78,私への暴力を止めた理由

 

この辺からまた時間を巻き戻し、子供の私に戻り話を繋げていこう。

以前の項に、継父からの暴力的虐待を受け続けていたのが、ある日を境にピタリと止んだ話しをしたがそこには継父の恥ずかしい理由があった。

それは、雪がしんしんと降っていた寒い晩のちょうど夕食時間だった、まだ

食事をする前の事である。この日は特に虫の居所が悪いのか些細なことから継父が何時ものように暴言、暴力を私にふるい、挙句の果てに外へ追い出されたのだ。靴も履かないで出されてしまい、仕方なくトボトボと少し積もっている雪の中を歩きまわりながら何処へいこうか?グルグルと家の周りを歩いて近くの国道橋の下で一休みし、考えた末に生家に行こう!と決心し走り出した瞬間!

遠い所から「いたぞ!」という人の声が・・・すぐに逃げようと走ったが継父の自転車に追いつかれて捕まった。よく見ると毎日お風呂を借りる継母の妹夫婦と4人がいたのだ、追い出したもののもう夜10時を過ぎている、心配になり応援を頼んだのだろう。この時に継父は妹夫婦に相当注意をされ今まで虐待していた事もバレバレになり、知られたくない自分の秘密の暴力行為を親戚に知られてしまった。知られたことが相当恥ずかしかったのだろう、この日を堺にピタリと暴力はなくなった。私はもう少し早く生家に戻る決心をすれば良かったなと、かなり悔やんだのを覚えている。しかしこんな寒い夜に追い出した事で行方不明になり、警察沙汰にでもなったらどうするつもりだったのか?🚔パトカーが家に来て近所中の噂になるし、虐待をして来た事実が警察にも世間にも

明らかにされてしまう。運よく遠くに行かなかったのが幸いしたが、この頃でも人さらいの話はよくあったから生死にも関わる大事だったと思う。

本当にこの夫婦の愚かさには呆れるが、つくづく親としても人としても最低最悪であり、何の因果で私はこのような人間と暮らさなければいけないのか・・・この夫婦では無く自分のさだめを呪った。このようにしてこの悪魔のような人間たちと暮らしていく中で、私の心に蓄積していくモノは何だろう?

この家に来てから「嬉しい」とか「楽しい」とか「笑う」という行為や喜びの感情などは全く無縁のまま成長してきたが、果たして大人になるまで生きられるのか?