■ナカちゃんのお弔いで想い出した


昨日だか、一昨日、ナカちゃんというアゴヒゲアザラシが亡くなったと報じられた。国土交通省の現地事務所や、地元自治体の徳島県、阿南市などでつくる「ナカちゃんに関する行政連絡会」が開かれ、「市民を癒やしてくれた功労者」としてはく製にして市が管理することが提案されたり、ナカちゃんのモニュメント建設などが検討されることになったようだ。生あるものの死を悼む気持ちそれ自体は、悪いことであるはずもない。


それにつけて思い出したのは、もう数年前のことになるが、同じくアゴヒゲアザラシのタマちゃんをめぐる狂騒であった。こちらは、首都圏方面、多摩川や荒川などに出没したアザラシだが、連日けたたましい報道が繰り返され、日本中をまさに席巻する“大事件”となった。


ところで、今日も自分の本棚を探すと、『世界が完全に思考停止する前に』という本が見つかった。これも、今まで捨てずにおいた「とっておきの本」ということになる。映像作家・森達也氏の著書である。


同書を探してみたのは、たしかその本に収録されていたと記憶するある一項を想起したからだ。「タマちゃんを食べる会」というものである。「タマちゃんを食べようと思う。」の書き出しで始まる。ちょっと奇をてらったように見えつつ、それに続く主張はなかなか真面目なもの。


■思考が停止する前に


――沿岸に打ち上げられた鯨の救出劇をテレビで眺めながらハンバーガーをぱくつく僕らの矛盾や身勝手さを、全否定する気は僕にはない。化粧品や医薬品、洗剤や衣料品など化学物質が含有されるあらゆる商品には、開発するその過程で動物実験が義務付けられている。要するに僕たちの日常は、夥しい数の他の生命を犠牲にしないことには成り立たない。

 ただしこの矛盾に、僕はつねに自覚的でありたい。アザラシの命の尊さを声高に叫びながら、ホタテの命をゴミのように扱ったり、在日外国人に選挙権を与えずにアザラシに住民票を交付することの矛盾に対して、不感症になりたくない。――


(正直なところ、著者が言う「ホタテ」(おそらく帆立貝のこと)の虐待については、小生はその内容を詳らかにしないのだが)


なるほど。確かに、人間族は、アザラシや鯨の生命には過剰なまでの配慮をしながら、魚の活け造りなんてものを嗜好したりしている。海老の残酷焼きというのも、たしかあった。イルカや鯨を虐待したといってはヒステリックにわめきたてる国の人間が、牛は一番よく虐待するし、毛皮を取るためラッコか何かの海獣の頭を棍棒で殴り殺している映像もかつて見たような憶えがあるな。(銃で穴を開けたら商品価値が下がってしまうからというような説明だったと思う)。


一方では、動物たちの生息の条件を着実に奪い続ける人間、それで、「絶滅危惧品種」になると、あわてて過保護に走る。まったくピントは狂っているのだが、まさにそこに自覚的でありたい。小生も、そう思う。


――世界には今も、飢餓や殺戮が蔓延している。過剰な善意や一方向だけへのヒューマニズムが、他者の生命や営みへの想像力を停止させ、思考の麻痺へと発展するのなら、今のアメリカとなにも変わらない。――


ついでに、何とかいう女流作家が書いた猫虐待に関するエッセーが火種で、ネット上でも盛んに論評が交わされているようであるが、それについては、自分は原文を読んでいないので正確な認識はない。ただ、その騒ぎも、しまっておいたこの図書を想い出させるきっかけの一つだった。


森 達也
世界が完全に思考停止する前に