ずいぶん前のことになる。わがウサギ小屋から、世界大百科様を追放した。三十数巻にも及び図体がでかくて重い大百科様は、ただでさえ狭い主の居住空間を遠慮会釈もなく侵害するからだ。
そして、その割りには役に立たない。次から次へと検索する際、いちいちしまっては、別の巻を引きずり出す。記述中の関連項目を読もうとするにも、同じことの繰り返し。そのうえ、書かれた情報もたちまち鮮度が落ちて陳腐化する。不精な自分は、ついには、いちいちしまう手間に飽き飽きして部屋中広げっぱなしになった。
以後も、紙束コレクターでない自分は、いらない本にはさっさとお引き取りを願っている。自分にとって要る本とは、面白い本、役に立つ本、この2つに限られる。強いて加えれば、その両者にはやや分類し難いが、どうしても「気になる」本である。これは、主としてそのタイトルに触発される場合が多い。「良書」「悪書」などの観念は、自分の心に入り込む隙間もない。
さらに言うなら、この国の出版事情。洪水のようにおびただしい新刊書が毎日世に出ながら、たちまちのうちに姿を消していく。後になっては、要る本でも手に入り難いものばかり。二度とめぐり合えなくなる惧れがある。そこで、防衛策として、要る本だけは手元に保管しておくしかない。こうして後々までも自分と同居していただく本、取って置くべき本が、すなわち「とっておきの本」なのである。
「とっておきの本」は、高価なものとは限らない。値が張ろうと要らないものはお引き取り、溜め込みすぎて、床が抜けたり、家が潰れたりすることのほうが大損失だ。要るものだったら、文庫であろうが、新書であろうが、ムックであろうが、私家版であろうが、「とっておきの本」となる。そして、利殖家ならぬ自分には、それがいつしか高値で売れるかどうかなどにもとんと興味がない。そんな「とっておきの本」に友情を感じて、思いつくままここに書きとめておこうと思っただけである。
先に書いた、ずいぶん古い三島由紀夫の『夏子の冒険』も、そんな「とっておきの本」だった。他にも、まだまだ「とっておきの本」はある。