第二次大戦直後のローマ、市内の職業紹介所に殺到する困窮した労務者たち。主人公のアントニオはようやくのことでポスター貼りの職にありつく。しかし、移動のための自転車所持が採用の条件だった。妻は、家中のシーツを質入れしてまで資金を捻出、夫のために自転車を手に入れる。
そうして手にした自転車に乗りいよいよ就業する主人公は、ひょっとした隙に自転車を盗まれてしまう。多忙な警察に届けても、取り合ってはくれない。しかし、このときのイタリアの労務者、主人公にとって、自転車はかけがえのない商売道具で、命綱だ。これがなくては、また、職にあぶれる。もはや警察も頼みにできない主人公は、幼い息子と二人、奪われた自転車を求めて市内をくまなく歩き回る。
やがて、犯人の片割れとも思える老人を探し、教会に追い詰める。しかし、詰問の最中に邪魔が入り、老人にはまんまと逃げられる。教会には救いがない、という暗示のようで印象深いシークエンスだった。
そして、しばらくして、今度は貧民街の一角で犯人そのものと思える男を発見し、あとを追うやその住居に乗り込む。しかし、男をかばう近隣の仲間たちに阻まれ、またもや自転車奪回はならなかった。いたいけな息子の瞳は、父の失策、父の落胆を、悲しげに見つめ続ける。
自暴自棄に陥る父は、ふと息子が目を離すすき、ついに魔が差す。あれほど執拗に犯人を追い続け、果たせずにいる父は、今度は自分が、駐輪された他人の自転車につい手を伸ばしてしまう。間もなく周囲に気づかれ、群衆に追われ、追いつかれる。警察に突き出される寸前、哀れに父をかばうしぐさの幼子に同情した被害者の老紳士は、群集をなだめ彼を放免する。
また、あてどなく、町をさまようように歩み始める父と子。悔しさと、悲しさと、惨めさが混じった涙が、父の頬を流れる。街は、何も語りかけない。
これだけの単純な筋の展開で、結末も決してハッピー・エンドではない。貧困と、失意と、絶望。現実の縮図が無情に横たわっているだけ。しかし、これが、 ネオリアリスモ〈注〉の傑作の一つに数えられる逸品なのだ。やはり、イタリアは映画王国である。ハリウッドの映画などには学生時代ほとんど見向きもしなかった自分も、イタリア映画には底の深さをいつも感じた。そして、本作品のように何度見てもよいものが多い。
これは、ネオリアリスモの旗手の1人、ビットリオ・デ・シーカ監督の作品で、主人公の親子には職業俳優ではなく、素人が起用されている。
〈注〉ネオリアリスモ(Neorealismo):第二次世界大戦直後、イタリアで隆盛を極めたドキュメンタリー風の映画運動の潮流。自然光を生かした撮影や、無名俳優・素人の多用、持ち運びカメラなどもその特色である。ネオリアリスモの代表的な映画作家としては、ロベルト・ロッセリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、ジュセッペ・デ・サンティス、そして、このビットリオ・デ・シーカ。
★『自転車泥棒』作品データ
原題:LADRI DI BICICLETTE (THE BICYCLE THIEF)/1948年公開/イタリア映画/白黒モノラル 85分/監督:ビットリオ・デ・シーカ/脚本:チェザーレ・サバッティーニ/出演:ランベルト・マジョラーニ,エンツォ・スタヨーラ/リアネーラ・カレル,ジーノ・ラルタマレンダ
*今は、DVDも出されている
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