ミセスの最新曲『コロンブス』のミュージックビデオが差別的だという理由で炎上し、公開停止になった。



僕は視覚よりも聴覚情報や文字情報優位な人間なので、正直ミセスの曲であってもミュージックビデオはほとんどきちんと鑑賞できてない。ミセスは曲の難解さに負けず劣らず(僕には)映像も難解で、情報洪水になってしまうので、こんなに短いスパンで新曲リリースが続いてればなおのこと、曲自体を追うのに必死でMVまでとても消化しきれてない。




いつもYouTubeのコメントを見て、考察班すごいなー、よくそんなとこ気づくなー、なるほどなーと思うばかりだった。



なので件のMVも1回観たきりだった。その時の感想は、「今回はわちゃわちゃ楽しい系かぁ」。サルに見えてしまう類人猿は「なんでサル?」と思った程度で、問題とされた「先住民に文明を覚え込ませている」ような描写はあまり印象に残っていなかった。




恥ずかしながら不勉強で、コロンブスについても「卵の人」「大航海時代にアメリカ大陸を発見したけどインドと勘違いしてた人」くらいの漠然で曖昧とした認識しか持っていなかったことも、特段引っ掛かりを覚えなかったことと大いに関係していると思う。



たまたま、一時期アメリカで育った帰国子女の知人と話す機会があったけど、「アメリカだったらあれは一発でアウト」なのだそう。アメリカではコロンブスが歴史上で何をしたのか、必ず習うという。



確かによくよく考えてみれば、「先進国」と自称する人が「未開の地」に住む人々を「文明を持たない野蛮人」として、文明化を大義名分に侵略や略奪、植民地支配を行うことは、人類の中で繰り返されてきたあやまちであり、コロンブスも凄惨で非人道的な行いに手を染めた1人なのだろう。



コロンブスはじめ白人の歴史上の人物に扮したメンバーが、島に辿り着き、そこに住んでいた類人猿たちとわちゃわちゃホームパーティーをする。



いくら意図がなかったとはいえ、切り取り方によっては、先住民に対する簒奪、搾取、暴力の歴史を彷彿とさせる作りになっていたのだろう。正直、コロンブスについて全くの無知な自分にとっては引っかかりを覚えるためのアンテナが備わっていないので想像するしかないけれど、取り上げるモチーフの組み合わせが悪すぎたのだと思うし、世界視点ではセンシティブとされる(らしい)テーマに対して、(恐らく日本人だけで?)構想を練ったチームの見通しが甘かったのだと思われる。



今回の件で、いろいろ思った。最初は「そんなおおごとなの?」と驚いたが、少し調べて「無知は罪だなあ」と自分に対して感じてとても恥ずかしかった。



たとえ意図していなくても、自分の知らないところで誰かを傷つけていることがある。僕自身は「そんなつもりなかったんだから良いじゃん」と開き直る人間にはなりたくないので、迅速に公開停止をした公式の判断は賢明でしかるべき措置だったと思った。



近年、「表現の自由」を盾にヘイトを正当化する論法をよく見かけるが、故意に人を傷つける表現を選ぶ自由は誰にも保障されていないしそんなことしちゃいけないと思う。今回は意図せず、ということなので少し話が変わってしまうけどね。




大森氏の謝罪コメントはこれ以上ないほど潔く、真摯で立派だったと思う。僕が何かをジャッジしたり許す立場にないことは二百も承知だが、やってしまったことは仕方ないのだから、猛省は次に活かして、また素敵な楽曲を届けてくれれば十分だと個人的には思ったけどいかがでしょう。




と同時にコメントの彼一人だけの署名を見て、ミセスのセルフプロデューサーとして、フロントマンとして、ブレーンとして走り続けている中、こういう時にも矢面に立って全てを彼一人が背負うことに胸がキュッとした。







一方で、今回の新曲自体は、個人的にすごく好きな暗い歌詞(笑)と、高揚感溢れるメロディーでわくわくする楽曲だったから、こんな形になってとても残念だとも思った。



表現という仕事にとても真摯に向き合っているだろう彼らが、シンプルに良いと思ったものをファンに届ける。「国民的」と呼ばれるような立場に置かれると、単にそういう構図だけでは成り立たなくなっていく難しさがあるんだと感じた。誰もが知っていて発信力のある、そして海外でも人気を獲得しつつある立場だからこそ、万人が触れる可能性を踏まえて、各方面に配慮した作品を作らなければならない。



ある意味、「表現の不自由」状態だけど、そういう立場になってしまったのだ彼らは。売れるとはそういう責任を求められる立ち位置でもあるのだなと思う。



今回の表現はやはり、見る人が見れば「一発アウト」ということを知ったので是非もない。どういう意図があるにしても、そんなギリギリのラインを攻めるリスクは犯さない方が良かったと、結果論としては言うしかないのだけれど。




でも、、万人が不愉快にならず傷つかないことなど無理なのに、配慮した体を見せないと、一気に批判の的にされて集中砲火を浴びる、この余裕のない世の中は息苦しくも思う。



曲の件とは離れてしまうが、当事者でもないのに「それは差別だ」と横槍を入れてくる人が僕はとても嫌いだ。放送禁止用語や校正で削られる用語然り、前後の文脈はまるで無視して言葉狩りを行う風潮にも通じるけれど、第三者の立場で「差別だ」と騒ぐ人こそ一番差別意識に凝り固まっているんじゃないかと思う。



(ポリコレに配慮しすぎて美人を広告に使えなくなった海外の話とかもあるが、結局ルッキズムを反転させただけで本末転倒すぎて笑えない。)



「障害」を「障がい」「〜症」と書き換えたところで生活の不自由さや機能の欠損が無くなるわけでもないのに、本人が望んだわけでもないのに、それだけで「配慮しました」とドヤ顔するような風潮も甚だ疑問だ。



この辺についてはまたどこかで書ければと思う。






いずれにしても、やってしまったことは、たくさん謝って、心から反省して、同じことを繰り返さなければそれで良し。と、僕は思う。まだ若いんだし、そりゃ間違うこともあるでしょう。それともこれはファンゆえの贔屓目??



注目される立ち位置だからこそ、不必要な叩かれ方をしないでほしいな。



あなた方の作品で傷ついた人もいるかもしれないけれど、あなた方の作品で人生を良い方向へ変えてもらった人も、確実にいる。少なくとも僕はそうなので。



しでかしたことの擁護はあまりできない(し、できる立場にいるなんて思わない)けれど、僕も自分自身の無知への反省とともに、ミセスが今回のことを糧として、今後もさらに素晴らしい作品を生み出してくれることを願っています。