どうも~!
最近、三十路の仲間入りを果たしたスバルです(笑)
なんというか歳の節目になると、ちょっと昔のことを振り返ったりして
「昔は、こういう考え方やったな~」
とか
「あの頃は、若かったな~」
みたいなことをコーヒー片手に思いふけたりしませんか?笑
僕は最近、そんなことを想い返しながら、
僕が昔、どんな人間でどんな考え方をしていたのか?
そして、20代の頃の自分に対して今の自分が何を伝えたいのか?
っていうのをお届けするのも面白いんじゃないかな?って思ったので、そういった昔の話もちょくちょくしていこうかなと思います。
それでは、はじまりはじまり~。
思えばあれは、中学生の頃からだったと思う。
僕は、特別な人間だと思っていたのさ。
何が特別かって?
それは知りません(笑)
特にスポーツも勉強もできる方ではなかったし、特技があった訳でもなかったのに、、、。
なぜか、あの頃の僕は自分のことを特別な人間だと思っていました。
少し中二病だったのかな?笑
根拠はなかったけれど、自分は他の人とは違って特別でスゴく存在価値のある人間なんだと思ってましたww
それから月日が流れて、特別な仕事に就くのかと思いきや普通の会社に普通に就職しますw
周りが頑張って就活してるから自分もせな!っていう流れでしていた感じです。
その年は、リーマンショックの次の年というのもあって、なかなか内定が決まらず7社目ぐらいでやっと内定が決まり就職することになります。
そこで、やっとの思いで入れた会社だったので一生懸命働く訳ですよ。
そうすると、色々と任される訳で。
任されたことを一生懸命頑張ってやってるとね。
人手が足りないからなかなか休めなくなったり、
「これ、今会社辞めたら仕事回らなくね?」
みたいに思いだすのね。
そして、
「この会社に俺は必要な存在なんだ!」
みたいな感じで、仕事に対して特別感というか、自分の存在価値を感じていたのでした。
自分には価値がある!
俺がいなかったらこの会社はやっていけない!
みたいなことをその時は思っていました。
実際はそんなことないんだけどね(笑)
しかし、色々あって転職することになって会社を辞めました。
そして辞めた後、辞めた会社の人と会う機会がありました。
その方に職場の話を聞くと。。。
「新しい人が入って、まだミスはあるけど順調に回ってるよ!」
って、言われて
そこで、エヴァの綾波の台詞を思い出すのでした。
綾波「私が死んでも、代わりはいるもの。」
みたいに
「俺が辞めても、いくらでも代わりはいるもんやな。」
って少し寂しく思うのでした。。。
これが20代前半のスバル少年でしたとさ。
めでたし、めでたし~。
まぁ、でもね。
きっとどんな仕事でもそうかと思うんだけど。
自分がいてもいなくても実際何とかなるもんなんだよね。
というか、そうじゃないと会社として組織として成り立っていかないからね。
あの有名なスティーブ・ジョブズが亡くなっても代わりはいるぐらいだし、タレントだって降板されても代わりのタレントが代役したりするもんだしね。
そんな有名な人でさえ代わりがいるんだから、自分がその仕事をしてもしなくても代わりはいるものなのさ。
じゃあ、代わりがいっぱいいるなら、自分の存在価値はないのか?
というと、そうじゃないよね。
仕事をしてなくても。
ただメシ食って、クソして、寝てるってだけでも価値がある。
存在価値のない人なんていないのさ。
仕事ができない?
生産性がない?
だから、存在価値はない?
それ、誰が決めたん?
生きてるだけでいいじゃん。
楽しく幸せに生きてたら、それだけで充分だと思うんだけどな。
仕事と存在価値をわざわざ=(イコール)で結ばなくていいよ。
人は、仕事をするために生まれてきた訳じゃないから。
自分が豊かに幸せに生きるために生まれてきたんだからさ。
仕事は、あくまでそうして生きていくためのツールだからね。
仕事はツールだし、いくらでも代わりが効く。
だけど、代わりは効くかもしれないけど、なくてはならいものでもあるよね。
僕たちが、こうして豊かに暮らしていけてるのは、働いている人たちのおかげです。
例えば。。。
家を建ててくれた人たち。
ガス、水道、電気を作って家まで通してくれている人たち。
お肉やお魚、野菜を家庭に提供してくれている人たち。。。
そうやって僕たちは、働いている色んな人たちのおかげで生かされている。
いくらでも代えは効くかもしれないけれど、なくてはならない存在なんだよね。
そうやって、僕たちは支えあって生きている。
だから、自分ができる方法だったり、やりたい方法で色んな人たちを喜ばせたり恩返しできることを考えていけばいいんじゃないかな?
それが、傍(はた)を楽しませること。
傍楽(はたらく)ってことなんじゃないのかな?
って、30歳になったスバルが20代前半のスバルに伝えたいね!