残るうえでの大きな切り札になっていると思う」 ――
この御手洗氏の主張は、キャノンに世界の競合他社と異なる独特の企業文化があること、自社製品のブランドを持つことに対する自信と自負がその裏づけとなっている。そして、そのブランドを支える固有の企業組織に対する確信が表出する。
ここで、同氏の主張に記事は若干の疑問を呈しつつも、「キヤノンやトヨタのような企業が社会的ルールに敏感で、そこから最大限に利益を引き出していることは事実だ。」と認める。
――日本の大企業は、自らを株主の所有物というよりも共同体であるとみなしている。この共同体には、株主だけでなく、従業員、顧客、納入業者、債権者が含まれる。日本の企業経営者たちの考えによれば、彼らが追求しているのは株価の高騰(米国流の信条)よりも共同体全体の利益のバランスであって、それが企業の長期的な成功につながるという。――
このような企業モデルはその強固さの反面、弱点も併せ持つ。日本経済が大失速する90年代、大企業は需要の縮小に直面し、ことごとく従業員の新規採用を減らした。それが、欧州同様、若年層に大量の失業者を生み出すという結果を招来する。また、この日本型企業モデルは、新しい企業で新製品を開発するためのリスクテイカーになろうという精神を育みにくい。そこで、日本の“サラリーマン”たちは既存企業内部で技術革新を進め、自社製品の品質向上、効率改善に努める傾向が強くなる。ここで、サラリーマンの高学歴―転ずれば、良質な労働力ということであろう―、日本企業に見られる長期的な戦略という背景を、記事はまた指摘している。
さらに、日本企業の行動特性が指摘される。日本では「リスク資金」を支えに企業を設立するようなことをせず、企業は利益を「分社化」(主に親会社による新会社設立)という形でよく処理する。そして、開発に再投資するということをよく行なうという点である。
OECD(経済協力開発機構)の報告(2005年)によれば、研究開発費のGDP比で日本は先進国のトップに立った。そして、技術ライセンスの数で米国に次ぐ世界第2位の位置にいる。EUをしのぎ、しかも、人口で米国の半分に過ぎない日本にして驚異的な数字とも言えよう。
日本は、米国アップル社の‘ipod’(携帯音楽プレイヤー)の競合製品を生むことはなかったものの、その半導体材料の7割までは日本製品が使われているということを、この記事は知らせる。そして、フィンランドや米国、韓国の電話メーカーは、携帯電話の有力ブランドを持たない日本の部品を必要としている事実も。
他方で、米国のシリコンヴァレーは、2001年のバブル崩壊からいまだ立ち直れずにいるという。
(以下、続く)