小学生の低学年の頃
毎年山間でのキャンプは
家族の定番の行事で
親父の主導のもと
小さな車で岐阜県の
付知峡にキャンプ行ってた。

五人家族が1600ccの
コロナマークツーやら
ブルーバードユーだったかな
押し込まれて、目的地を
目指した。

俺は車に絶対酔うから
行きたくなかったけど
案の定、食べは戻すの繰り返しで
ビニール袋は必須アイティムだった。

目的地に着くと一安心で
キャンプ場の空気を満喫したもんだ。
ゲロ繰り返したのも忘れて。

ロケーションは、いわゆるキャンプ場。
当時はテントもオレンジ色の
山型テントだから、
キャンプ場を後にした人達の
雨よけ溝が掘られてて、退去後の
空いてるとこに都合よく張ってた。
あのオレンジテントは重たかったけど
味があってよかった。

で、テント設営を家族で
手分けして完了したら
お袋は、ああ、当時はお母さんって
呼んでたな、料理かなんかの準備。
親父と子供達は近くの川でアユ釣りに
俺は親父のゆーとーりに
餌を針に付けて竿を振る。
餌はハエの子供、ウジだ。
また、よく釣れた。
大漁塩焼きの予感。

タープなんて当時は無かった気がする。
でも木陰の下だし、高原だから
暑く無い。むしろ涼しかった。

程なくして晩御飯。
BGMはSONYスカイセンサー6000の
NHK。これは、俺も今でも継承してる。
アホな民放ラジオはキャンプ場には
必要無い。天気予報やら、的確な
情報が得られた。

そう、当時は、うちには
マナスルやら、オプチマスなんて
無かったから、小型のガスボンベだ。
これがまた、凄い威力だ。
隣のキャンパー達は
固形燃料で煮炊きしてたが
こっちの方が断然いい。
親父凄いと思った。

夕暮れ迫ると
ランタンなんて保持しない
この家族の明かりは、
折りたたみ式のカンテラだ。
今では生産打ち切ったそうで
この年になって数個大人買いした。
赤い屋根が可愛い。
ロウソクの明かりは、
後に台風で停電時の
愛知県の実家を
優しい明かりで
安心させてくれた。

どこで何時の間にか
集められた薪で
キャンプファイアーというか
川も近くの岩を寄せて
焚き火がスタートした。
外は真っ暗闇だったけど
周りのキャンパー達も
嬌声を上げながら
焚き火の炎を囲む風景だった。
親父が火の着いた枝で
旨そうにセブンスターに
火を付けるとこみて
俺も将来そうすると
予感した。

テントに入ると
ポキッと折って使うケミライトが
活躍した。これまた台風シーズンには
役に立った。家族お揃いの
寝袋でみんな寝た。
その寝袋は今でも使用している。
寝付くまでの間、獣やら、
ウシガエルやら森の自然と川のせせらぎで
夜はふける。



朝起きてテントから這い出すと
親父は既にくわえ煙草で
鮎釣りしてた。靄の立つキャンプサイト。
しまった!と目をこすり
よろけながら靴を裸足に
親父のところへ走り出した。
川にたどり着くと
まだ、ボーズだったようだ。

やるか?

うん。

竿を持たされ

糸を垂れた。。

家族はまだ寝てた。。




キャンプ場に宿題を持ってきて
テントで勉強してたら
きつくどやされた。



毛虫もクワガタムシもデカかった。


夜、寒いと言ったら
紅茶にウイスキーを
垂らしてくれた。


姉貴も慣れない手付きで
ノコギリを引いてた。


兄貴はラジオの同調と
天文観測。

お袋のキャンプ場での
味噌汁とコンビーフキャベツ焼き、
定番メニューだよ。

























俺は
君と
こんな
家庭を
築きたかったんだよ。