昨日の話・・・

私の母校なんですが・・・

 

今日は午前中、仏教講座に参加しておりました。

何回聴いても、説明できるようには理解が及んでいないので、あくまでもメモ程度の話ですが、復習の為にも書き残しておきたい。

仏教の言葉は難しいし漢字が読めん・・・ので、ちょっと間違いがあるかも。

 

 

お題は「歎異抄」について。

歎異抄そのものは親鸞聖人がお亡くなりになった後、間違った教えが広かったことを嘆いたお弟子の唯円が書かれたと言われる。

正確な署名がないので、読み解けば「おそらくは」という事らしい。

なので「正確には、著者不明」というのが正解とのこと。

 

で、お話の中で「なぜ生きる」という話をテーマに「四苦八苦」についてお聞きした。

四苦八苦とは

◎ 生苦(しょうく) 生きることの苦しみ。4分類が含まれる。 

  ・愛別離苦(あいべつりく)

  ・怨憎会苦(おんぞうえく)

  ・求不得苦(ぐふどっく)

  ・五陰盛苦(ごおんじょうく)

◎ 老苦(ろうく) 老いの苦しみ

◎ 病苦(びょうく) 病気にたいする苦しみ

◎ 死苦(しく)  死ぬことへの苦しみ

 

 

あわせて、

難思の弘誓は難度海を度する大船
(なんしのぐぜいは なんどかいをどする たいせん)

 

仏教の言葉は難しいしいなぁ・・

 

 

人生とは、大浪小波が押し寄せる、苦労の多い海のごとき。

そんな海を渡らせるぞって言う阿弥陀の誓いが「南無阿弥陀仏」で、ここでは大船として現わされる。

 

難思の弘誓:「阿弥陀仏の本願=約束」

難度海:わたり切る事が難しい海=人生の苦難・四苦八苦

を度する大船:を渡せたまう大きな船=大悲の願船=阿弥陀の本願

 

つまり、この船に乗る事が、なぜ生きるか=死の解決、の答えである。

とのことでした。

船に乗る事を「往生一定」というらしいのです。

 

じゃ、どうやって乗れるか??

「聴聞に極まる」

とのこと。

 

 

話をよく聞いて疑いを無くしていくことかなーと理解した次第でした。

 

 

ここまでまとめるの長かった・・・

 

 

で、ここで、冒頭の話。

 

折角、全国に向けて、「俺の母校、ド田舎で閉校にもなったけど、こんな形で活躍してたで!」ってプチ自慢が言える状態だった。そうなるように、多くの有志の方が努力されていて、その結果が顕われていた。

 

私自身がどうこうしたわけではないけど、誇らしいというか、うれしいものがあった。

 

それがさー、どこぞの誰かが「ゆっくりするのに子供向けのおもちゃばかりでくつろげん。撤去せいよ!」って?

 

元々校舎で部屋は沢山あるんだよね。しかもすぐ近所に昔からある立派な公民館もある。

なのに、「なぜここを狙った」のか。

あまりにも腹黒い匂いがプンプンする。とてつもなく嫌な感じだ。

 

 

・・・・というのが、午前中に拝聴した話の中の、怨憎会苦(おんぞうえく)かなと思う。

実際は、会うことは無いと思うのですが、こういう気持ちを持つこと自体が苦しみだ。

若干、勝手な解釈が入っていますので、専門家の方がいらしたら教えて頂き合いのですが、人を憎むという感覚にも程度の差がある。

今回も、教えそのものからは少し離れますが、程度差の問題だと感じます。

 

 

今日も今日とて、長々と愚痴の書き物になっとるなぁとは思う。

世の中、諸行無常。移り変わりは世の常だから、こういう事態もあり得る話。

 

でもなぁ・・・。せめて、今までご尽力された方が管理人ならよかったと思えるけどさ。

なんか、クレーム付けた人が管理人っていう話みたいで、どういうこと?ってなる。

ないわーーって思うのが普通の感覚だと思うんだけどねぇ。

 

 

 

こういう四苦八苦を乗り越えて、大悲の願船に一歩近づいたかな!?

 

 

 

今日は昼間に書けて良かったのでこれでおしまい!

 

じゃ、またーー!