徒然川柳 川島弘嵩
日常のふとした瞬間に心が動き、言葉がこぼれ落ちることがあったらいいね。この一年間、月二回の句会を中心に詠み溜めた作品や、川柳募集へ投句した句などをキリよく集めた、三六五句です。題して「徒然川柳」です。
「徒然(つれづれ)」の名の通り、特別な事柄ばかりではありません。季節の移ろいや日々の雑感、ふと浮かんだ思いを、肩の力を抜いて十七音に託してきました。句会で仲間と高め合った時間や、投句に込めたささやかな期待も含め、すべてが私の一年間の歩みです。
一句一句は小さくとも、並べてみれば素朴な日常の記録となりました。どこか一句でも「分かるなぁ」と共感していただけたり、クスッと微笑んでいただければ幸いです。どうぞ気楽にお目通しください。
萩姫や八百年後も湯は温し
湯煙に歳を忘れてまた長湯
銚子ヶ滝お銚子傾け霧に酔う
でっかくて海かと思った猪苗代
尖閣の海にゴロゴロ宝あり
政治家のお願いします二枚舌
伊東正義清き政治の置き土産
備蓄してダッチロールの米価かな
大地震備えてみても憂いあり
あこがれは枯れた味わい備前焼き
あれこれで話しが通る同世代
目が泳ぐ自信のなさが平泳ぎ
まあいいか知らぬが仏あの世まで
校章は実は私の代表作
行合や恋を渡せる逢瀬橋
梅雨晴れ間虹の架け橋たのしみに
橋の下寝床にしてた粋な人
若者は東京に憧れそのまんま
東西の横綱有りて大相撲
朝東夕べは西に今日終える
梅雨入りに晴れ間さがして梅をもぐ
このごろは梅雨シーズンに台風が
梅雨入りに傘を忘れて濡れネズミ
高値の華マスクメロンが遠ざかる
AIが踊る舞台の令和かな
注目度これこそ人気バロメーター
熱燗をさしつさされつ四畳半
注連縄は手の内見せずできあがる
縄ないは絶滅危惧の手技です
森林税聞けば聞くほど森深し
木一本で森か林か悩むなよ
あの頃の森と泉のブルーシャトー
人を恨む暇があるなら夢を追え
ユニコーン ついに実在 大谷で
打って投げ 誰も追えない その背中
酷税は財務省の陰謀伏魔殿
裸電球二股ソケットラジオ鳴る
曇天や見えぬ電車を耳で追う
AIに解を求めて嘘つかれ
世の中は解より先に空気読む
解を問うその問い方に人が出る
つばくろめ自由自在に風を切る
初かつを出刃包丁のひと閃き
縁切りも御免町知る福聚寺
今は昔泣いて馬謖を切る掟
夏祭り金魚すくいの技冴える
浴衣着て鎮守ノ杜の夏祭り
鎮守ノ杜夏祭り過ぎ風ひとり
最近は米櫃の底減りません
粘土質土壌がつくる美味い米
米国を美と書く意味を問い直す
登りより下りが膝にのしかかる
緊張は山場を前に腹を決め
山有れば谷あり悟る喜寿祝い
チャレンジをしてみる気概線香花火
毎日がゴールデンウィークもう飽きた
身体の劣化自覚大師の悟り道
世襲では代わり映えなしお大臣
選択肢無い中選ぶ世襲制
多いかなやると貰うは大違い
消費税下がることなく増えるだけ
みんながねそのみんなって何人や
出す側と貰う側では額違い
覗かなくとも声が筒抜け長屋かな
この時代中を取り持つ死語となり
ブランドは磨きをかけた歴史なり
無印は中身勝負の魅力あり
みどりの日いまだなじまずまだ若い
みどり児は次世代つなぐ孫の子よ
あの色は青かみどりかアイマイミー
未来ほどすぐやってくるものはない
これだけは誰ひとり無く天に逝く
目指したい天だからこそ誰も逝く
ロケットは天海向かう箱舟よ
喜喜として足運ぶとこまだあるぞ
喜多方の朝ラー文化やってきた
悲しみも喜びもまたアラカルト
幾年ぞ大波小波越えて今
今だって逃げると聞くと原発か
夜逃げして出戻り顔の目が泳ぐ
便利屋は夜逃げも仕事コソコソと
現実は祈ることより核が上
祈っても変わらないからごさやける
賽銭の額で悩むな初詣
花見だよ源平団子列をなし
スマホみて日本列島花見する
いつからか桜吹雪にかふん舞う
葉書よりLineがまさる寝たままで
落ち葉みて生臭坊主木を倒す
最先端雷一発ご臨終
雷門ぶらりと下げた松下流
言葉だけ雷オヤジ今何処
便利だよメールに代わり今ライン
流行りメール密かに去るはハガキかな
年賀メール確認するが味気なし
タラレバで夢が膨らむ宝くじ
3番があこがれだった今17番
この国の政官癒着ゆるゆるよ
病気して念願域のスマートよ
ドラマとはどらまちっくの寸詰まり
ドラマーは総理がやると株をあげ
あの人もこの人も皆ドラマだよ
この頃は春の霞は疎まれて
夜が明け春はあけぼのひがなひま
春花粉嫌われ役の親分よ
目力は千両役者の代名詞
売出しは目玉なければサングラス
だるまさん目玉を入れて役目終え
色褪せた7円ハガキ持ってるよ
永六輔七円の歌覚えてる
ハガキはねかつてどこにも七円で
はがき道便り届かぬ黄泉の国
年賀はがき書かなくなって歳を知る
酒好きはぬるめのかんが合言葉
ぬるめの湯ここが名湯くさっぽ湯
江戸っ子はぬるめ湯なんざ御免だね
よく笑い人生口座に利息つく
自民勝ち節分明けにもう天井
裏金も比例復活なんだかね
物忘れ笑って済ます達人に
火事前にダイヤル廻し声しどろ
何がニコニコだったか共和国
どの顔も笑顔笑顔の掲示板
にこにこの妻の笑顔に胸さわぎ
ニコニコと知らぬが仏あの世まで
天災は忘れなくともやってくる
夜回りも今は聞こえぬ火の用心
パワハラが複雑になり追いつけぬ
今はもうガラスの靴は夢の夢
若さとは明日が見えぬすりガラス
浮くものと沈むものあり溶鉱炉
選挙前期待違わず神対応
警戒中想定外の神対応
いつの世もチグハグだらけ世代間
静かなるバトル無言の嫁姑
日米は上意下達を抜けきれず
取り急ぎそんな言葉で言い逃れ
急ぐなと凍結道路言い聞かす
近ごろは郵便遅配あたりまえ
晴れてよし曇りてもよし年金日
二歳児が「私もほしい」とお年玉
ラブホより談合政治嫌われた
税制度誤魔化す権化財務省
取り立てに情けはないね国税庁
取り立てはマルサ必殺国税庁
味の素の穴の大きさ運命線
これが味噌そんな奥義を知りたいよ
味変も自分が決めるさじ加減
味なことやれるか否か腕問われ
基準値はどさくさ紛れのシーベルト
いつの世ももっともらしい基準あり
ご都合が優先される基準値だ
干し柿に コーヒーコラボ ハマる一口 (あじ)
この国はいつまた地震備えしか
地震より揺れる政治に酔いが来る
地震また原発地図を開く癖
デフレ世の中古ビジネス花盛り
リサイクル中古と云う名もリニューアル
中古でも語れば光る由緒あり
古くなり味で勝負のわが夫婦
中古こそ骨董品の由緒なり
婿選び帯とタスキの例えあり
ヤッホーは声帯よりも体幹よ
熱帯夜が懐かしくなる雪便り
モノマネと声帯模写の比べっこ
逢う人で帯にもたすきにもなるわよね
メシ次第ごきげん決める腹の虫
蛆虫と嫌われものが癌治療
明るさに飛んで火に入る夏の虫
隠すより帽子が似合う歳となり
帽子とは悩み一つを包むもの
天栄の帽子ふたつが空に座す
歳取るとながいくどいは専売特許
気がつけばながいくどいはオレのこと
気がつけばながい無用のほうき有り
宮使い笑顔で今日も胃が痛い
おかげ横丁正宮よりも賑やかで
赤福で腹ごしらえの宮参り
赤福はおかげおかげの御利益ね
赤福や笑顔ほころぶ参宮路
大黒柱今はコンパネ軽い家
霜柱凛と生きよと立ち上がる
壁だらけ柱ない家そこかしこ
菊の香の残り香こそが秋の夢
土壇場で追いつめられて逆噴射
気がつけば熊出没も防衛省
日時計の影に諭され秋を知る
秋の陽に影の長さを諭されて
照らす陽に影の深さを教えら
日時計の影が教える儚さよ
陽に燃えてあとは静かに散る覚悟
去りがたし枝に一葉の残る紅
吹き流し風呑み込んで躍りだす
めまいして揺れてないかと画面見る
人の手から手へソフトクリームは聖火リレー
ピカピカに靴を磨けば気も晴れる
ピカピカのメッキ剥がれて地でひかる
風まかせないよりましなカラ元気
元気かなあの子に逢える同窓会
この歳で元気印の夢語る
歳を忘れて元気印の夢語り
いい案はあきらめかけて浮かぶもの
長良川浮かぶ瀬もあり波の花
いい案だ風呂に浸かれば浮かぶもの
目を閉じて瞼に浮かぶ道半ば
新品にあやかりたいよ畳見て
初総理化粧直しの国となる
初女性裏で操る爺の手で
初参加語彙より汗が先に出て
初参加空気読むより句を読めと
ストレスよおかげで今日も笑い飛ばす
溜まるほどネタになるぞとニヤリ顔
ストレスをためすぎるなよ皺に出る
耐える日々妻のためか耳のためか
身に付いた聞き流す術五十年
年金で昇給夢も値上げ追う
財布寒く物価上がりて春遠し
悪政は民に耐えるを押しつける
ベロベロに酔ったオヤジを見かけない
いわばいえやなぎに風よケセラセラ
都合よくやり放題の自民党
古狸磨きをかけた目眩し
脳天気今日も無事ならそれで良し
ケセラセラ天気まかせで虹も出る
脳天気笑えば風も味方する
政界は低気圧発生不安定
離脱風吹いて天気は読みづらい
天気図に笑う党首の晴れマーク
政界の天気図にまた風が吹く
離脱風追い風なのか向かい風
風評に火を足す癖がマスコミ風
真実も角度をつけて風評化
風評の追い風うけて視聴率
風評が拡散ボタンで台風に
真偽よりバズれば勝ちの風の民
風評に踊るアカウント無傷なし
薄い餅油で揚げてベロせんべい
星数をベロで数えるミシュラン
星数とスマホ検索競い合う
我流をとくとく述べるあかんたれ
カクテルに光の泡が踊り出す
光線の渦にまぎれて恋花が
夜空にも乾杯したいカクテルショー
涙してひとつ賢くなりにけり
笑い皺涙の跡もよき模様
涙雨越えて輝く虹ひとつ
涙から芽吹く言葉の力あり
涙あと笑顔ひかりて道ひらく
笑えば泣き泣けばまた笑う日々かな
涙握り胸の奥に春ひらく
笑顔見せ裏に涙のひそみけり
人生は泣き笑いの旅の道
涙ひとつ笑いひとつで花咲くなり
速度計見ぬふりしても白バイ眼
速度超え天運味方し無罪放免
速度より心臓バクバク倍に出る
速度超え風も忘れて夢の中
速度計笑って済ます秋の空
速度より命は軽くないはずよ
1年の過ぎ去る速度倍速よ
速度増し杖より早く口が出る
速度超え車も俺も止まらない
株高値迷走政治をよそに舞う
株価だけ元気に踊る国の顔
株新聞一面だけは晴れわたり
本音出て茶柱ごとく揺れにけり
上手なり本音半分嘘半分
黄昏てつい本音出る酒の席
本音言い風のようなる軽さかな
隠し持つ本音は胸の石ひとつ
本音出し笑顔ほころぶ秋の夜
黄昏に本音も色を変えにけり
本音とは夕日の赤の名残かな
本音さえ影のびてゆく黄昏時
黄昏や本音も月に委ねけり
出逢いとは人生模様のあみだくじ
出逢いとは人生模様の糸が伸ぶ
黄昏に出逢い憧れ夢の中
半世紀探す出逢いは夢のまた
半世紀出逢いの果ては慣れの果て
半世紀元を糺せばある出逢い
涙してひとつ賢くなりにけり
笑い皺涙の跡もよき模様
涙雨越えて輝く虹ひとつ
涙から芽吹く言葉の力あり
涙あと笑顔ひかりて道ひらく
笑えば泣き泣けばまた笑う日々かな
涙握り胸の奥に春ひらく
笑顔見せ裏に涙のひそみけり
人生は泣き笑いの旅の道
涙ひとつ笑いひとつで花咲くなり
掛け違え話のボタン戻らずだ
押し問答固いボタンはゆるまない
座りすぎ牡丹どころか根が生えて
座り込み立てば芍薬夢の花
座れば牡丹立てぬ姿は枯れ木かな
座れば牡丹立たねばそのまま観音像
座り癖牡丹はとうに造花かな
座り牡丹スマホに根付く鉢植えか
座れば牡丹腰痛連れて医者通い
座り牡丹リモート続きで根が深く
道草に見つけた景色宝もの
急ぐなよ道草しても春は来る
道草で人生ちょっと甘くなる
道草でスマホの森に迷い込む
AIに聞いて寄り道さらに迷路
道草が本業よりも映えちゃって
道草で気づけば余生本番だ
推し活で人生最大道草中
定年後道草ばかりの迷走中
道草も残り時間を食い尽くす
終活もまだ先とまた道草に
八月の末に輝く集中力
夏休み計画表は絵に描いた
宿題と今も綱引き締切りで
宿題をAIに投げて遊ぶ夏
映える方宿題よりも優先だ
提出もクラウド上で間に合わず
親までもAI頼みで子は遊ぶ
夏休み自由研究コピペ祭
曇りガラス明日は見えぬが夢は映る
ガラス張り中は真っ黒演じ芝居
見せかけのガラス張りは隠れ蓑
中身隠し透明の仮面笑うだけ
ガラス張り割れぬうちにと嘘みがく
色眼鏡かけてちょうどの国会劇
度が合わぬ眼鏡で見るな民の声
老いてなおメガネを外せば真が見え
曇る眼よメガネ外して澄む世界
メガネ越し正義も曲がる与党席
備えても備えが追いつくヒマもなし
非常食賞味期限でまた小言
吠えるから置いていけとは言えぬ夜
忘れるな言う間もなくてまた揺れる
防災も記念日だけの催しか
訓練日妻の命令で走らされ
約束を忘れてしまう脳天気
プロミスもいつの間にやら銀行系
ベロ抜くと閻魔が言えば嘘も減る
資源ごみ俺も混ぜてと云い難し
再生に出せぬ心とこの身体
押し買いにビビるドア越し居留守です
古びても部品まだまだ使えます
型落ちも磨けば光るはずだった
リサイクルされずに倉庫でほこり待ち
古びてもまだ使えると誰か言え
古古古米鶏の餌かと思ったよ
コッコ米鶏のエサ喰え米不足
夕焼けを浄土とみたてお弔い
壁のシミ語る昭和の雨だれと
ペンキ塗り俺も染めたい白い髪
我と家いたわり合いて春を越す
荒れ模様港の灯さえ冷たくて
錨打つタイミングなく妻の波
寄港待つ風まかせなる俺の舟
車にはお守りよりも録画中
言いすぎて止まぬ自分にまた火つけ
煽るなよ年の功より録画中
睨まれて返す目よりも録画シール
杖じゃない山ではこれはステイック
紅葉より目立つ装備の山じい達
足もとは老いを隠さず決める杖
山頂で語る昔はいつも晴れ
一刺しに 蚊取り線香 倍返し
八十一年語り部となる夏の風
はじまり 川島弘嵩
🟡 話し言葉と書き言葉が同じなのは、今日あたりまえになっている日本語ですがこれは明治以降のこと、たかがまだ150年経っていないのです。
日本語の「OS」を書き換えたのは、一人の落語家と速記者、若林玵蔵からだった。
――「記録」と「伝達」が変えた表現の歴史
私たちは普段、自分が話している言葉を、そのまま文字として書き起こすことに何の疑問も抱きません。「今日はいい天気だ」「それは面白いね」「どうしたんだい」――そんな日常の会話を、そのまま文章にすることができます。しかし、この「話し言葉」と「書き言葉」が自然につながっている状態は、日本の長い歴史の中では決して当たり前のことではありませんでした。むしろ、日本語には長いあいだ、「話す言葉」と「書く言葉」の間に大きな隔たりがあったのです。
明治初期の日本を考えてみると、その違いがよく分かります。当時の書き言葉は、大きくいえば漢文を日本語として読むための「漢文訓読体」と、平安時代の古典に範をとった「擬古文体」などが中心でした。これらは長い歴史を持つ立派な文章語ではありましたが、日常の会話とはかなり異なるものでした。文章を書くためには、それなりの訓練と知識が必要だったのです。一方、庶民が路上や長屋、商家などで交わしていた言葉は、もっと生き生きとしていました。「そうかい」「そりゃ困ったね」「どうしたんだい」「〜じゃないか」――そんな言葉が、人々の日常生活の中では普通に飛び交っていたのです。つまり、人は「話す」ことはできても、そのままの言葉では「書けなかった」。ここに、明治の日本語が抱えていた大きな矛盾がありました。
明治維新によって近代国家をつくろうとした日本にとって、これは決して小さな問題ではありませんでした。学校教育を広げる。新聞を読んでもらう。法律や制度を国民に伝える。新しい知識や情報を全国へ届ける。そのためには、一部の知識人だけが理解できる文章ではなく、できるだけ多くの人が読める文章が必要になります。ヨーロッパではすでに、話し言葉に近い近代的な文章語が形成されていました。日本でも、「話す言葉と書く言葉を近づけよう」という機運が次第に高まっていきます。これが、いわゆる「言文一致運動」へとつながっていきました。
ところが、この言文一致を考えるとき、私たちはつい文学者や文豪の名前から考え始めてしまいます。二葉亭四迷、山田美妙、尾崎紅葉、坪内逍遙――確かに、彼らは近代日本語の文章を大きく変えた重要な人物です。しかし、その前段には、意外なところから生まれた「生きた言葉」の記録がありました。それが落語です。そして、その中心にいた人物が三遊亭円朝でした。
円朝は幕末から明治にかけて活躍した落語の名人です。「怪談牡丹燈籠」「文七元結」「真景累ヶ淵」などで知られ、単に聴衆を笑わせるだけではなく、登場人物によって声色や語り口を変え、聴く人を物語の世界へ引き込む、卓越した話芸を持っていました。円朝の落語は、人間の感情や生活を、生きた会話によって描き出す芸でした。そこには、文学作品の中ではまだ十分に定着していなかった「庶民が実際に使っている言葉」が、豊かな表現として存在していたのです。
しかし、どれほど素晴らしい話芸であっても、当時は高座が終われば消えてしまいます。今ならスマートフォンで録音もできます。動画を撮影しておけば、声も表情も、その場の雰囲気さえ後から再現することができます。しかし、明治の時代には、そんな便利な機械はありません。「もう一度あの話を聞きたい」と思えば、もう一度寄席へ行くしかありませんでした。まして地方に住む人や、その日の高座を聞けなかった人には、円朝の話芸に触れる機会そのものがありませんでした。
そこに登場したのが、速記という新しい技術でした。速記者の若林玵蔵は、円朝の高座を聞きながら、その言葉を速記によって記録していきました。そして、それを整理して出版した。これが円朝の「速記本」です。今の私たちの感覚でいえば、録音機によって音声を保存し、それを文字に起こしたものに近いでしょう。しかし、当時としては画期的な出来事でした。なぜなら、そこには、それまでの文学作品にはほとんど見られなかった「生きた話し言葉」が、そのまま活字になっていたからです。
「そうかい」「そりゃ困ったね」「いったいどうしたんだい」――人間が実際にしゃべっている言葉が、文字として本の中に現れた。それまでの文章が「書くためにつくられた言葉」だったとすれば、円朝の速記本は「実際に人がしゃべった言葉」を記録したものでした。ここには、話し言葉と書き言葉を近づけるうえで、極めて重要な意味がありました。しかも、その本が面白かった。ここが大きなポイントです。当時はテレビもラジオも映画もありません。もちろん録音機もありません。娯楽そのものが、現在とは比較にならないほど少ない時代でした。
そんな時代に、人気絶頂の円朝が高座で語った面白い話を、寄席へ行かなくても家で読める。しかも、難しい文語ではなく、まるで円朝本人が目の前で話しているかのような文章で読めるのです。読者は文字を追いながら、頭の中で円朝の声を再生することができました。これは、現在でいえば人気芸人のトーク番組を文字起こしして、一冊の本にしたようなものだったのかもしれません。速記本が人気を集め、広く読まれていったのも当然だったでしょう。
ここに、思いがけない歴史的意味が生まれます。若林玵蔵自身が、日本語の文章を改革しようとして速記を始めたわけではないでしょう。円朝の話芸を記録し、それを読者に届けたい。その実用的な目的から始まった仕事だったはずです。ところが、その結果として、それまで文章の世界に十分には入り込んでいなかった「話し言葉」が大量に活字となり、社会へ流通することになったのです。若林玵蔵は、意図せずして「話す言葉を、そのまま文字にして伝える」という新しい可能性を世の中に示すことになりました。
そして、この速記本に注目した文学者の一人が二葉亭四迷でした。二葉亭はロシア文学に通じ、ツルゲーネフなどの作品を翻訳する中で、話し言葉に近い文章が、人間の感情や日常を描くうえで大きな力を持つことに気づいていきます。また、坪内逍遙らとの交流を通じて写実主義の考え方にも影響を受けました。人間をありのままに描こうとするなら、古典的な文語体だけでは限界がある。もっと人間が実際に話している言葉で書いたほうが、人間の姿を生き生きと描けるのではないか。そこで二葉亭が参考にしたのが、円朝の速記本だったのです。
円朝が「語る」。若林玵蔵が「書く」。そして二葉亭四迷が、その「話し言葉の文章としての可能性」を文学の世界へ持ち込む。1887年、二葉亭四迷の『浮雲』が発表されます。こうして、落語の高座から生まれた「生きた話し言葉」が、小説という文学の世界へ進んでいきました。その後、山田美妙や尾崎紅葉らも口語体を取り入れ、新聞や学校教育にも口語的な文章が広がっていきます。やがて私たちが今日、ごく自然に使っている「〜である」「〜した」「〜です」「〜ます」といった文章の形が、日本語の書き言葉として定着していくことになります。
こうして考えると、言文一致運動は、文学者が机の上で突然考え出したものではありませんでした。人々が実際に使っていた「話し言葉」があり、それを記録する「速記」という技術が生まれ、そこに人気落語家の円朝がいて、若林玵蔵がその話芸を文字に写し、それを読者が楽しんで読んだ。その現実を文学者たちが見つめ、「この生きた言葉を文学にも使えるのではないか」と考えた。その積み重ねの先に、二葉亭四迷の『浮雲』があり、日本語の文章そのものが少しずつ変わっていったのです。
ここまで「言葉をどう記録するか」という話をしてきました。ところが、少し視点を変えてみると、もう一つ興味深い世界が見えてきます。それが「音」です。言葉も音です。人が話した声は、発した瞬間に消えてしまいます。歌声も、楽器の音も、演奏が終われば消えてしまう。だから人間は昔から、「消えてしまうものを、どうすれば後世に残すことができるのか」という問題に知恵を絞ってきました。その一つの答えが「楽譜」です。
楽譜とは、単に音を書いたものではありません。目には見えない音楽を、目に見える記号へ置き換えるための、人間の知恵です。ここで重要なのは、「五線譜だけが楽譜なのではない」ということです。西洋の五線譜が日本へ入ってくる以前から、日本にはすでに、日本独自の「音の記録法」が存在していました。琴、三味線、尺八、笙など、それぞれの楽器や流派に合わせて、それぞれに適した記譜法が発達していたのです。私の趣味である詩吟にも「吟譜」があります。吟譜もまた、声の上げ下げや伸ばし、節回しなど、目には見えない「声の動き」を後世へ伝えるための記録法です。
尺八にも独自の譜面があります。「ヒ・ハ・チ・レ・ツ・ロ」などの名称によって音や運指を示し、どのように吹くのかを伝えていきます。箏にも箏のための譜面があり、弦の位置や押し手など、その楽器を演奏するために必要な情報が記録されています。雅楽で使われる笙にも独自の記譜法があり、複数の竹管を組み合わせて奏でる「合竹」などを記録します。つまり、日本人は明治以前から、すでに「音を記録する」という課題に向き合っていたのです。
ただし、日本の伝統的な記譜法と、西洋から入ってきた五線譜では、その発想に違いがあります。伝統的な日本の楽譜は、それぞれの楽器をどう演奏するかという身体的な情報を重視しています。どの弦を弾くのか、どの指を使うのか、どの運指で音を出すのか、どのように節を回すのか。つまり、「その音楽を身体でどう再現するか」を記録する側面が強かったのです。一方、西洋の五線譜は、音の高さや長さを比較的共通した記号によって記録する体系として発達しました。そのため、ピアノでもヴァイオリンでもフルートでも、基本的に同じ五線譜を読むことができます。複数の楽器が一つの楽譜を共有し、合奏や作曲、和声を組み立てるうえでも大きな力を発揮しました。
明治になって、日本へ西洋音楽とともに五線譜が入ってくると、日本の伝統的な記譜法と新しい記譜法が並存するようになります。しかし、五線譜が入ってきたことによって、それまで日本にあった楽譜が「初めての楽譜」になったわけではありません。日本にはすでに日本の「音楽の文字」が存在していた。そこへ西洋から、もう一つの「音楽の文字」がやってきたのです。現在でも五線譜とともに、箏譜、三味線譜、尺八譜、雅楽譜、吟譜などが存在していることは、そのことを物語っています。
ここに、言文一致との興味深い共通点があります。言葉も音も、そのままでは消えてしまうものです。人が話した言葉は、話した瞬間に消える。歌声も、歌い終われば消える。楽器の音も、演奏が終われば消えてしまいます。だから人間は、それを何とか残そうとしてきました。言葉なら文字にする。音楽なら楽譜にする。そして、さらに新しい技術が生まれるたびに、より正確に、より広く、より遠くへ伝える方法を手に入れてきたのです。
考えてみれば、速記も楽譜も、根本的には同じ問題に向き合っています。「目に見えないものを、どうやって目に見える形にするか」。円朝の声は、速記によって文字になりました。詩吟の節回しは、吟譜によって記号になりました。箏や尺八の演奏も、それぞれの楽器に適した譜面によって後世へ伝えられてきました。そして明治になれば、西洋から五線譜という新しい記録法が加わり、さらに近代的な音楽教育や合奏、作曲の世界へとつながっていきます。
こうして見ると、五線譜の導入も、言文一致も、単純に「古いものが間違っていて、新しいものが正しかった」という話ではありません。それぞれの時代、それぞれの文化、それぞれの目的に応じて、人間は「どうすれば伝えられるのか」を考え、その時代に最もふさわしい方法を工夫してきたのです。日本の伝統的な譜面には、その楽器を身体で演奏するための知恵が込められていました。円朝の速記本には、人間が実際にしゃべる言葉をそのまま記録する知恵が込められていました。そして五線譜には、異なる楽器や人間同士が音楽を共有するための知恵が込められていたのです。
そう考えると、「記録する」という行為そのものが、人間の文化の大きな柱だったことに気づきます。私たちは、見たもの、聞いたもの、感じたもの、考えたものを、そのままでは未来へ持っていくことができません。だから文字にする。だから譜面にする。だから絵にする。そして現代では、録音し、撮影し、デジタルデータとして保存する。人間の歴史とは、ある意味では「消えてしまうものを、どうやって残してきたか」という歴史でもあるのではないでしょうか。
ここで、改めて三遊亭円朝と若林玵蔵の仕事を考えてみると、その意味がさらに大きく見えてきます。円朝は高座で語った。若林玵蔵は、その消えてしまうはずだった声を速記によって文字にした。そして二葉亭四迷は、その文字の中に「生きた言葉」の可能性を見つけ、文学へとつないだ。一人の落語家の話芸が、速記者によって記録され、それを文学者が発見し、やがて日本語そのものの変化へつながっていったのです。
これは実に面白い歴史です。日本語の文章を変えた大きな流れの中に、文学者だけではなく、一人の落語家と一人の速記者、そして「面白い話を本で読みたい」と思った当時の読者がいた。円朝が「語り」、若林玵蔵が「書き取り」、読者が「楽しんで読む」。その循環が、結果として「話す」と「書く」の距離を縮める力になりました。つまり、言文一致という大きな日本語の変化の背後には、文学理論だけでは説明できない、人間の「楽しみたい」「伝えたい」というごく自然な欲求があったのです。
音楽の世界も同じです。昔の人々は、それぞれの楽器や流派に合った方法で音を記録しました。吟譜も、箏譜も、尺八譜も、雅楽譜も、それぞれの音楽を後世へ伝えるための先人たちの工夫でした。そこへ明治になって五線譜という新しい記録法が加わった。古いものを捨てて新しいものに置き換えたというより、「どう伝えるか」という人間の長い工夫の歴史の上に、新しい技術が積み重なっていったと考えたほうが自然なのです。
そして、ここに今回の話の本当の面白さがあるのではないでしょうか。私たちは普段、文字を「文字」として、楽譜を「楽譜」として、録音を「録音」として、それぞれ別々のものだと考えています。しかし、その根底にあるものをたどっていくと、すべては「伝えるための仕組み」です。人間が頭の中に持っているもの、口から発するもの、身体で奏でるものを、どうやって他人へ渡すのか。そして、どうやって自分がいなくなった後の未来へ残すのか。その問いに対して、人間は長い年月をかけて答えを探してきました。
だからこそ、私たちが現在当たり前のように使っている「記録」と「伝達」の仕組みを、単なる便利な道具として見るだけではもったいないのです。その一つひとつには、先人たちの試行錯誤が刻まれています。速記者が「どうすれば早く正確に記録できるのか」と考え、楽器を奏でる人が「どうすればこの音を次の世代へ伝えられるのか」と考え、文学者が「どうすれば人間の話す言葉を文章にできるのか」と考えてきた。その無数の工夫が積み重なって、今日の私たちの表現環境ができ上がっているのです。
まさに「どう伝えるかということに普請してきた先達があってこそ、今日の記録法、伝達法がある」のだと思います。「普請」という言葉には、建物をつくるという意味だけではなく、多くの人が力を合わせ、時間をかけて一つのものを築き上げていくという響きがあります。そう考えると、私たちが今日使っている日本語も、楽譜も、速記も、録音も、すべて先人たちが長い年月をかけて築いてきた「伝達の普請」の上に成り立っているのではないでしょうか。
そして、ここから現代の私たちの問題にもつながってきます。私たちは今、かつてないほど「記録すること」が容易な時代を生きています。スマートフォン一台あれば、話した言葉も、歌声も、演奏も、表情も、映像も、その場で保存することができます。SNSに投稿すれば、その瞬間の言葉が世界中へ伝わり、デジタルデータとして残っていきます。円朝の声を残すために若林玵蔵が速記という技術を駆使した時代から考えれば、まさに隔世の感があります。
しかし、便利になったからこそ、私たちは「記録する」という行為そのものについて、改めて考えてみる必要があるのかもしれません。何でも残せる時代になった一方で、「何を残すのか」「何を伝えるのか」という問題は、むしろ大きくなっています。情報はいくらでも記録できます。しかし、情報が残ることと、文化が伝わることは同じではありません。言葉の奥にある思い、音楽に込められた感情、先人が積み重ねてきた知恵まで含めて、次の世代へ渡すには、単にデータを保存するだけでは足りないのではないでしょうか。
円朝の速記本が今も意味を持つのは、そこに単なる文字情報が残っているからではありません。その文字の向こう側に、円朝が語っていた声があり、その時代を生きていた人々の暮らしがあり、人間の感情があるからです。吟譜も同じでしょう。そこに記された記号だけを見ても、実際に吟じる人の声や息遣い、節回しまで完全に分かるわけではありません。しかし、それを手がかりにして、次の人が声を出し、身体を使い、音楽として再現する。その「記録から再生へ」という営みがあって初めて、文化は生き続けるのです。
そう考えると、「記録」と「伝達」は少し違うのかもしれません。記録とは、何かを残すことです。伝達とは、残したものを次の人へ渡し、さらにその人が受け取って生かすことです。円朝が語り、若林玵蔵が記録し、二葉亭四迷が文学へ生かしたように、文化は単に保存されるだけではなく、次の人によって新しい意味を与えられながら受け継がれていきます。そして、これは現在の私たちにも、そのまま当てはまります。私たちが今日書いている文章、撮っている写真、録音している声、SNSで発信している言葉も、もしかすると未来の誰かにとっての「時代の記録」になるかもしれません。私たちは知らないうちに、次の時代へ渡す材料を毎日つくっているのです。
かつて二葉亭四迷が円朝の速記本から「生きた言葉」の可能性を見つけたように、未来の誰かが、私たちの残した文章や音声や映像から、現代という時代の姿を読み取ることもあるでしょう。そう考えると、今、私たちが発する一つの言葉にも、少し違った重みが生まれてきます。言葉も音も、そのままでは消えてしまいます。だから人間は、それを残そうとしてきました。文字をつくり、速記を考え、楽譜を工夫し、録音技術を生み出し、映像を残し、そして今、デジタルという巨大な記録媒体を手にしています。しかし、技術そのものが歴史をつくったのではありません。「残したい」「伝えたい」という人間の願いが先にあり、その願いに応えるために技術が生まれてきたのです。
そう考えると、言文一致運動も、速記も、楽譜も、録音も、デジタル記録も、すべて一本の線でつながっているように思えてきます。それは、「消えてしまうものを、どう残すか」という人間の問いです。そして、その先には必ず、「どう伝えるか」という問いがあります。人間は、言葉を話し、歌を歌い、楽器を奏でてきました。しかし、それらは、その瞬間に消えてしまう。だから文字を生み、楽譜をつくり、速記を考え、録音技術を開発し、映像を残すようになった。そして今、私たちはデジタル技術によって、かつて想像もできなかったほど大量の情報を未来へ送ることができるようになりました。
けれども、その便利さの根っこにあるものは、明治の人々が抱えていた問題と、それほど変わっていないのかもしれません。「この言葉をどう伝えるか」「この音をどう残すか」「この思いをどう次の人へ渡すか」。時代が変わっても、人間が抱える根本的な問いは同じです。振り返ってみれば、私たちが現在享受している「伝える自由」は、突然生まれたものではありません。言葉を記録するために苦心した人、音を残すために工夫した人、失われていく文化を次代へ渡そうとした人――そうした無数の先達の「普請」の積み重ねがあって、初めて今の私たちの世界があります。
円朝が語った。若林玵蔵が記録した。二葉亭四迷が文学へつないだ。先人たちが音を記し、文化を残した。そして今、私たちが言葉を発信する。その一つひとつが、長い「伝達の歴史」の一部になっていくのです。そう思うと、一枚の文章を書くことも、一冊の本を読むことも、一枚の楽譜を読むことも、少し違って見えてきます。それは単なる情報のやり取りではありません。過去から受け取ったものを現在の私たちが受け取り、それを自分なりに解釈し、そして未来へ手渡していく営みなのです。消えてしまうものを惜しみ、何とかして未来へ届けようとしてきた歴史があるわけです。そのために、言葉を文字にした。音を譜面にした。声を速記した。そして、録音し、映像に残し、デジタルデータとして保存するようになった。その長い営みの上に、私たちの「今」があります。
言文一致運動を調べていて、落語家・三遊亭円朝と速記者・若林玵蔵に出会い、そこからさらに日本の伝統的な楽譜や詩吟の吟譜へ目を向けてみると、そこには思いがけない一本の線が見えてきます。それは、「どう伝えるか」という、人間の永遠の問いです。日本語の文章も、落語の速記も、吟譜も、箏譜も、尺八譜も、五線譜も、録音も、デジタル記録も、一見すればまったく別のものです。しかし、その根底には、「今ここにあるものを、消さずに未来へ渡したい」という人間の願いがあります。その願いを抱き、試行錯誤し、工夫を重ねてきた先達がいたからこそ、私たちは今日、自由に話し、書き、歌い、演奏し、記録し、発信することができるのです。そう考えると、私たちが何気なく使っている日本語も、何気なく読んでいる楽譜も、何気なく押しているスマートフォンの録音ボタンも、決して「当たり前」のものではありません。そこには、長い時間をかけて「どう伝えるか」に腐心してきた人々の知恵と努力が積み重なっています。
私たちは、先人たちが築いてきた「伝達の普請」の上に生きている。そして今度は、私たち自身が、その普請の続きを担う番なのかもしれません。今日、私たちが書いた一行が、誰かの心に残るかもしれない。今日、私たちが記録した声が、未来の誰かに届くかもしれない。今日、私たちが残した文章や写真や映像が、まだ見ぬ次の世代にとって、この時代を知る一つの手がかりになるかもしれない。そう考えると、「書く」という行為も、「語る」という行為も、「残す」という行為も、単なる日常の動作ではなくなります。それは、過去から受け取ったものを現在に生かし、未来へ手渡していく、人間の長い営みの一部なのです。円朝が語った。若林玵蔵が記録した。二葉亭四迷がつないだ。先人たちが音を記した。そして、私たちが今、言葉を残している。その先に、まだ見ぬ誰かがいる。人間はこれからも、「どう伝えるか」を考え続けるのでしょう。そして、その一つひとつの工夫が、次の時代の「記録法」と「伝達法」をつくっていくのかもしれません。
🔶 🔶 🔶 🔶 🔶