シニア世代を充実させる17ヶ条

      解釈次第で現実は変わる。(解釈と云う処世術がある)

 

 

取捨選択して生きている

 

私たちの日々は、好むと好まざるに関わらず誰もが、取捨選択して生きている、一方でまた取捨選択されて生きていると言える。

 

高校野球で勝ち残って優勝するのは一校のみ。他は全て負けるのです。早いか遅いかの差でほぼ必ず負ける。一般常識は高校野球は負けるのがあたりまえ。最後まで勝ち続けて優勝することは奇跡的な事なのだ。

 

ところで、誰もが全て最後は死が待っているのが生きているってことなのだ。まさに死がゴールで待ち構えているのだ。マラソンは42.195km先のゴールを目指して走る競走だ。人生のゴールは人それぞれ時間軸が異なるが自分のゴールが待っている。いつかは必ず訪れるゴールという死が待っている。ならばその日がいつ来ても慌てることがないように準備しておいた方がいい類いだと最近この歳になると思う。ステージ4の癌など余命半年とかの宣告がなされることがあるが、一般的には余命宣告されないのでせいぜい亡くなる1週間前位にそろそろだと思うのか、はたまたお迎えがくる夢をみてそろそろだと気づくのか。こればっかりはその場になってみないとわからない。

 

死の手前に病気がある場合がある。病気の発症と云うハードルだ。ハードだから乗り越えればいいだけの話。ハードルが低ければ難なく乗り越えられる、ハードルが高ければ厄介だそこで立ち往生するかも。筋力を付けておけば乗り越えられる。免疫力もハードルを乗り越える助けになると考える。

 

 

では、どのようにしてその「筋力」や「免疫力」を日々養っていくかが、生きる上での大切な課題となる。肉体の筋力については、運動やバランスのとれた食事、良質な睡眠が基本であるように、心や精神の筋力もまた、日々の積み重ねによって育まれる。辛い経験や失敗から学ぶ力、人と人との関わりの中で育まれる優しさや感謝の心、自分を律する強さ——そういった見えない筋肉が、いざという時に自分を支えてくれるのだと思う。

 

また、「免疫力」という言葉には、生理的な意味だけでなく、人生に対する耐性やしなやかさという意味も含まれる気がする。理不尽なこと、不条理な現実、思い通りにならない出来事——そうしたものに出会った時、私たちは無力さを感じる。しかし、心の免疫力があれば、落ち込んでも再び立ち上がることができる。泣いた翌朝に、また笑えるだけの回復力。それが人生を長く、しなやかに生きるための知恵なのかもしれない。

 

死を避けることはできないが、それまでの生をどう過ごすかは選べる。だからこそ、日々を丁寧に、今を精一杯に生きることが大切なのだろう。未来を悲観せず、過去に囚われず、今ここにいる自分を大事にする。その小さな積み重ねが、最後のゴールに向かう足取りを少しでも軽やかにしてくれるのだと思う。

 

 

笑って過ごすことを意識しよう

 

「あなたは今、微笑んでいますか」こんな言葉が書かれた小冊子があった。心の健康、「ほほえみ読本」黒姫山麓に住む狩野誠さんと云う方が監修した。

 

「笑う門には福来る」むかしから伝わる格言ですね。

心から笑うと身体が軽やかに陽気に包まれるかのようになる。

笑うことは心身になんらかの良い影響を与えるからであろう。

 

心に余裕がないと笑顔で居られないわけです。逆もまた真なりとなれば、笑顔が余裕を生むと言えるわけです。「笑顔の効用」と云うのがあったはず。

 

以下、笑顔の効用

 

笑顔には、脳や身体にさまざまな効果があります。 

ストレス解消やリラックス効果

記憶力や思考力のアップ

免疫力アップ

気分の改善

脳の働きを活発にする

筋肉の緊張をほぐす

内臓の働きを改善する

美容効果

 

【笑顔がもたらす効果の仕組み】

脳内のアルファ波が増加し、脳がリラックスする 

脳内の「海馬」が活性化される 

脳内の「β-エンドルフィン(快感ホルモン)」や「セロトニン(幸せホルモン)」の分泌が増加する 

脳の血行が良くなる 

呼吸が深呼吸や腹式呼吸に近い状態になる 

 

【笑顔の効果の活用法】

落ち込んだときにこそ、笑顔を作る 。

常に笑顔を意識して、楽しい瞬間を増やす 。

周りに笑顔で接することで、場の雰囲気を和ませる 。

また、笑顔はビジネスの場面でも効果的です。笑顔は「私は味方です」というポジティブなメッセージが込められており、クライアントとの信頼関係を深める手段としても活用できます。 

 

 

「生きる」とは生命の制限時間内のこと

 

「生きる」と云うことは、生きている間、いわゆる制限時間、制約時間内にできることなのだ。いずれ誰でもが、あの世とやらに招かれるわけです。行きたく無いと思っても土台無理な話なのです。それまでの制限時間内でやりたいことをやれるというゲームみたいなもの。子どもの頃はずいぶんと長い時間だと思えたが70歳を超えると、なんだかゴールがすぐそこかも知れないかもと思える局面もあるわけです。刃こぼれするように同級生や少し先輩が黄泉の国へと旅立つので、生命の制限時間を否が応でも突きつけられていると云うことを実感するわけです。

 

永年の生活習慣病と云う不摂生が病気を自ら呼び込むことになるのが通例であります。意識して日常生活を健康に良い生活習慣にすれば良いわけです。文字にすると簡単なようにも思えますが、自分の意志との葛藤、軋轢が生じるので克己心無くして健康に良い生活習慣とは口で云うほどやさしいものではありません。健康に良いから毎日、四股踏み100回やろうと思っても、いつしか止まってしまうことがあるのです。止まってもまたすぐ再開する気持ちを維持し続けることが肝要なのです。いわゆるルーティン、生活の一部に組みこんでしまう位の気概でしょうか。

 

 

今朝の新聞に詩人、谷川俊太郎氏死亡の記事がありました。「生きる」「二十億光年の孤独」など、戦後現代詩を代表する92歳でした。谷川俊太郎氏の「生きる」に触発され自分の「生きる」を考えたことがあった。

 

 

「人生はマラソンではなくダンスのようなもの」といった人がいますが、それは踊り切ったときではなく、一瞬一瞬が楽しいということだそうです。マラソンはゴールを目指しますがダンスは終わった時でなく、その途中の一瞬一瞬が楽しいと云うこと、そうか #人生はダンスのようなものか

 

 

 

生きるってことは

 

 

『 生きる 』ってことは、何もしないで生きるってことは難しい、できないだろう。身体が動く間は何かをしながら生きてゆくのが妥当な生き方であろう。どうせ何かをしなくてはならないのなら、何か有意義なこと、楽しいことに時間を費やしたいものです。

 

 

生きる   川島弘嵩

 

生きる基本は息をすることにある

3分も息を止めると息苦しくなり意識を失うかも

生きるという事は日々無意識に支えられている

その息の漢字を見ると自分の心とある

ゆったりとした呼吸を繰り返すと心は落ち着いてくる

早い呼吸にしてみるとドキドキしてくる

生きるということは心と意識がリトマス試験紙のようなのだ

生きるということは、いろいろあること

 

生きるという事は時間の経過

生きるということは有限時間をどうすごすかの選択である

充実して生きる時間は あっというまに過ぎる

一方退屈した時間は なんとも長く感じるものだ

充実して生きるには、

没頭するほどにのめり込めるものがあるといい

 

たのしいと思えることに、どれだけ遭遇できるか

たのしいと思えることを、どれだけチョイスできるか

 

生きるということは、生きていること

生きるということは、死ぬまで生きること

できるなら健康で生きることが望ましいが     

病気や災難も訪れるときもあろう

その時は甘んじて受け入れ改善に向けて生きればいいだろう   

 

生きるという事は、先祖からの生命のバトンリレー

生きるという事はやがては孫子の未来から見れば先祖になる道  

先祖を辿ると本家が18代前まで遡ることができた

直接この目で会った先祖の最古参は3代前の曾祖父さん、

そして私の後は孫の子供まではどうにか見れそうだ

見れれば7代にも亘ることになる

 

生きると云うことは自分の生命を全うすること

生きると云うことは、今、今、今、今中にあるのだ

そして今中の舞台はいつも用意されている

 

 

   

 

今と言う瞬間に成すべき事をなす

 

この「生きる」は、過日、詩人・谷川俊太郎氏の詩「生きる」を朗読して紹介されたのを聞いて、参加者みんなそれぞれの自分を生きている、著名な詩人の詩もさることながら、各人の各々の生き方の選択であるし「各人各様の生きる」の方が興味あるし、各人自分の言葉で私の「生きる」を、ぜひ聞いてみたいと思い、テーマ「生きる」の詩をみんなで発表会ができたらいいねと提案したわけです。はい、みんなちがってみんないい。それぞれの違いはあるものの、詩としての発表会は楽しかった。詩作の作法も各人各様であり発想からして違いがあり、とっても面白い試みであった。

 

各自の「生きる」の詩の発表会のあとに、ランチに寄った店の壁に貼ってあったのが目に飛び込んできた。サラリと生きる、川の流れのように。達観の境地も、これまたありです。

 

サラリは、スッキリさわやかな心境にも通じることです。

爽快、軽快、明快という3つの「快」を連想できます。

後味スッキリの「水に流す」というきれいな洗浄感覚がひろがります。

 

google画像検索で「 生きるとは 」とやってみると実に多様な「生きる」があるある。

 

「生きる目的とは何なのか?」、生きることの意味を見つけることよりも、今この瞬間を感じて生きることが重要だとの気づき、まさに今中に通じることです。人生とはダンスのようなものなのか。

 

「生きる目的とは何なのか?」

 

私は自分自身の経験を通じて、生きることの意味を見つけることよりも、今この瞬間を感じて生きることが重要だと気づきました。

 

仏教には而今(にこん)という言葉があります。 意味は、「このいま」です。 而今には日付などありません。 なぜなら、このいまは時間の中にあるのではなく、時間はこのいまのなかにあるからです。

 

而今(にこん)は禅語であり、曹洞宗 道元禅師の唱えた言葉です。 「いはくの今時(こんじ)は人人(にんにん)の而今(にこん)なり。 我(われ)をして過去未来現在を意識せしめるのは、いく千万なりとも今時(こんじ)なり、而今(にこん)なり。」の言葉にあるように、「今と言う瞬間に成すべき事をなす。」

 

 

 

氣力、氣合いだー

 

一点突破に必要なパワーに氣力があります。

氣力を振り絞る。パワーアップするようなもの。

無気力ともなると、もはや立ち行かない様が思い浮かぶ。

 

先日、経営していた会社を畳んだら鬱が発症した友人が話してくれた。鬱になると記憶力も無くなり覚えなくてはならないことは全てノートを取っていたとのこと。明るい光が苦手になり、気がつくと暗いところに一人でいることが多くなる。首吊り用の紐も買うようになっていった。病院に行くと先生に「あなたは死にたいと思うことがありますか?」と聞かれて「ハイ」と返事をする自分がいた。担当医も自身が鬱を患った経験がある先生でそこまで深く洞察される方だった。鬱と云う病気は恐ろしい病気ですよと教えてくれた。

 

人は無気力の極みになってしまうと生きてゆく気力も失せるということです。プロレスラーの猪木選手が「元気ですかー」と叫んで「元気があれば何でもできる」と喝破したものです。元気はヤル気の源です。

 

最近、あまり見かけなくなりましたが「気合だー!」の掛け声でお馴染みの、元プロレスラー・アニマル浜口さん。 女子レスリング選手で五輪メダリストの長女・浜口京子さんを支える指導者でもありましたが、頭には「気合だー」のハチマキをして「気合だー!気合だー!気合だー!」といつでも叫んでいた人だった。本人が気合の重要性に気づいた人だったかも。

 

 

あと10年の生命をどう生きるか

 

いつものように朝起きて、ふと浮かんだのは、あと10年生きると83歳になっているってことだ。この先の10年をどう生きるかってことだ。今までの延長に生きるのが普通であろうが、もうちょっと面白く生きようと思ったら、ギアを切り替えるか、乗り物を変えてみる。舞台を変えてみるという手があるわけです。総てを変えるほどの勇気と体力はありません。3分の1位までなら変えられるだろう。あわよければ半分の50%くらいまでだろう。

 

老後には「4匹の鬼」が待ち構えていると聞きました。「病気、貧乏、孤独、することがない」という4項目の鬼。80歳ともなれば、経年劣化はあたりまえ、ほーっておけば身体のあちこちに歪みやガタがみられるだろう。病気がちにもなりかねない、収入は年金頼り、相手になってくれる人も無く孤独感、することがだんだん少なくなってゆくかも。この先、健康管理が第一優先順位であることは間違いない。

 

一方で社会環境も変化、進化してゆくだろう。とりわけAIやChatGPTなどweb環境周辺は目覚ましい進化を予想、というより期待が大きい。

 

そして「歳をとってもできる仕事」これを何か見出しておくことだ。生き甲斐もさることながら、金目もないことには気持ちも先細りです。その準備、怠りなく、今年中には目処を付けておきたいものです。今できなかったら、この先になんとかなると云うものではないだろう。やるなら今。今でしょう‼️

 

 

 

ご機嫌、麗しい日常を、、、、

 

リーダーの条件の一つに機嫌がいいこと、いわゆる「ご機嫌」である。気分がご機嫌で有れば、鏡の中の顔が柔和であるはずです。いつも柔和でいられれば必然的に人相も良くなっているはずです。「今、あなたは柔和な顔をしていますか」鏡の中の自分の顔を今一度覗いて見ましょう。

 

それには負となる思いの払拭の日常です。何が起きてもケセラセラ。明石家さんまが云っていた「生きてるだけで丸儲け」イマル。なんでも1985年8月12日の坂本九さんも乗っていたJAL123便の撃墜飛行機事故の便に乗る予定だったのを何かの予定で寸前にキャンセルして事故を免れた経験からそう思えるようになったのだそうだ。

 

ご機嫌、麗しい気分で生きるためには、まず自分の「気分のスイッチ」を知ることが大切です。何をすると気分がよくなるのか、どんな時間が自分にとって心地よいのか、日々の生活の中でそれを観察しておくと、ちょっとしたことで自分を上機嫌に持っていくことができます。朝のコーヒーの香り、好きな音楽、誰かの笑顔――その一つひとつが、心の温度を上げるきっかけになります。

 

また、「ありがとう」を口にすること。たとえ小さなことでも感謝を言葉にすれば、周囲も自分も幸せな気分に包まれます。逆に、不平不満や愚痴を言えば、自分の中にネガティブなエネルギーが蓄積されてしまいます。思い通りにいかないことがあっても、まずは「これも学び」と捉え、心を整えることが大切です。

 

そして、人のせいにしないこと。ご機嫌は自分でつくるもの。他人の言動で気分を左右されないように、心の軸を育てましょう。そのためには、睡眠や食事、適度な運動といった、基本的な生活習慣も整えることが欠かせません。体が元気であれば、心も自然と軽やかになります。

 

最後に、今日一日を「特別な一日」として味わうこと。「この日が人生最後の日だったら」と考えれば、何気ない瞬間も尊く感じられます。日々の中にある小さな奇跡に気づけるようになれば、自然と心は柔和になり、人相も運も開けてくるでしょう。

 

自分をご機嫌に保つことは、周囲の人をも明るく照らすリーダーの力。ご機嫌は、最良のマネジメントと言えるでしょう。

 

 

生きがいを考察してみる

 

「生きがい」、生きている甲斐があると感じること、感じる瞬間は。前提条件として生きていくことが精一杯ならば、取り敢えず今日「生きること」に集中せねばならないから「生きがい」どころでは無いだろうと思う。取り敢えずこの先も生きていけるアテがあってこその「生きている甲斐」と云うものであろう。

 

「生き甲斐」とも云われる幸福感ある条件とは、生きている中で充実感を感じる瞬間‼️楽しい、スカッと爽やか。未見の吾との出会い。新しい目標に向かって達成させてゆく過程。

 

なかなかうまくいかない、うまくできないが、段々と上手く上達するのがわかるその過程。あるいは上手くなる光明は見え始める、感じ始める、あるいは先生からイイネと言われる。仲間から感嘆の声が盛れるなど。もっともそれらを自分がどう捉えるかの感受性でもあるわけです。

 

自分自身、なかなか良いかもと思えれば、それで良し❗️自己満足が伴ってこその生き甲斐です。ひとりひとり、生きがいの範疇は異なる、みんな違ってみんないい。各々自分の生きがいなんだから、その生きがいに邁進すればいい。

 

人それぞれ、さまざまな「生きがい」がある。

 

人には誰でも多かれ少なかれ訊いてみると固有の「生きがい」があるものだ。それが自分の生きることを支えているのであれば、燦然と輝く価値があるものと言えよう。

 

生きる上での支えとなっていると気づかない場合もありますが、よく考えてみたらそうだかもしれないということもあるかも。日常に溶け込んで意識することなく生きがいになっていることだってあるわけです。

 

先日、久しぶりに「靴磨き」をした。最近はめったに革靴を履くことが無いので久しぶりになったわけです。磨いてゆくと光り輝いてくる。キレイにするともっとキレイにしたくなるわけです。磨いていると愛着も湧いてくるわけです。もっとキレイにするために、もっと良くするためにはと考えてやっていると愛着が湧いてくるというものです。

 

「生きがい」と「愛着」には共通するものがある。愛着があるものは、愛着が湧いてくるものは生きがいとなってゆく。

 

 

 

「これやって幸せになるかどうか⁉︎」の基準

 

1日の行動の中で「これやって幸せになるかどうか⁉︎」の基準を設け必要でないと思ったことは排除してゆくという生き方。これって自分の幸せ感の軸をしっかり持っていることが基本軸かも。

 

そこには匙加減ということもある。「やきとりを食べたい」これって幸せ感を覚えることですが、1週間も続けていたらコレステロールも溜まり、血管健康度を下げ幸せとは真逆になってゆく。ほどほどでないとならない。日本語には「ほど良い」と云う言葉があります。程よさを知っての実践でしょうね。

 

はたして「これやって幸せになるかどうか⁉︎」はたして「これをやり続けて行ったら幸せになれるかどうか⁉︎」ふと立ち止まって考えてみるのも。物事には、必ず終わりがある。いつかは終わりの時がくる。どこまでやれるか。どこまでやってみたいのか。目標を持ってやってみる。ただ単に歩みのごとくすすめてみる。

 

 

 

夢と希望と生きがい

 

この国は、現在3600万人のシニア世代を抱えています。その大半は年金暮らしということですから生活に余裕があるとはいえないでしょう。私にように子供の頃の暮らし向きと比較したら今の世の中、極楽だぁ〜と思えるならば極楽とんぼで過ごせますが、、、

 

現状が健康ならまだいいのですが、片われが病気だったりしたら、年金から医療費を払うわけですから生活もカツカツに、、、やがて苦しくなる一方かも。

 

それでも、生きる上で将来に夢と希望があればいいが、夢と希望が浮かばないとなるとないと心も暗くなるばかりではないでしょうか。この先、夢とか希望を持って生きるには、、、前向きな心がけと、健康な心身あってこそです。  

 

あなたは今、健康を維持するための運動を継続してやっていますか。あなたは今、生きがい、やりがい、張合のある趣味を持っていますか。あなたは今、たのしみの源泉となるものを持っていますか。

 

ここまで書き込んだあとに、肋間神経痛が発症する。かなりの激痛を伴うのです。突然痛むのです。夜は眠れず、よってヨガの呼吸法をやってみました。朝方になってやっと眠れるようになりました。「夢と希望と生きがい」は改めて健康であってこそです。健康でなければ何もできません。

 

 

心が感じ取るものが感性を育む

 

生きると云うことは、何かに関心を持つこと。

生きると云うことは、自分の生命と共感するものがあること。

生きると云うことは、呼応する生命への賛歌である。

生きると云うことは、生命の輝きに響感、呼応すること。

生きると云うことは、自分が主体的に生きること。

生きると云うことは、自分の心が喜ぶこと。

 

生きているものに共感を示すこと。SNSが「イイネ」を採用しているのも共感コミュニケーション。これが反感コミュニケーションであれば気分を害すことになる。植物が生き生き成長しているのも、生命が喜ぶものに囲まれているから。生命が萎縮、震えるものが成長を停める。

 

生きる喜びに遭遇する楽しみは、日常のほんのささいな場面にある。それは特別な出来事じゃなくて、むしろ、いつもと変わらない一日の中にふと現れる。たとえば、朝の光の具合がなんだか心地よかったり、何気ない会話で思わず笑ってしまったり。歩いている途中で見かけた猫が、妙にこちらに懐っこくしてくれたとか。そういう、ちょっとしたことの中に、「あぁ、生きてるな」と感じる瞬間がある。

 

感動とか共感って、実はすごく静かなもので、大きな声を上げて感激するような場面ばかりじゃない。胸の奥で、ふっと何かがゆれるくらいのことでも、それは立派な感性のはたらきなんだと思う。誰かと気持ちが通じ合ったときもそう。うまく言葉にならなくても、「わかるよ」とうなずいてもらえたときの、あのあたたかさ。それだけで、心が少しほぐれて、また一歩を踏み出す元気がわいてくる。

 

つまり、生きる喜びに出会うって、特別な旅や成功を手に入れることじゃなくて、「今ここ」で何かに響いている自分に気づくこと。その気づきが積み重なることで、少しずつ、感性が育っていく。完璧じゃなくてもいい。派手じゃなくてもいい。自分の心が「これ、いいな」と思えることを、大事にしていけばいい。生きていること自体が、喜びに出会うチャンスの連続なのかもしれないから。

 

 

 

鈍感力も必要です

 

齢をとってくると何かと一言云いたくなるきらいがある。モノ云えばその場はスッキリするような気がするが、相手方との不協和音からこじれてきたりする場合が往々にして起きるわけです。

 

敏感に対応することをやめて、鈍感になればいい場合があるのではと思うことに出くわすことがある。別に大した事ではないのであれば、どうだっていいじゃないか。ほんとうにそのことは大事なことか。生命に関わることでなければ、どうだっていいじゃないかと。

 

かつて「鈍感力」が流行語大賞に選ばれたことがある。作家、渡辺淳一氏の「鈍感力」がベストセラーになった2007年だった。もう18年も前のことでした。

 

鈍感力も時には必要なのだとこの歳になると思うものです。若い頃は、つい些細なことに反応してしまいがちだったかも、理不尽な出来事や人の言葉に心を波立たせていました。正しさにこだわり、筋を通すことが大切だと信じて疑わなかったかも。しかし年を重ねるにつれて、世の中は必ずしも白黒では割り切れないこと、そして正しさが必ずしも人を幸せにするわけではないことに気づかされます。

 

人間関係においては、ときに目をつむること、聞こえないふりをすること、気づかないふりをすることが、円滑な関係を保つためには有効です。もちろん、すべてにおいて鈍感であればいいというわけではありません。本当に大切なこと、譲れないこと、あるいは誰かの尊厳を傷つけるようなことに対しては、やはり敏感であるべきです。ただ、そこまで重要ではないことについては、多少のことには動じず、受け流す力が必要なのです。

 

職場でも家庭でも、あえて何も言わないことが、時には最大の思いやりになることがあります。「察してほしい」と思われる前に、「相手も事情があるのだろう」と思えるゆとりがあれば、無用な衝突を避けることができますし、自分自身も余計な疲れを感じずにすみます。感情の起伏に流されず、一歩引いて物事を見つめる力、それが鈍感力なのだと思います。

 

かつては「鈍感であること」はネガティブな意味で使われてきました。気が利かない、空気が読めない、無神経――そういった印象が強かった。しかし、今となっては「自分の心を守るための知恵」として、肯定的に捉えられるようになってきた気がします。感受性豊かであることも美徳ですが、過剰に反応してしまう人ほど、心がすり減ってしまうのです。

 

歳をとって、無駄なエネルギーはなるべく使いたくない。人と争ってまで、自分の意見を通したいとも思わない。大切な人と笑って過ごせる時間の方が、よほど価値があるとわかってきた今、鈍感力は生きる知恵のひとつとして、心にそっと持っていたいものです。

 

 

寒いと思うから寒い、何事もコツがあると知った

 

氷点下にの屋外で褌姿になり、バケツに5cm位に厚くなった氷を割って頭から氷水をかぶった寒修行に参加したことがあった。もちろんいきなりやるわけではありません。準備運動を1時間近くやるわけです。室内ですが暖房のない大広間で150人位であったろうか。褌一丁になって舟漕ぎ体操を延々やったような記憶があります。やがて血行が良くなり額に汗がうっすら滲むようになるのです。そうなってから氷点下の屋外に出ると身体全体から湯気が立ち昇るように見える、そんな状態でもってバケツの氷水を頭から浴びるわけです。

 

また、サウナで充分に温まって汗を流したあとであれば、冷水風呂に浸かっても寒く感じないどころかさっぱりと気持ちがいいのである。身体の置かれている条件によって快の領域というものが変わるわけです。血流を良くする運動で体温を十分に上げることができれば多少の寒さ、冷たさも心地よいものになるわけです。

 

結論は、自分の体内の血流を良くすることである。筋肉を動かして体温を上げる。血液の末梢、毛細管の血流までもよくすることです。過去の体験事例では1時間の筋肉反復運動で汗が滲んできます。

 

 

生きる喜びを見つけるには、、、

 

たのしみは、自分で見つけ出すもの。

待っていてもなかなか向こうからやってくるものではない。

 

たのしみは、自分で創造してみたらいい。

自分主体に自由に創造できる愉しみが加わるぞ。

 

たのしみを、自分で創造したら創造主になれるのだ。

創造主の自由裁量で計画することができるぞ。

 

たのしみは、自分で創造し実行に移してゆく過程で、仲間が集まってくる。

役割を分担を担ってもらったらいい。

 

たのしみを、育んでゆくなかで仲間ができることは、

仲間にも喜びが生まれるようにしていったらいい。

 

たのしみは、生きる喜びを見つけることにもつながる。

生きる喜びは、いわゆる生きがいと呼ばれるものです。

 

生きる喜びを見つける秘訣は、日常の中にあるささやかな瞬間に心を傾けることから始まります。大きな夢や目標を掲げることも大切ですが、それだけに囚われてしまうと、足元にある「今、この瞬間」の幸せを見逃してしまうことがあります。朝日が昇る光の美しさや、ふとした時の誰かの笑顔、心に響く音楽や、あたたかい食事のありがたさ。そういった一つひとつに気づき、感謝できる心が、人生に豊かな色を添えてくれるのです。

 

また、誰かの役に立てたと感じられる瞬間は、生きる喜びを強く実感できる場面でもあります。感謝されることを目的にするのではなく、自分の持ち味や得意なことを、誰かのために活かしてみる。その小さな行動が、周囲に良い影響を与え、やがて大きな喜びとなって返ってきます。「誰かの笑顔を引き出せた」という体験は、自分がこの世に存在している意味を、ふわりと心に灯してくれるのです。

 

さらに、過去の自分と向き合い、今の自分を受け入れることも大きな鍵です。失敗や後悔も、自分が歩んできた証であり、それを糧にして前に進むことで、人は深みと優しさを得ていきます。「あの時があったから今がある」と思えるようになったとき、人生の痛みさえもまた、喜びの一部へと変わっていきます。

 

生きる喜びは、どこか遠くにある理想ではなく、自分の内側に静かに眠っているもの。自分自身と丁寧に向き合い、人とのつながりを大切にし、小さな幸せを積み重ねていく。その歩みの中で、「ああ、生きていてよかった」と思える瞬間が、きっと訪れるのです。

 

  

価値観が違うと解釈が異なる

 

人それぞれと云いますが、それは「価値観」と「解釈」が違うことから選択する行動が違ってくるわけです。何に価値を見い出すかの優先順位。そもそも判断基準の物差しによって解釈が変わってきます。何を持って素晴らしいと云う評価ですら、人それぞれ。味の好みだって人それぞれではないですか。

 

何に触れて育ってきたか。それによって染まる色が変わるわけです。いわゆる朱に交われば赤くなるの類いです。自分の持つ判断の物差しによって、価値観って違ってくるではないですか。どう解釈するかの根底にあるものを理解できれば納得するところがあると思われます。

 

まさに、その「物差し」の違いこそが、人間関係における誤解やすれ違いを生む源泉でもあります。例えば、ある人にとって「効率」が最も重要な価値である場合、感情を優先する相手の態度を理解しにくいことがあるでしょう。逆に、共感や思いやりを大切にする人にとっては、冷静な判断や論理的な行動が「冷たい」と感じられてしまうかもしれません。こうしたすれ違いは、単なる誤解というよりも、価値観という深層のフィルターを通じた「解釈の違い」なのです。

 

では、私たちは他人との違いをどのように受け入れていけばよいのでしょうか。その一歩は、自分の持つ価値観を客観視することから始まると思われる。自分が「当たり前」と思っている考え方や行動原理が、実は他者にとっては「特別」であり「異質」なものである可能性に気づくこと。それが対話の扉を開く鍵になります。

 

たとえば、文化が異なる人との出会いは、価値観の違いを学ぶ良い機会です。ある国では個人の自由を最優先することが美徳とされ、別の国では家族や共同体との調和が重視される。どちらが正しくて、どちらが間違っているという問題ではありません。それぞれが育まれてきた背景や歴史、経験によって「何が大切か」が異なっているだけなのです。

 

また、人生の中で価値観が変わることもあります。かつては「成功」や「名誉」に重きを置いていた人が、大切な人を失う経験を通して「心の平穏」や「日常のありがたさ」を何よりも大切にするようになる。つまり、価値観とは固定されたものではなく、揺らぎながら変化し、成熟していくものなのです。

 

だからこそ、他人の言動に違和感を覚えたとき、それをすぐに否定したり断定したりせずに、「この人はどんな物差しを持っているのだろう?」と想像してみることが大切です。そうすることで、表面的な違いの奥にある共通の「人としての思い」に触れることができるかもしれません。理解とは、同じになることではなく、違いを前提に歩み寄ること。その第一歩が、自分自身の価値観を見つめ直すことにあるのだと思います。

 

 

夢リスト100を書き出し実践してゆく

 

「やると思えば どこまでやるさそれが男の 魂じゃないか」

ふと歌謡曲の歌詞にあった文節が脳裏に蘇ることがあります。

 

自分の意思として「決める」と云うことを想うと脳内で勝手に過去の記憶を引き出してくれるのです。記憶の倉庫からサッと引き出してくれるわけです。

 

だが一方、自分で書き出した未来デザイン、すっかり忘れてしまいこんでいたものが、何気に出てきた。日付を見ると約3年前のものであった。記憶脳への刷り込みが薄かったのであろう。未来デザインの欠点は、スタートさせるセルモーターの初期エンジンを掛けるのに難がある。スタートを切るのが億劫なのだ。

 

73歳ともなるともはや自分の未来が若い頃よりも長くないのは明々白々である。よって未来デザインと云うより近未来デザインと名前を変えないといけませんね。

 

「未来デザイン」と称するワークショップに定期的に参加した過去がある。自分の未来を自分で紡いでゆく醍醐味だと思っていた訳ですが、書き方、作り方はそこで覚えたものの、実のところ、その計画を実現方向へと展開する熱量がなんとも燃えあがらず本丸攻略と至らないケースが多かった。穿った見方をすればこのワークシステムは講師ビジネスでもあったかも。もっともらしく練られたフレームワークであったわけです。

 

もっと簡単にカキコミできてしかも実現性が高い「夢リスト100」がある。とにかく実現効果が大きい。実現の楽しみがある。すぐできる事柄から実現してゆくことで夢実現の最初のハードルが低いものからも取組みできて、夢リスト実現の習慣化となりやすいのだ。要するにハードルを低くして夢実現の楽しさを実感しながら習慣化する夢実現の方向が見えてくるわけです。予行演習から入っていける感覚があるのです。ヤッター❣️できた‼️またできたぜ‼️と実現の可能性が連鎖してゆくのです。最初は100でなくとも「夢リスト10」からでも「夢リスト20」からでもいい。実現してゆく醍醐味を知り、実現してゆく楽しみを覚えたら更なる高み、先が見えてくると云うものです。

 

 

 

 

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世の中ってどうなっているのか

この歳になったら考えてみてもいいのでは

 

「考える」ってことはどういうことか、まず考えてみよう。考えるポーズは上野の西洋美術館にある「ロダンの考える人」を思い出す人が多いのでは、あの姿はトイレの便座に座っている姿を連想するのでいけない。日本の考えるポーズの代表は国宝第一号である広隆寺の弥勒菩薩・半跏思惟像。右手の指のポーズが考えているしぐさの象徴なんだとか。考える前に本当の事を知ることです。どんな情報にどれだけ触れているかが考える上での判断材料といえるでしょう。

 

二つの中国がある。中国(中国共産党)と台湾(中華民国)です。元々は同じでしたが二つに分かれたわけです。台湾は国民調査で好きな外国は圧倒的に日本を挙げる人が多い親日国家です。考え方が違うと袂を分ける国もあるわけです。アメリカは共和党と民主党の二大勢力があり、選挙で大統領の選出をするわけです。

 

一国はリーダーがその国を引っ張ってゆく。そのリーダーを選ぶために演説会や討論会をやって選挙で勝ち抜いてゆくわけです。しかるに市町村会議員の演説や討論会ってなかなか聞いた事がない。知名度で選ばれるような感がある。果たしてどんな考え方を持っているのかよく理解する機会が少ない。何を考えて政治に関わっているのかを聞く機会があってもいいのではないかと思う。

 

国を治めるには、当然ながら施政者が存在する。その役割は単に法律を制定することだけにとどまらず、国民の命と暮らしを守るという、きわめて重たい責任を担うものだ。日本においては、戦後の出発点がGHQ、すなわち連合国軍総司令部の統治下に置かれていたことがすべての前提となる。そしてマッカーサー元帥の方針のもと、日本の統治構造が形づくられ、やがて主権が移譲されたことになっています。

 

だが、その移譲とは名ばかりで、実際には戦勝国アメリカの意向に添った人材と仕組みが、二度とアメリカに戦争を仕掛けてこないようにと顔が日本人に似た半島からの帰化人を日本の政治の中枢に据えられていった。戦犯として巣鴨刑務所に収監されていた政治家とその周辺、意趣変えして米国CIA代理人となり総理大臣となった流れ、官僚もしかり、一流企業に天下りし上級国民と称される。NHK、日本テレビ等TVマスコミも洗脳装置であり情報操作されてきた。安倍元総理が亡くなった翌日の大手新聞各社の見出しを図書館に出向いて見比べた、一言一句各社皆同じ、見事に統制され同じ文言だった。まさに情報支配下構造の可視化であり、旗振り役がいなければできない力技を見せつけられた思いがした。

 

斯様に巧妙に、今日まで「自立国家」のように見せかけながら連綿と続いているのである。象徴的なのが「日米合同委員会」の存在であろう。日米合同委員会は、日本の運命を決める影の日本支配会議、日米地位協定上、正式な協議機関として日米合同委員会が設立されている。主に在日米軍関係のことを協議する機関で、政治家は参加せず、省庁から選ばれた日本の官僚と在日米軍のトップがメンバーとして、月2回、協議を行う。最低でも60年以上、1600回は実施されているとの事。

 

日米合同委員会の参加者は日本側、外務省北米局長(代表)と、法務、農水、防衛、外務、財務各省の幹部の計6人。米国側在日米軍司令部副司令官(代表)と大使館公使、軍幹部の計7人。分科委員会・部会は、「自衛隊などの施設、区域の提供」「米軍の容疑者の裁判手続き」「環境問題」「区域の利用」「出入国や検疫」など。これすべては協議でなく、米国からの命令。合同委員会で正式合意すれば、合意事項に一定の拘束力。問題点としては協議は非公開であり、国会への報告義務なし。両国の了承がないと、議事録、合意事項は公表されない秘密会議になっているわけです。わが国の政治は日米合同委員会の台本通りであり。よって日本は未だアメリカ様の植民地状態と云ってもよいだろう。

 

これは一般の国民の前に姿を現すことはないが、国の根幹に関わる重要事案が、国会の外側で決定されているという事実を指している。国民の代表であるはずの国会が、時にその存在感を失うのは、こうした「見えない権力構造」が上位にあるからではないか。日米合同委員会と呼ばれてはいるが、その実態は、米国側からの指示・要請が日本側に通達される「伝達機関」であり、対等な話し合いの場ではないと指摘されている。戦後80年経っても敗戦国の植民地扱いの根幹はなんら変わっていないのである。

 

このような構造を意識せずに、「政治家は何をしているのか」「選挙に行っても変わらない」と感じる国民も多いかもしれない。だが、本来の政治とは、地域から国を支える草の根の運動であり、市議会・町議会といった地方自治の現場こそが、民主主義の根幹であるはずだ。その地方政治家たちが、どのような信念をもって活動しているのか、何を変えたいと思っているのか、それを伝える場が乏しいという現実は、民主主義の成熟を妨げている。

 

小さな声が積み重なって、やがて国のかたちを変えてゆく。国民一人ひとりが、受け身の姿勢から抜け出し、自らの意思で「知る」努力をすること、そして「問う」勇気を持つことが、真の独立と自律の道を切り開く鍵となるのではないだろうか。

 

戦争を仕掛ける国があるわけです。アメリカ合衆国はイラク戦争の時に、大量の武器を持っていると云ってミサイル攻撃を仕掛けてフセイン大統領を拘束した。だが攻撃開始の口実の大量の武器とやらは見つからなかったわけです。アメリカ国内最大の産業は武器製造業です。国会議員もその業種からの圧力議員と云われる議員も少なくないのです。10年おきに戦争を起こさないと製造した武器弾薬が在庫の山となり、在庫処分戦争を企てるのだとか。戦争を仕掛けられる国はたまったものではありません。

 

日本医師会の武見太郎氏が政府に、医師会の診療ストをすると云って、診療報酬の大幅アップを計り、今日の高収入システムとなった。癌治療など利権体質になっている。病院はどんどん大きいビルとなり大型化して増えているが一向に患者は減らないということです。治療付け薬漬けにして治さない医療。私はコロナワクチンの注射は1本も打たなかった。20年前に懇意にしていた医師が、ワクチン注射は効かないから自分には打たないと教えられていたからです。患者に打つのは私も商売だからと言っていた。

   

終戦時のアメリカ大統領、トルーマンの有名な言葉に、猿(日本人)を『虚実の自由』と言う名の檻で、我々が飼うのだ。方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。これで、真実から目を背けさせることができる。猿は、我々の家畜だからだ。家畜が人である我々のために貢献するのは、当然のことである。そのために、我々の財産である家畜の肉体は長寿にさせなければならない。(化学物質などで)病気に痩せて、しかも生かし続けるのだ。これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。

 

戦後  GHQがやって来た、マッカーサー連合国軍最高司令官として日本に進駐し実質的な支配者として日本国憲法の起草にも影響を及ぼした。だがその裏の大将は ロックフェラーだった。ロックフェラーが すべて決めた。日本を全て韓国に任せることにした。これで 勝利国が韓国で、負けたのが日本になった。政治家  官僚  大企業の幹部  銀行  マスコミと殆ど韓国人を据えたのだ。これも ロックフェラーの指示だった。統一協会が自民党政治家とベッタリであるのもうなずける。

 

そして ロックフェラーは製薬王。日本をヤク中にして金儲け、医師免許を出すのも ロックフェラー。癌の治療には 731部隊が造ったVXガスを使わせた。人を殺す毒薬だ。どれだけの人が制癌剤の癌治療で死んでいったか。

 

⽇本をコントロールするためには⽇本⼈では駄目だと優秀な韓国人を日本に連れて来た。満州の優秀な韓国人が国鉄 、NTT、NHKを創っていた。官僚もまた同じように半島出身者が出世してゆくシステムにある。そのあとは一流企業へ天下り、上級国民と云われるようになる。半島出身者達にとっての理想のパラダイス国家を目指しているのだろうかとさえ思える。今になって政治家や官僚の中枢が日本人ではないと、やっと 国民が分かってきはじめた。

 

残念ながら今まで情報操作されて国民を騙し続けてきたこの国の報道の仕組み。たくみに仕組まれてきたと云うわけです。戦争中の大本営発表は、この国は今でも続いていたということです。国民を騙し続けてきたということです。だがようやくyutubuやSNSの出現で、情報鎖国に風穴が空いて騙し続けることができなくなってきたわけです。これら隠された日本支配の構造は最近、書籍やweb上にもその実態が公開されて知られるようにはなったものの、はたしてどれほど、わが国の国民の知るところだろうか。情報はwebに自分から検索して取りにいってみてください。調べればわかることです。 (完)

 

 

 

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