先日、3ヶ月ぶりのホルモン注射でした。
前回注射時は筋トレ(といっても自重一種目のみ)を頑張っていたけれど、やっぱりエネルギー切れからの気持ちの波は抑えることはできなかった。
その時の血液検査の結果を見せてもらった。遊離テストステロンは8.8pgで基準値以内ではあるけどやはりちょっと少ない。
LHやFSHの値は上昇していないので、身体は「ホルモン足りてる」と認識しているけど、実際に活性している男性ホルモンは少ない状態のよう、とのこと。
仮説としては、性ホルモン結合グロブリンというタンパク質と結合してしまって、テストステロンはあるのに不活性なものが多いのでは、と考えられるという。
これも正常範囲内ではあるが、甲状腺機能も亢進気味なので、タンパク質に結合してしまっている可能性が高いと。(理屈はよくわかっていないけど医師から言われた記憶を頼りに書いてます)
「これは体質なんですか?」と尋ねると「そうですねぇ…」と医師も困り顔。
ほとんどの人は3ヶ月に1回の薬剤に変更することでホルモンの血中濃度の波が緩やかになるから、欠乏症状も穏やかになることが多いのだけど、僕の場合は不活性なテストステロンがあるだけだから、減ってくるとどうしても欠乏症状が辛いのかも…という。
かといって結合タンパクにさせないために甲状腺機能を抑制したら、それはそれで活力に関わるので抑うつになってしまうだろうと。
個人的な体感としては、注射からちょうど2ヶ月半くらいでいきなり猛烈な眠気と怠さに襲われて動けなくなり、2〜3日して体が慣れた頃に今度はメンタルがめちゃくちゃ過敏になり、それがマシになってから注射までは虚無(何も感じない)で死に際の一花みたいな爆速で仕事が捗る数日間が訪れるサイクル。
それを医師に伝えると、サイクルがわかっているのであれば辛くなる時期はあらかじめゆとりを持って過ごせるようにしておくことを提案され、付き合っていくものになると思うと言われた。
ごく稀に、僕と同じようなタイプの人で、2ヶ月半経ったタイミングで2週間分のホルモン注射(昔打っていたタイプの薬剤)を追加で打つ人もいるらしいが、「それなら3ヶ月に1回はやめます」という人がほとんどとのこと。そりゃそうだ。効果に対して費用が高すぎるもの。
体感では、手術から数年経った今の方が、手術直後よりも欠乏による辛さに翻弄されている感じがしている。
(生物学上、器質的には)健康な臓器を摘出したのだから不具合が生じるのは当然なんだけど、年々ひどくなっている気がするのが堪える。
手術したことに後悔は全くないし、手術前に戻れると言われても絶対戻りたくはない。けれど身体的な違和をできるかぎり薄めた先がホルモンバランスに翻弄される日々というのは、なかなかシビアだと思う。
体調管理するのももう疲れた。努力が足りないと言われればそれまでだけど、仕事して疲れて帰ってきてそこからできる筋トレなんてたかがしれている。無い体力振り絞って毎日頑張っても遊離テストステロン値に大きな違いもなかったし、見返りもないのに取り組めるほどの意志の強さはどっかへ消えた。おまけに難聴までついてきて、何がどれに影響して今の体調なのかもよくわからなくなってしまった。
年間、月の手取りくらいは医療費に充てないと生活できない身体であること、たまには愚痴も言いたくなる。かといって保険の効く薬剤にしようとしても、社会人やってたら2〜3週に1回の通院・注射は時間的にも体力的にも僕には厳しい。
なんて不便な身体だろう。うんざりする。し、こうやって不平不満を吐露していることにもなぜか引け目を感じる。人と比べる必要はないとわかっているのに、メンタルが落ちているせいで、「もっと重篤な病を患っても前向きに闘っている人もいるのに」とか「みんな言わないだけで何かしら抱えてるのに情けない」とか思ってしまう。
巷で持て囃されるのは、「治療して戸籍が変わって、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」というストーリーばかり。だけど、内摘手術後の不調に苦しむ人だって本当はいるんじゃないだろうか。
これから治療に進もうとしている人がこれを読んでいる可能性がどれくらいあるのかはわからない。でももし読んでいる人がいたら、そのことは心してほしいなと思う。
確かに、身体治療によって、未治療の時と比べればはるかに生きやすくなる側面は大いにある。
でも、それだけで生きづらさが全て解消するわけでは絶対にない。治療をしたことで出てくる弊害まで引き受ける覚悟がないのであれば、治療をした後悔が上乗せされる分、もっと生きづらくなることだってあり得る。そしてこの治療は不可逆的で、取り戻すことができない。
「治療さえできれば」「名前や戸籍さえ変えれば幸せになれる」で勇足を踏んで、蓋を開けたら勘違いだったとしても、一度取り出した臓器は元に戻せないし、名前や戸籍の変更だって滅多なことでは覆せない。
GIDの身体治療は、生きづらさが全部解消されてハッピーに生きられる魔法なんかではない。
手術して良かったと(というかそれ以外に選択の余地がなかったというのが正しいかも?)思っている僕のような人間でさえ、毎度のホルモンバランスの崩れに、性懲りもなくGIDとして生まれたことに絶望している。少なくとも3ヶ月に1回必ずだ。そうなった時に支えになるのは、GID以外の部分で自分の人生や存在をどれだけ肯定できているか、だ。たぶん。だってGIDであることを肯定できる日なんて来ないだろうから。
不可逆的な手術に後悔してしまう人が、つまり、安易に生きづらさの原因を性別だけに求めた人が、術後の不調に悩まされたとき、絶望することも他責的になることもなくそれを乗り越えられるとは思えない。
生きづらさの原因を安易に性別のことだけに求めようとすると、とんでもないことになるリスクが生まれてしまったのが、即日診断が横行するようになってしまった現状なんだと思う。