午前中、仏教講座に参加。

またいいお話を聞かせて頂く。

 

お話は難しいですが分かりやすく解説していただけますし、3回目くらいの話ですのでなんとなくは分かります。ですが、それを聴いて自分が根本から変わっていくのは難しい話で、こういう事なんだなと理解することに尽きる。

理解するから納得が生まれる。

 

のですが、同時に疑問もわいてくる。

 

その疑問を問うて解決していくという繰り返し。

 

 

自分自身が、なるほど!と膝を打つレベルなので「納得感」が段違いだ。

 

 

今日のお話の内容は、正信偈の一節にある内容で、「龍樹菩薩様」がどのような事をなされたか。

 

非常に簡単に言うと、人間の凝り固まった過ちを徹底的に粉砕するという事をなされたらしい。

死んだ後には霊魂が有るという考えと、死んだあとには何もないという考えを徹底して粉砕する事をされたとのことです。

 

死んだあと霊魂があるのかというと、それはないという事です。

無我なるが故に常有にあらず。  「 無我 」とは、この世に 固定不変のものは存在しない、 ということらしいです、

 

死んでしまったら何もない、そこで終わり。というのでもない。因果応報という事が起こるがゆえに、死んだらその人はそこで終わりという事ではない、という考えを徹底的に説かれたそうです。因果応報なるが故に来世なきに非ず。とのこと。

ちょっと調べたところ、有る無しは人間(凡夫)が勝手に想像したことでお釈迦様のお言葉とは完全に逸脱しているという事らしいです。人間の教えを信じる人間。

この時点で仏の教えとは違いますね。

 

 

ちょっと難しい教えですね。

 

 

 

先にも書きましたが、こういう話を聴き流すのでは無く、なるほどなーー!って言えるまで、聞いたり調べたり。

言わんとしていることがしっかり腑に落ちるレベルで聴きぬくという事が重要です。

 

関連して、三業と阿頼耶識のお話もあったのですが、なんとなく意味合いは解りますが書くには至りません。

 

死しても阿頼耶識に縁が結びつき、生まれ変わりを繰り返すが、阿頼耶識には業が蓄えられていて、結ばれた縁にによって結果が起きるとかなんとか・・・

 

ここはよくわかんないです。

聞いているようで、本当にただ聞いているだけという状態なんでしょうね。

頭が悪いので理解力が低いせいもありますが、府に落とすように聴けていいないという事があるなぁと感じています。

 

折角聞き始めたので、ある程度は理解したい。

聴くときはますます励んで聞かねばなぁと思う次第です。

 

 

じゃまた!