先日、両親の80歳のお祝いをしました。
母は59歳のときに白血病になりました。
そのとき母は、病状や治療について、
医師からの詳しい説明を受けることを拒否して、
ただお任せすると言いました。
そしてまさかの、父も同じ選択をしました。
きっと父は、知ってしまうことで、
毎日のお見舞いのときに
表情や態度に出てしまうのが
嫌だったのだと思います。
そこから1年の入院生活を経て、
母は無事に退院し、今では2人そろって
元気に80歳を迎えています。
母は今でも、多いときには
週5でテニスをしています。
治療には移植の話もありました。
母は7人兄姉でしたが誰も適合せず、
移植できる状態まで回復したときには、
母は60歳の誕生日を過ぎており、
当時の規則などを含めた総合的な判断で、
骨髄バンクも断念しました。
すごく残念に思ったことを今でも覚えています。
私は第一子を出産して数ヶ月の頃だったため、
闘病中の1年間、医師からの説明はすべて
姉が受けてくれていました。
姉は普段はぶっ飛んでいるのですが、
やるときはやる人で、
すべてを1人で受け止めながら、
私たち家族には何も伝えずにいてくれました。
日々のぶちまけたい想いは、
大学ノートが受け止めてくれていたようで、
最終的には10冊にもなっていたことを
最近知りました。
母は自分のカラダを信頼し、
父は母を信頼したんだと思います。
毎日、朝夕1日2回通う父のおかけで、
くだらない話をしたり、喧嘩をしたり、
笑い合ったり、通いすぎる父を母がウザがったり。
いつも通りの日常を過ごしていたのだと思います。
自分のカラダを信頼して進み続けた母もすごい。
ウザいほど通い続けた父もすごい。
そして、すべてを知りながら顔に出さず、
その空気を守り続けた姉も、本当にすごい。
母の、自分のカラダへの信頼
それを支える周りの人や環境、
そこから生まれる目に見えない何か——
そういったものすべてが、
母のカラダの細胞ひとつひとつを、
回復へと導いていたのだと思います。
心と体は、
説明しきれないほど深く繋がっている。
当時の私は、薬が母に合った、運が良かった、
神様ありがとう、そんなふうに喜んだと思います。
もちろん治療のタイミング、
処方された薬が良かったのは間違いないけど、
やはり母自身と、
母を取り巻く力はあったと思います。
私は今、ホロソフィー®︎を学んでいます。
あのときの母の回復を振り返ると、
今学んでいることと重なることが、
本当にたくさんあります。
カラダは、
その人の生き方や想いが積み重なって
『今のカラダ』を表現している。
今はそれを大切にしながら施術をしています。