突然ですが、あなたにとって
『信じられる人』
はいますか?
僕は、いませんね。はい。。。
だから、人を信用することができなかったから、そんな自分って薄情な人間なんだな~と思ってたのさ~。
いつから人を信じられなくなっちゃったんだろう?
覚えてはいないけど、でも子供の頃はそんなことなかったはずなんだよね。
この子は信じられるけど、この子は信じられない!
って思いながら過ごしてはいなかったと思うんだよね。
それがいつからか信用できなくなっていったんだ。
でも、それならまた昔のように人を信じられるようにもなれるってことなんじゃないかな?って思ってね。
だから、人を信じられるようになるにはどうしたらいいのかな?って思って色んな人に聞いてみたのさ。
するとね。
僕と同じように人のことを信用していない人が多かったんよ。
いわく、人のことは信じていないし、自分の腹の内は見せないようにしていると。。。
だけど、信じていないんだけれど、相手に信じていない素振りは見せずに接しているということらしい。。。
ちょっとびっくりしたね!
人を信じていなかったのは、自分だけじゃなかったんだなって。
まぁ、それもいいのかもしれない。
相手を信用しなくてもいい。
信じないまま色んな人に接していてもいい。
そういう選択をしてもいいんだなぁ~って思った。。。
だけど、僕の心の中のモヤモヤみたいなものは、残ったままだったのよね。
そういう選択肢もありなんだけど、
どうしても自分の中ではイマイチしっくり来なかったのよね。
で、ネットとかで調べたりもしてたんだけど、どれもピンと来るものがなくてね。
『人を信じられないのは、自分を信じていないからだ!』
っていうことを言っている人もいるんだけれど、何か抽象的というか、ざっくりしすぎててイマイチよく分かんなかったんだよね…f(^_^;
自分のことは信じているつもりではいたし、ある意味自分のことしか信じてないみたいな感じだったから、自分の中では納得のできる答えではなかったのよ。
そんな時に見つけたのが、芦田愛菜ちゃんが映画の記者会見みたいなやつの映像だったんよ~。
そこで、『信じるとは?』みたいな問いかけに愛菜ちゃんが答えてたんだけど。
もう、それを聞いた時にものすごい衝撃を受けたね。
それがこれなんだけどね↓↓
愛菜ちゃん「『その人のことを信じようと思います』
っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、
『それがどういう意味なんだろう』
って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、
『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』
と感じて。。。
だからこそ人は
『裏切られた』
とか、
『期待していたのに』
とか言うけれど、別にそれは、
『その人が裏切った』
とかいうわけではなくて、
『その人の見えなかった部分が見えただけ』
であって、その見えなかった部分が見えたときに
『それもその人なんだ』
と受け止められる、
『揺るがない自分がいる』
というのが
『信じられることなのかな』
って思ったんですけど。
でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。
だからこそ人は、
『信じる』
って口に出して、
不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました。」
っていうことを言っていてね。
これを聞いた時にね。
愛菜ちゃん、あんなに小さかったのにこんなにしっかりして~。
スゴく立派な大人になったもんやね~。
って思ったと同時にね、
「そうやったんや~!」
って愛菜ちゃんが言っていたコメントが自分の中で府に落とせたんだよね。
自分が信じようとしていたのは、相手に対する理想像でしかなかった。
で、深く関わっていくことで今まで見えていなかった部分が見えた時に、
「えっ!?この人って、こんな人やったん?」
って、自分が相手に抱いていた理想像から外れてしまった時に、裏切られたような気持ちになっちゃうんだけど。。。
でも、それって自分勝手だよね。
相手に対して
勝手に期待して
勝手に失望して
勝手に裏切られた気分になって
勝手に信用できなくなって、、、
自分が勝手に相手への理想像を作っておいて、その理想から外れてしまったら
「こんな人だったんだ。」
って、自分が相手に対して勝手に理想像を作って勝手に期待しておいて、勝手に失望して、勝手に信用できなくなって。。。
それは、勝手すぎるよね。
そもそも相手は何もしてないし、裏切ったつもりもない。
何も変わっちゃいないし、ただ見えていなかった部分が見えたってだけ。
『見えてた部分』も『見えなかった部分』も全部含めてその人だったってだけの話なんだよ。
だから、そんな相手の『見えなかった部分』が見えた時、その『見えなかった部分』も含めてその人なんだな!って受け止めること。
ちゃんと受け止めて、それでもブレない自分を信じることこそが『信じる』っていうことなんじゃないかな?って
そう芦田愛菜ちゃんに教えてもらったのでした。
あとはね。
その相手の『見えなかった部分』が見えた時に、そういう人だと受け止めてあげてからは、好きな方を選んでもいいと思うんだ。
『見えなかった部分』が見えても、それでも一緒について行くのもいいし。
『見えなかった部分』が見えて、それがどうしても受け入れることが出来なかったら、その人から離れてもいいと思う。
それも1つの選択さ。
そんな相手を受け入れられない自分が小さいとか、ダメな人間なんじゃないか?なんて思っちゃダメだぞ!
関係ないからな!そんなことは!
人の価値観は、人それぞれだ。
『好き』もあれば、『嫌い』もある。
その人を受け入れるか受け入れないかは、自分の心に従えばいいよ。
周りがどうとか、世間体とか、そんなもん関係ないからな!
知っても尚、共に居るのか離れるのかは、自分で決めることであって、相手決めることでも周りの人間が決めることでもないからね。
それから僕は、相手のことを『信じる』とか『信じない』とかは、どうでもよくなっちゃってね(笑)
自分だけしか信じていないってことに関しては、変わってないかもだけど。
だけど、それでいいんよ。
相手の『見えなかった部分』が見えても、それもその人の部分だし。
見えても、一緒にいるのか離れるのかを決めるのは自分自身だ!
ただ、それだけのことだったんだよね。
ありがとう!芦田愛菜ちゃん!
君のおかげで、一人のアラサーのおじさんが救われたよ。
感謝&尊敬だね(^^)