新聞を取ってない自分は、もう十年来、番組表からわざわざ番組を選んでテレビを見るような習慣がないが、パソコンに向かって仕事をしているとき、BGM代わりにテレビを流しておくことが多い。連日、秋田のほうで起こった男児殺害事件の報道が続く。


テレビを必死で見ない自分は、番組内容の本筋よりも、ふとそれが発するノイズに気が向くことがある。今般も、一つの瑣末事に気づいた。


それは、あちこちの番組中で、容疑者が「鈴香」「鈴香」とファーストネームで呼ばれていることだ。字幕も「鈴香容疑者」、レポーターやアナウンサーも「鈴香容疑者」「鈴香容疑者」と連呼する。


あの容疑者は、たしか、畠山というのだろう。これがもし「畠山与太郎」という男の容疑者であったなら、やはり「与太郎容疑者」「与太郎容疑者」とテレビは呼ぶのだろうか。また、もしも「畠山ポン子」という70歳のお婆さん容疑者だったら、やはり、「ポン子容疑者」というだろうか。


画面で見れば、こんな殺人容疑などかけられなければ、ちょっと可愛いツッパリくらいにしか見えない若き女性容疑者。そして、たまたま「鈴香」というアイドルっぽい名を持った若き女性容疑者。こんな属性が、TV局をしてついこう呼ばしむるのだろうか。そこには、作為と無作為の微妙な交錯が嗅ぎ取れる。


政治が、選挙が、ショー・アップされるようになって久しい。「小泉劇場」「小泉チルドレン」「刺客候補」「くノ一作戦」「落下傘候補」「仁義なき戦い」、さんざ痴的な芝居を見せられ食傷した。なるほど、この程度の芝居に出てくる役者もまた、主演以下、どれもこれもまた痴的な顔をした三文役者だった。かくて、政治もいや増しに虚業化していく。


次いで来たるが、犯罪報道のワイドショー化である。「鈴香」容疑者報道などは、小泉ナントカ劇に比べれば、演出手法はさりげない。しかし、このさりげなさの裏に潜む心、「鈴香」と呼びたがるテレビ局のフィーリング、そして、“suzuka”の音韻を暗暗裡に拒絶なく、あるいは心地よくさえ聞き容れる視聴者のレセプター、この双方がシンクロしたところのかなたには、犯罪報道の方向性が見えてしまいそうな気がしてならないのだが。