アメリカ海空軍基地を拒否した背景 | フィリッピンの基地★スービック海軍基地

フィリッピンの基地★スービック海軍基地

アメリカ海軍が戻るか。米国海軍の基地の街、 かってはスービック海軍基地。 近くにはクラーク区軍基地もあった。

最初に、皆様に御礼を申し上げます。実は本日(2014.07.11) <基地><スービック>のキーワードで【Google】で検索しましたら、トップページの2位になっておりました。 1位は【スービック海軍基地-Wikipedia】でしたので、納得のロハスです。これまでのご来訪を感謝申し上げます。


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画像:ピナツボ山噴火

1991年フィリッピン国内の民主化運動の高まりから、アメリカ空軍クラーク基地と海軍スービック基地使用継続がフィリッピン上院で拒否され、両基地は1991年11月26日に変換されました。


上院はなぜ拒否をしたのでしょう? コラソン・アキノ大統領を誕生させた民主化運動の高まりが、定説になっています。 先日、あるブログを読んで、教えられました。


全ては、1991年4月のピナトゥボ山の火山爆発から始まりました。

当時、米比両国は、基地使用継続交渉の最中でした。 クラーク空軍基地は降りしきる火山灰で使用ができなくなり、兵員家族はスービック海軍基地に避難しました。


爆発した火山の被害から逃れようとしたのは、クラーク基地に米軍将兵家族だけではなかったのです。

多くのフィリッピン人避難者もスービック海軍基地に避難しようとした時に、スービック海軍基地の門は、閉ざされたままだったのです。


このことで、基地はフィリッピン人のために存在してたのではなかったことになり、これが民主化運動を更に高める結果になり、 上院は継続を拒否したのです。




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アメリカ軍の撤退による南シナ海におけるシーパワーの空白により、江沢民時代の中国は1994年秋にはスプラトリー諸島のフィリピン側海域にある、ミスチーフ礁(美済礁)に構造物を建造して占拠し、1995 年 2 月、フィリピンが中国によるミスチーフ礁占拠を世界に公表することになりました。