昨日の、めちゃくちゃ熱い稲刈りから1日過ぎ、父の痙攣も収まった。

 

昨日は終わって落ち着いてから、これまでに見たことないくらいに動けなくなっていたので、さすがに心配した。

 

 

実は、昨日はかなり怒っていた。そのために一回書いたものを消して、書き直した。

稲刈り中、暑いのは天候のせいなのでどうにもできないが、「重さ」とか「作業量」はコントロール出来る事。

 

動けば動くほど、重い物を持てば持つほど体の負担が大きくなって疲労がたまる。

 

無理せず、重さを控えて、楽をしろって言うのに一切聞き入れない。

「いけるいける」「そんなこと気にせんでいいから」

 

その結果の痙攣。

下手すりゃ死んでいた。

 

 

昨日は書かなかったが、「心配」にも色々と含みがあるが、自分の不安を心配だと言っていることが大きいと思う。

 

私的には、親が倒れる・死ぬというのは、悲しいし苦しいし怖いし、寂しいし・・という感情がある。

万が一にもそうならないように、自分の苦しさが現実にならないように、言葉を使って、相手に自分を困らせるなというメッセージを伝える。

そんな時の、こうしたらいいよって言うアドバイスがその手段の一つ。

 

それを受けた側は、自分をコントロールされているように感じてしまうことが多い。

しかも上下関係がはっきりしているので、はっきりと排除しようとする。

 

そういう状況であったため、昨日は腹が立っていた。

自分の心配事が現実になってしまった。

軽度でよかったが、私の心配は正しい方向性であったにもかかわらず、邪険に無視した、という事に腹が立っていた。

 

自分の想像する怖さが現実に近い事になったからね。

 

 

でも1日経って、冷静になるって落ち着いたわ。

 

書くのは分量が多くなるのでかなり短く書いたが、一部でもかけた事で自分の気持ちにも整理がついた。

 

結果的に大ごとにならなかったことを、改めて、神様仏様大いなる存在様にお礼を伝えたい。

 

 

じゃ、また。