63,命の「等価交換」

神様は生母に前世の罪と現世での過去の罪を清算するチャンスを何度か与えていたようだ、「等価交換」という方法がある。僅か数年で億単位の財を成すには勿論能力も必要だが、「金運」と「時神さま」に味方してもらえなければ個人の力だけでは無理である。そのお蔭様で築いた財の使い方こそが試されるのだ、全財産を「世の為、人の為」に公的な有効活用をして大勢の人間から「感謝の念の集合体」という見返りを頂くことにより罪は軽減され寿命も延びるという。

更に更にと福徳を積んでいくほどにまた寿命が与えられ「生かされる」のだ。

自分の為にだけ贅沢をする、貯め込むだけ、の使い方をするとお金は腐る=人間も腐敗してくる=死神が宿る。「お金=命」この世での最高価値は命の次にお金だ、例えば宝くじで大金を手にした幸せの絶頂から結末は憐れにも生き地獄を味わう。妬み、嫉み、詐欺師のターゲット、早死にしたり、殺されたり、家族が不幸になったり・・・沢山の不幸情報を聞いた事がある。

見たことも無いお金を手にすると人間の心は変化するもの、しかし不思議にもなぜ皆不幸になってしまうのか?お金は生き物であり、魔物でもある、そして「意志」を持っているのだ。人間は愚かな生きものでお金を持つと偉くなったように勘違いし傲慢になる。今まで出来なかった贅沢三昧をして、遊んで暮らし、自己中の「私利私欲の我欲」の使い方で結果、命を取られる。自分のお金だから好きに使って当然!勝手でしょ!と誰もが思うのだ、使い方に要注意!など誰も思わない。お金の有難さはこの世でしか味わえないもの、水道の蛇口から水が出る、スィッチを押すと電気が点く、ガスが出るのも、働いてお金を払っているからで当たり前では無い!この世で生活する、という事は決して楽では無いのだ。殆どの人間が労働の対価として嬉しい給料を頂き生活費や家族を養う、欲しいものが買えた時こそお金の有難さが身に染みるのだ。お金本来の価値観はアブク銭のように苦労しないで得たお金では絶対に分からない。私は明日のご飯を食べられるかどうかを心配しなくても済む生活が出来ることが何よりの幸せ!と思うが・・・。