案外なのか案の定なのか、僕はけっこう古くさい伝統的な男性役割観の持ち主です。
それが正しいとか間違ってるとか劣ってる優れてるという話をしたいわけではなく、事実としてそうなので前提共有のための前置きです。(ということを保身のために書かなきゃいけない世の中に息苦しさを覚える)
ここ近年の夏の酷暑は相当身体に堪えます。通勤時、日傘を差している男性を見かけることも珍しくなくなりました。
しかし、こういう僕なので、御多分に洩れず「男が日傘なんか差せるかっ」という謎な恥ずかしさから、購入を迷いつつも取り入れられずにいました。
でも難聴にもなって命が削られた気がしている日々、少しでも身体に快適に過ごさないと身が持たなくなり、ついに購入。
翌朝の通勤時に恐る恐る使ってみると…
「なんでもっと早く使わなかったんだ、俺がバカだった」と後悔するほど涼しくて快適!!!
日差しを遮るだけでこんなにも身体への負荷が軽くなるとは。恐るべし。
今年は日傘とともに夏を乗り切ることになりそうです。
僕は非常に汗かきなので、夏は毎年脱水症状との戦いです。通勤するだけで朝食で摂った水分は全部汗になってると思う。だから味のついてる飲み物があまり好きじゃないけど(ふだんは水かお湯ばっかり飲んでる)、それでは体内の電解質のバランスが崩れるばかりなので、夏になると必死でお味噌汁を飲みます。
お味噌汁は好きだけど、温かい飲み物は飲んだ瞬間から汗に変わるので、「必死で」です。。
代謝が良いことを人からは羨ましがられますが、摂取すれども吸収せずにずーっと身体の中を通り抜けていくだけな気がして虚しくなることもあります。笑
夏バテ対策、あとは無理せずに冷房を使うことですね。電気代とか言ってる場合じゃない。熱中症で倒れる方が高くつく。
昔は「心頭滅却すれば火もまた涼し!」とか叫んで気合いと根性で乗り越えてたけど←、もうそういうことができる年齢じゃないことをひしひしと感じます。
なんの話だ。笑
でも、日傘の件のように、凝り固まった性役割観が合理的な判断を妨げることって往々にしてあると思う。
僕はことさら、「(僕の中で)女性っぽい(と感じる)もの」を身につけたり、「女性をメインターゲットに据えた空間」に身を置いたりすることに抵抗感が強いです。女性ばかりの輪の中に入っておしゃべりするとかはそんなに気にならないんですが。
物心ついた頃から、いろんなことに「男がこんなことしてられるかっ」と内心恥ずかしく思うタイプでした。
当時はそんなふうに言語化する術を知らず、嫌だと泣くことしかできなくて、やがて諦めと共に喜んでやっているフリをするようになったけど、今になって言葉を当てはめると「男がこんな格好できるかっ(幼稚園の制服etc.)」「男が女の子の振り付けなんかできるかっ(お遊戯会の踊り)」ということだったんだと思います。
世間から後ろ指を指されないためには、諦めてやらざるを得ない立ち位置にいる、ということは幼心に理解したので、女子側に求められる役割を果たしてきたはず。けれど、違和感は強烈で、常にいたたまれませんでした。
だからこそ、この歳になっても未だに女性らしいものや振る舞いを自分が身につけることへの抵抗感が強いし、すごく恥ずかしいんだと思う。
でも不思議だ。僕の世代はジェンダーフリーみたいなことも叫ばれ出していたし、家庭科も技術も昔と違って男女ともに授業を受けたし、なんなら進学した学校はジェンダーフリーを謳って体育も男女一緒に行っていた。
男女の垣根を無くす方向の教育を受けたにもかかわらず、厳然と存在する僕の古くさい性役割観は、果たしてどうやって育まれたのでしょうね。
男子のコミュニティで男子として育つ経験が無かっただけに、外側から見て憧れたり、わかりやすくフィクション作品で描かれたりするような「漢気!」みたいなステレオタイプな男性性しか取り入れられなかったのかもしれません。
いずれにしても、ジェンダー(社会的な性役割)の垣根をボーダーレスにしたところで、性差や男女の垣根まで消え去るわけじゃない。そこのところを、むしろなんでも男女一緒に授業を受けていたからこそ痛感し、絶望する機会は多かったです。
って、なんの話だ。(2回目)
「強い男は黙って耐えられる」とかバカなこと言ってないで、身体を労わりながらこの夏を乗り切りたいと思います!(締め方雑〜)