そもそも何も音沙汰がないから、今更のように言う必要もない事だと思ったけど、一応報告しておきます。
音楽活動はもうやめる事にしました。というか、もう自分の中ではやめてます。
その理由にほとんど誰も興味などないだろうけど、一応けじめ的なものとして、何かの形として残しておきたいと、あくまでも自己満足的に思ったので、こうして久しぶりにブログを書いてます。
読んでいただけたら幸いです。
僕にとって音楽とは何なのか?
というのが、僕がエレキベースベースを手に取った16歳の春から続く、長年の命題だったのではないかと思います。今にして思えば。
まず高校生になったら漠然と、音楽をやりたいと思っていた。
中学生の頃によく尾崎豊を聴いていて、あの社会不適合の若者の代表みたいな、ワルい感じに憧れていたというのがあるのかもしれない。
ベースを始めてからは、色んなバンドをやって、そこでしかできないような貴重な経験を沢山して、でも結局バンドというものから離れる事に決めて。
その時に一度、改めて考えた。自分にとっての音楽という存在の事を。
その時に出した答えは、やっぱり音楽が好きで、その自分の好きな音楽を、自分なりの形で再現したいという事だった。
それでまあ、結果としては全くもって中途半端な形になってしまったけど、一人で音楽を作ったりもしてみた。
でも、その過程でまた色々考える事になった。
日々の仕事やら何やらで疲れて、でも休みの日はちゃんと休みたくて、じゃあそんな中でいつ音楽活動なんてできるのか?
そこは、はたから見ればどうにでもできる問題かもしれない。仕事を減らせば良いじゃないかとか、休みの日にやれば良いじゃないかとか。
そうすると、そこには優先順位の問題が出てくる。
何を差し置いてでも音楽をやりたいという強固な意志があるならば、自ずと仕事も減らすし、疲れていても休みの日にやる事だってできるはず。
でも、僕にはできなかった。
生きていくためにはお金は稼がなくてはならないし、疲れているなら休むべきだと、そう思ってしまった。
僕にとって音楽とは何なのか?
それは僕にとって、生きていく術にしたいものではあったけど、正確には「生きていく術にできたら良いなと思えるもの」だったのかもしれない。
この微妙な表現には、それなりの意味がある。
例えば、「意地でも生きていく術にしたいもの」とは、大きな差がある。
気がついたら、音楽を始めてからもう15年近くが経っていたわけだけど、その間僕がやっていた音楽には勿論、誇りを持っている。
そして、自分なりには一生懸命やってきたと思っている。
けど、振り返った時、そこに「血の滲むような本気」があったかと言われたら、正直自信がない。
これを、自分の過去に関わった音楽全てに対する冒涜とは、どうか思わないで欲しい。
そもそも僕は、「血の滲むような本気」がこれまでの人生であったのかと言われても、自信がないのだから。
結果として、自分は音楽を生きていく術にする事はできないと感じたわけだけど、それはあくまでもクリエイターとしてだった。
次に考えたのは、クリエイトする側をサポートしていくような、例えばアーティストの所属事務所やレコード会社、CDショップなどに身を置くのはどうだろうかという事だった。
それからは、実際に企業にエントリーもしたし、面接も受けた。
でも、その過程で感じたのは、そこに身を置く事にもまた相当な覚悟がいるという事だった。
あんまり詳細を書くと、その道の人に悪いので省くけど、とにかく、色々キツいだろうなと思った。
楽な仕事なんてそもそも存在しないだろうけど、普通の意味とはまた違って、色々キツいと思った。
そこら辺は、何となく察していただけたら。詳しくは書けません。
ここまで書くと、音楽なんて大して好きじゃないんじゃないのと思われそうだけど、そういうわけでは決してなくて。
むしろ、こんなに好きなものはおそらく他にはないと、そこは強く言い切れる。
じゃあ何なのって自問自答した時に出した答えか、「いちリスナーとして音楽を愛したい」という事だった。
それが僕の長年の命題、僕にとって音楽とは何なのかに対する、現在の自分からの回答だった。
自分が音楽を発信する側に立とうと思った気持ちは嘘ではないし、その時の自分は間違いなく本物だった。
でも、人間は変わっていく生き物。容姿もそうだし、考え方や自分の置かれた状況や、とにかく色んなものが変わっていく。
昔レコーディングをした時、お世話になったエンジニアの方が月に何十枚とCDを買うような、とにかく最新の音楽を膨大に知っている人で(というかこの業界の人はみんなそうなのかもしれないけど)、それがスゴくカッコよくて、それから自分ももっと沢山の音楽を知ろう、聴こうと考えるようになって。
今にして思えば、それ以前の自分は本当に限られた音楽しか聴いていなかったと思う。恥ずかしくなるくらいに。
それから、出来る範囲でだけど、沢山の音楽を知るように心掛けた。
そうしていく中で、新しい音楽に出会う事が大きな喜びに変わっていって、気がつけばそれが僕の音楽に対する欲を満たしている事に気がついた。
自ら音楽を発信しなくとも、そういう人達に関わる仕事につかなくとも、アーティストから届けられた作品をイヤホンを通して聴くだけで充分、僕は満たされていた。
それはもう、充分すぎるほどだった。
僕の周りには、やはり音楽活動している人が多い。
僕のようにやめていく人もいれば、続けていく人もいる。
その差は何なのか。個人的な考えを言うと。
音楽活動を続けていく人は単純に、「そうせずには生きていけない人」なんだと思う。
そういう人が最終的に残っていくんだと思う。
僕はそうじゃなかった。
逆にそうした中で振り落とされた人間を、かつての僕は「諦め」と考えていた。けど、今は違う。
そういう人達は、他に大切なものを見つけたんだなと。今なら思える。
かつて僕にとって音楽とは、生きていく術にしたいものと考えていたけど、人間誰しも少なからずそうだと思うんだけど、生きていく事がまず重要で。
生きていくためには、生きていく手段をどうしても考えなくてはならない。
その手段として、僕は最終的に音楽を選ばなかった。というより、選べなかった。
前述のように、僕はいちリスナーとして音楽を愛したいと思ってしまったから。
生きていく手段としての音楽は、僕にはどうしても辛かった。だから逃げたというわけじゃないんだけど。
僕の音楽に対する接し方として、一番良い形が、リスナーとしての音楽だという事に気付いたから。
僕にとって音楽とは何なのか?
やっぱり音楽は大好きだ。なくてはならないものだ。
でもそれは、作り手としてではなくて、聴き手として。
それが今の僕からの回答。
4月からは一般企業で働く事が決まっていて、すでにその準備に色々と追われている。
就職なんてカッコ悪いって、数年前の自分は思っていたけど(だからこういう道を進んできた)、今はとてもすっきりとしてその道を選ぶ事ができた。
大学を卒業するにあたって就職するような、敷かれたレールの上を歩くようなある種の「当たり前感」というか、「仕方なさ感」みたいなものが全くなくて。
ここまで音楽活動をやってきたのも、敷かれたレールの上じゃない、自分が選び取った道であり、そこを外れて就職するというのもまた、自分が選び取った道で。
だから、スゴくすっきりしてる。本当に気持ちが良い。
多分、大学を卒業してすぐに就職していたら、こういう気持ちには到底なれなかっただろうと思う。
スゴく、クリアだ。
紆余曲折を経たけど、その紆余曲折は、自分の人生において必要不可欠なものだったんだなと。
自分で言うのも何だけど、なかなか充実した人生だ。
長くなりましたが、バンド活動時代から中途半端なソロ活動まで、応援して下さった方々、関わってくれた皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
そして、これからもまた、何卒よろしくお願いします。
アーティストという肩書きは置いていくけど、無類の音楽好きとしては今後も生きていくので。
それではまた。
