今日、急に思い立ったんですが、心の描写を描こうと、昼から悪戦苦闘していた。
紙にラフ絵描いて、イメージをまとめつつ、あーでもないこーでもないと思考錯誤。
大まかな基準になる構想は、脳内に結構前から出来てたので、それに合うように紙に落とすというのが結構難しい。
思ったようなイメージを絵にするって高度な技術だよな。
小学生の昔から、写生とか風景、人物動物など、見たものを絵にすることが、出来なかった。
線がまっすぐかけないし、丸を丸に出来ない。
練習量も圧倒的に少ないけど、それでも、対象物を見て、大体の雰囲気を真似て書くって言うのは小学生でも出来る子は多い。
人間は難しいけど、物だと特に違和感なくかける子も多いと思う。
私、それが出来ないんだよねー。
今日は、メージを絵にするというのをやってましたけど、全体の構図とか、大まかな物の配置とかまでは大体できるけど、個別のパーツとしてのイメージが上手くいかん。
絵にするのは大体で諦めて、手書きの絵をエクセルの図形で形作って行くんだけど、これがまた難しい。
慣れてる人なら20分くらいの作業を、慣れてないもんだから、ちまちまとやって
1時間半。
若干、イメージからずれてるけど、大まかには出来たかな。
でもまだ、基礎ベースが出来ただけで、まだ作り込みが大量に残ってる。
でも、イメージとかなりズレてんだよなー。
イメージを絵に表せるってすごい才能だと思う。
脳内って、立体構想でイメージしてるんだよね。
それを紙という平面に書き落として、立体構造的に見せるという、超高度なテクニック。
脳内のボールを紙に書いたら〇っていう風になるんだけど、これをボールに見えるように書くって大変な事。
猫の絵を描いてくださいって言われて、猫が思い出されないと、イメージが猫にならないですし、猫を思い出しても、ある程度は細かい所、足の長さ、しっぽの長さ、耳の形などがハッキリとイメージできないと、絵に猫らしく描けない。違った動物になる。
結果的に、脳内イメージと絵にする能力が合わさって猫になるんですよね。
少々でいいので、立体を立体らしく描きたい・・・。
あわよくば、見た目に上手っぽく・・・。
これが出来たら、脳内イメージがしっかりしたものになって、上手く伝わる絵に出来ると思う。
とういう具合なんだけど、出来ないんですよね・・・。
恐らくは、現実世界も細かい描写をしっかり見ていない、立体的に視覚していないんだと思う。
多分、脳の気質の問題かなっと。
昔から目が悪く、「見る」という能力は普通の視力の子と比べても低かったと思う。
小2でメガネ。この時0.2とかだったかな。
黒板が見えないからいつも一番前。
図工の写生の授業で、外で絵を描くって言うのがあって、見える範囲の山を書いたら、「もっと色があるでしょう」と先生に言われたんです。
実のところは、目が悪くて遠くの山の木々の彩とかよくわからんかった。
今思えば、陰影もよく見えず、距離感も怪しいので、立体感覚は平均以下にしか感じれていなかったかもしれん。
特に小学生時代は、忘れ物が多い、物覚えが悪い、複数の処理を同時に出来ないとかとい症状があって、それも重なって、「見てしっかり記憶する」というのができにくかったと思う。
見るという機能的な目と、それを処理する脳の問題で、十分とは言えない視覚認識能力しかなかったと思う。
それが今でもあるかな。
こういう感じで、作業的なことをしながら、自己分析もしてみた。
悲しきかな、生まれの影響はどうにもならん。
多少、分析によって問題も把握出来たので、「意識して」取り組むことで、変化があるやもしれない。
後は、努力できるかどうか。
こういうように、外から自分を客観的に分析してみることは、「意識」が変わる。
けっして、目がよくなったり絵がうまくなったりしないけど、意識が変わるという事は他の様々な所にも少しずつ変化を及ぼす。
昨日まで書いてたことのように、愚痴や批判的なことも、自分は何に怒っているのだろう?なぜ起こってるのだろう?とか言うように、ちょっと冷静になって自分を見ることが出来る。
そうすると、自分はこういう所があるんだな、自分にとってはこういう事が大事だったんだなというようなことも見えてくる。
なので決して、愚痴や批判は悪い事とは思わない。
問題はその後に、冷静に自分を見れるかどうかだと思う。
今日は、絵心の無いところから、自己認知や自己分析といった、外から自分を客観視することができたかもしれない。
そしてそれを、文章に出来た。書き方は稚拙だけど、思っている事を文章化するというのは、結構大事な事よ。
まあ、そんなことが分かったって事ですね。
ありがたや~~。って感覚です!
じゃ、また!