ぶっ飛び沖縄‼︎

ぶっ飛び沖縄‼︎

突然沖縄に引っ越してきました。
楽しいこと、不思議なこと大好きです。


沖縄へ何にしに来た?
と、聞かれたら
観光だと。
フツー答えるよね。

海、やんばる、離島の数々
さまざまなアクティビティ
グルメやショッピング。

中には
YouTubeで見かけるのは
廃墟巡りとか
心霊スポット巡りで
来てる人たちがいる。

昼の部は
もちろん素晴らしさ100%💯
でもね、沖縄の夜の部は
マジで別格かもしれない。
まぁ、私は気にならないけれど。

南城市の真っ暗な道が
大好き❤だから。
明るかったら
気に入ってないだろうなぁ。


老朽化により、今はもう解体され
無くなってしまったけれど
かつて中城村 ( なかぐすくそん ) の
中城城址に隣接した
巨大な廃墟、もと中城高原ホテル
通称、チャイナタウンという
建物があった。

私の記憶が正しければ
うるま市に向かって、つまり北上して
海岸沿いの道を走っていると
ちょっと前までは、左手の小高い山の頂上に
特徴的な灰色の建物が
ちらっと見えた。

解体される前は
確か、所有者の許可が無ければ
入れなかっはず。

那覇市のモノレール構想を
まとめた高良さんという方が
関わったみたいだけれど。

ユタが
アソコは神聖な場所であり
人間の都合の良いように
使ってはいけないと
反対したらしい。

案の定というべきか
建設中に死亡事故があって
建物は完成しても
数ヶ月しか
営業はされなかったようだ。


ルミ子姉さんの
ボーイフレンドのひとり
渡久地 ( とぐち ) さんは
もう30年くらい以上前に
友だち5人で、通称チャイナタウンの
探索をした。

なんでも
内地で就職した同級生が
久しぶりに帰って来たから
集まった飲み会での席だった。

夕方から集まって酒を飲みながら
いろいろな話しをしていたけれど
1人だけ酒が飲めない友だちが
自分が運転するから
これから肝試しに行こう!と
多いに盛り上がった。

そんなに真夜中じゃないから
怖くないだろう、と
当時、写真を撮るのが趣味だった
新婚まもない渡久地さんが
仲間たちとの記念撮影をするために
持参した愛用のカメラを持つ。

怖い、というウワサの割に何もない。
それが全員の意見。
怖いウワサは皆んなが
聞いていたけれど
大したことないじゃないか。

その頃は
紙焼きの写真の時代が
当たり前だった時代。

渡久地さんは
貴重なフィルムの数を把握し
カウントしながら
シャッターを押していた。

で、現像してもらい
さっそく何かしら写っていないか
焼き上がった写真の一枚一枚を
目を皿にして確認したけれど
何も写っていない。

ガッカリして
無駄にフィルムを使ってしまった
という、ノリのいい自分のバカさ加減に
部屋の真ん中に大の字になった。

タバコをふかして
イライラしているんだけど
何かがヒラメいた。
その何かがわからないから
もう一度写真を手に取ってみる。

で、おかしな事に気がつく。
確か、9枚残っていたフィルムの
2枚を記念撮影していたから
残りは7枚のはずなのに
現像された写真は8枚あった。

自分の勘違いかと
もう一度一枚一枚を
眺めていた。

で、ネガを見ていたら
気がついた。
自分たち全員5人の後ろ姿が
並んで写っている。

最後に写されたものだけれど
いったい誰が写したのか。
渡久地さんのカメラは
誰にも手渡していないのに。


美人の妹のダンナは
渡久地さんより、ひとつ年下。
パイロットの義弟とは
とてもウマが合ったらしく
よく飲みに行っていた。
兄ちゃんと呼んで来るから
いろいろな話を聞いてやったんだと。

で、ある夜。
泡盛を飲んで話し
真夜中の12時を過ぎたころ。

兄ちゃん
僕の話を信じなくてもいいけれど
聞いてほしいんだ
と、渡久地さんの目を
真っ直ぐに見つめた。

コックピットに座っていると
零戦が近くに飛んでくる。
まるで、友軍機のように
操縦士の手の動きが
敬礼しているように見える。

しばらくしてから
墜落するように急降下して
見えなくなる。

それは
必ず青空が見える
晴天下の飛行時にあらわれる。

そんなことを
ひと言でも口にすれば
病気とみなされ
命を預かる飛行機の操縦など
出来なくなってしまう。

だからこそ
誰にも話せない
話すことが出来ない。

霊感の強かった渡久地さんには
前々から、義弟の背後に
若い特攻兵が見えていた。

第二次世界大戦の末期に
ひとつ年上の兄と一緒に
特攻隊に志願した。
それが一番の親孝行だと
信じたから。


僕が結婚して良かったことは
兄ちゃんと
出会えたことだよ。

酒に酔うと
たまに、つぶやいては
恥ずかしそうに照れていた。

そんなこと言うと
妹にチクるぞ、と
渡久地さんも照れ笑いしたらしい。

一人息子で生まれ
神戸の進学校で3年間
学業優秀で首席を維持し卒業し
パイロットを目指して留学。
父親は会社社長、母親は専務
帰宅しても、迎えてくれるのは
料理が上手な年配の家政婦。

いつも清潔で、贅沢な家具に囲まれ
だけど、どことなく無機質で
モデルルームみたいな家。
何不自由なく恵まれた環境で育ったけれど
回りから、秀才と呼ばれているうちに
だんだんと本音を出せなくなって行く。

何かに飢えて生きて来たから
それを見ないように見ないように
がむしゃらに頑張って来た。

で、渡久地さんに会った。
なぜか、義兄の渡久地さんになら
なんでも話せる気がして
どんなことでも受け止めてくれる
と、感じたらしい。
秀才という世間から貼られたレッテル
の自分、ではなく
素の自分を見てくれると。

子どもは出来なかったけれど
美男美女の妹夫婦は仲睦まじい。
渡久地さんの奥さんも面倒見が良くて
気持ちよく飲みに行ける。
義弟と飲み歩きして
ちょうど10年目だった。

体調不良を訴えた義弟は
触れない箇所に出来た脳の腫瘍を
手術出来ないまま亡くなった。
分かった時には余命いくばくも無く
亡くなる前日に
僕のことは忘れて君は再婚してほしい。
ゴメンね、幸せになってね
と、奥さんへ言っていたらしい。

翌日に、妹が義両親へ
危ないと電話していた時。
見舞いに来ていた渡久地さんを
待っていたかのように起き上がり
兄ちゃん、先に行って待ってるから
また酒飲もうね、が
最後の言葉になって
そのまま倒れるように横になって
満足そうに目をつぶった。
そして、丸3日の意識混濁の後に
息を引き取った。

糸満市に住む渡久地さん。
今は、エンジニアを定年退職し
子どもの頃好きだった漁師をしながら
畑をやっているんだけど。


たまに
はるか高く頭上を飛んでいく
飛行機✈️を見上げると
爆音のハズなのに
耳元で義弟の声が聞こえるみたいよ。
兄ちゃん、と。

もうちょっと、そっちで待ってれ
お前は、わらばー ( 子ども ) か?
そう、答えるらしい。
空に向かってね。

そのたびに
一緒に畑を耕す妹が
なんね?と聞いてくる。

妹さんは再婚はせず
春ウコンを育てる農家になり
古民家で民泊をはじめた。
渡久地さんが採ってくる魚が
出てくるんだよ。

不思議だけど。
義弟の声が聞こえた翌日は
大漁なんだと。
タマンという魚が
義弟さんの好物だったんだって。
今や高級魚よ。